―― 博奕 バクエキ
Written by Shia Akino
 ――カラン。
 扉に付けたベルが鳴り、入ってきた人物を見て店主はおや、と思った。
 それは背の中程まである髪を一つに括り、草臥れた時代遅れのTシャツを着た男――というより、少年だった。中学生くらいだろうか。十二か三、そのくらいに見える。
 珍しいと思ったのは、碁会所に子供が来たからではない。碁を打つ子供はいないでもないが、そういう子供はそれなりのところに出入りする。こんな場末の――言い替えれば小汚い――碁会所などに出入りするのは、暇を持て余したむさ苦しいオヤジどもと相場は決まっている。
 少年は一通り店内を見渡した後、するすると店主に近寄ってきた。体重がないような歩き方をする。
「なあなあ、ここって賭け碁やってる?」
 店主は思いきり眉を顰め、横目で睨み付けるようにしてからスポーツ紙を広げて素っ気なく言った。
「子供が賭け碁なんてするもんじゃない。小遣いが欲しいなら親から貰え」
「だっておれ、親いねーし」
 あっけらかんと言うのに、店主は呆れたような――困ったような顔をして少年の顔を見直した。

 この少年に親がいないというのは本当である。なにしろ、五百年と少しばかり前に別れたきりなのだ。無事に天寿を全うしていたとしても、もうこの世にはいないだろう。
 雁州国宰輔――延麒六太は途方に暮れたような顔を装って、だってこのままじゃ服も買えない、と呟いた。
 それもやはり本当のことである。六太は蓬莱の通貨など持ってはいない。
 国に帰れば絹の服が山程もありはするが、こちらの服で持っているのはこの草臥れたTシャツに色褪せたジーンズだけなのだ。三十年ばかり前に、やはり賭け事で稼いで買ったものである。こちらに来るのは年に一度ほどとはいえ、三十年も経てばいいかげん生地も弱るし、草臥れもする。
 六太は恥ずかしそうに目を伏せて――当然のごとく演技だが――よれよれのTシャツの裾を引っ張った。
 雁国の官吏には通用しない可愛い子ぶりっこも、六太のことを知らない蓬莱の人間相手には十分に効力を発揮する。店主は幾分態度を和らげ、それでもやっぱり否定的に、だけど賭け事はねぇ、と顔をしかめた。
「でもじゃあどうしろってんだよ。おれだってお菓子くらい食べたいし! 服だって……っ!」
 泣きそうな声で――もちろんこれも演技だ――言い募る六太に、客の一人が声をかけた。
「おいコラ、ぼうず。賭けんのはいいが、負けたら払えんのか?」
「負けねーもん」
 胸を張った六太に男は苦笑する。無頼な口調とは裏腹に、痩せた貧相な小男だ。
「言うなぁ、おい。じゃあ、俺に勝てたら千円やろう。ほら、席料も出してやる」
「やったぁ!」
「その代わり、負けたら肩叩きな」
 ちょっと山さん、と店主が抗議の声を上げるのをいいじゃねえかといい加減に流して、山さんと呼ばれた男は六太を席に誘った。
「負けねぇなんて言ったからには、置き石はナシだぜ」
「そっちが置いてもいいよ」
「出来るか、コラ」
 軽く六太の頭を小突いてから男は碁盤の前に座り、お願いします、と礼をした。

 そう広くない店内には、薄ぼんやりと煙草の煙が漂っている。
 煤けた天井近くで小さなテレビが明滅し、映し出される競馬を横目に四、五人の客が思い思いに打っていた。店主はカウンターの奥でスポーツ紙を広げ、時折ちらちらと六太の方に視線を投げている。
「意外と強ぇじゃねーかよ、おい」
 眉根を寄せて唸るように“山さん”は言った。山村という名のこの男、六太の実力を見くびっていたらしい。
「まあね。強い奴がいてさぁ。負けんのが悔しくて、いっときすっげー練習したし」
「おいコラ、一時かい」
「んー。百年近くはハマってたかな」
 十二、三の少年にしか見えない六太がそんなことを言ったものだから、隣で打っていたオヤジまでが吹き出した。
「百年ね! そりゃイイや!」
 山村は膝を叩いて大笑いしている。
 本当なんだけどなぁと呟いて、六太はパチンと碁石を置いた。

 小松三郎尚隆が即位してから百年ほど経ち、朝廷も整って余裕が出てきた頃のことだ。火付け役が誰かは不明だが、玄英宮で碁が流行った事があった。
 当時六太は初心者だったので、誰とやっても必ず負けた。今思うと信じ難いが、自他共に弱いと認める尚隆にさえ、まったく勝てなかったのだからお笑いである。その尚隆がまた大人げなく勝ち誇って偉ぶるものだから、六太の闘争心は轟々と燃えさかってしまったのだ。
 生来、負けず嫌いの感がある。
 六太は暇さえあれば碁盤と睨み合うような生活をして、着々と力を付けていった。尚隆にはすぐ勝てるようになったものの、どうしても勝てなかったのが成笙で、ようやく五分で打てるようになった頃には百年近くが経っていた、というわけである。
 囲碁はキャリアが全てというわけではないが、ちょっとしたセンスの差なら経験で埋められる。熱が冷めてからも思い出したように打ってはいたから、六太のキャリアは実に四百年にものぼるのだ。プロを相手にしているわけではないのだし、そこいらの碁打ちに負けるはずもない。

 ぐぁーっと意味不明の叫び声をあげ、山村が机に突っ伏した。
「参った! 参りましたよ! 負けました!」
 ほとんど叫ぶように宣言し、ほれ千円、とよれよれの財布から札を抜き取って六太に差し出す。満面の笑みで受け取る六太にびしりと指を突きつけ、リベンジだ! と袖を捲った。
「その千円、取り返してやるからな。覚悟しろ!」
「へへーんだ。もう千円、いただくからな。そっちこそ覚悟しろ!」
 口調をまねて六太が笑うのに、客の一人が山村へ声をかける。
「山さんよう。花ぁ持たせてやったんじゃないのか」
 調子に乗るな、という六太に対する牽制だ。見当違いも甚だしいが。
「んなわけあるか。つえーぞ、こいつ」
 実力で負けたことを山村があっさり認めると、別の客がぐいと身を乗り出してくる。
「まてまて。そんな強いなら俺が相手だ」
「オマエはオレと打ってる最中だろうが」
「こっちは手ぇ空いてるぞ。儂と打って貰おうか」
「じゃあ次はオレだ」
「俺が先だ!」
 なにやら人気者になってしまった六太は、ニヤリと笑んで軋む椅子にふんぞり返った。それから悠然と腕を組み、順番にかかって来なさーい、と言い放ったのだった。

 ――数刻後。
 カラン、と扉に付けたベルが鳴り、出ていく人物を見送って店主は深々とため息をついた。
 意気揚々と足取りも軽く去っていく少年の手には、一人につき千円ずつ巻き上げた金が握られている。
 店内に残った客達は、あのガキ強かったな、などと笑い合っていた。子供に小遣いでもやった気でいるのだろう。
 賭け事で金を稼ぐなど、為になる事では決してない。ましてあの年だ。癖にならなければいいが、と店主は思う。
 その心配が百年単位で遅すぎるということは、もちろん店主の知るところではない。
 日の暮れかけた街を忙しなく行き来する人々に、六太は違和感もなく紛れ込んで駅に隣接するデパートへと駆け込んだ。
 陽子に『ちょこれーと』でも買っていってやるかなー、という呟きはすれ違った幾人かの耳に届きはしたが、当然気にする者などいなかった。

―― Fin...2004.08.21
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 博奕:博はすごろく、奕は囲碁、ともに勝負を争う遊戯。転じて博打の意。
 参考文献は「ひかるの碁」です(笑)
 そしてやっぱりきっかけになる作品があったのですが、どこで見たのか思い出せない(汗)
 四コマだったんですけどね。(六太は)ヒモをやるには小さすぎ……って、ここで言っていいのか!?
 ええと、お心当たりのある方、いらっしゃいましたら教えてください。
   ↑彰さまが教えてくださいました!――が、残念ながら閉鎖されたようです。
   「十二国記バカ四コマ」の風の万里黎明の空「蓬莱の服」という作品でした。

 六太はどうやって蓬莱の服など手に入れたのか。言葉を濁していたから、あまり誉められた手段でもないだろう。そんなことを考えていて、ふと思いついたのが賭け碁でした。
 それだけの話です。
 きっかけをくださったひーサマ、ありがとうございました。
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