采配
[隠居部屋]ねたろ〜さまの作品です。
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「粉骨砕身して働いて、挙げ句の果てにこの報いか。
……泰麒を捜す。 俺が采配をすればいいのだろう」
<黄昏の岸 暁の天>

「…おかえりなさいませ…」

いきなりかけられた声に、禁門から中へと走りこんだ六太は驚いて立ち止まった。見れば、回廊の脇に立ち恭しく礼をとる男がいる。
これが他国ならば、台輔の帰りを官吏が並んで出迎えるという風景は当り前のことかもしれない、しかし、ここはなんといっても雁である…台輔どころか王までもがいつの間にやら宮城からこっそり抜け出した揚句に、ドロボウよろしく忍び込んで戻ってくることは日常茶飯事、いちいち真面目に見送りや出迎えなんぞやってられるかというのが…そうでなくても出奔する主従のおかげで決済されるべき書類は溜まりまくっているのだから…決して大きな声では言えないが、官吏一同の本音になっている。

「…寄り道なんか、してないからな…」
思わず尖らせた口からこぼれ落ちた言葉に、我ながら情けないと思う。
これでは、家に帰るのを忘れて遊び呆けているそこらの餓鬼と同じではないか…長年の習慣とは恐ろしいものだ。
満身創痍の戴の将軍が慶に助けを求めたとの報に接して、尚隆とともに慌しく隣国を訪ったのが数日前のこと、鳴蝕を起こしたらしい泰麒を探すという景王陽子に協力する方針がようやく決まって一足先に尚隆が帰国したのが昨日のことである。具体案の細かな打ち合わせのために、一日ばかり帰国を遅らせた六太だった。

「…承知しておりますよ…金波宮からここ玄英宮までは、どんなに駿足の騶虞でもほぼ一日はかかります」

「じゃ、なんで…?」
思わず聞き返して、六太は思う。
まさかと思うが尚隆が出奔しているはずはない、正寝の奥の方に馴染みのある王気を感じている、なによりもこれから始めようとする大事業を前に、いくら奴がふざけた主だとしても、意味もなく遊興に出かけるはずがない。

逆に問い返された秋官長は、口を開きかけて何をか言い淀む、その態度に六太は眉を顰めた。
「…あいつ、どうかしたのか…?」
首をかしげると、白ルの秋官長はうっすらと苦い笑みを浮かべて答える。
「…どうかしたと、はっきり申し上げられるのならばいいのですが…」
「……?」
「…どうもしないで…真面目に…なさっておられるのが…なんとも…おかしいとしか…」
「…それ、なんか違うと思う…」
軽く笑って混ぜ返しながらも、なんとなく朱衡の言いたいことがわかる気がする六太だった。

その噂の主はといえば、正寝の奥の雲海に張り出した露台の端に一人だらりと寄りかかって、手にした杯をもてあそんでいた。月夜と言うにはいささか雲が多すぎる…雲が流れるにつれて、うつむき加減の尚隆の顔は翳ってしまって、少し離れたところにいる六太からは、その表情をうかがうことができない。

「…よお…」
つとめて気軽な風を装って声を掛けると、億劫そうに片眉をわずかに動かしたのが見えた。
「…どうした…なんか、草臥れてんのな…?」
問いかけると、溜息交じりの低い声で答えがあった。
「…泰麒探索の協力を要請するのに、各国に書簡を出しておいた…文面にひどく苦労したぞ…」
「ああ、そうか…」
六太は苦笑した。
いつもなら尚隆自身が何の手を下さずとも、他国の王あての書簡などは朱衡やその部下に大体の趣旨さえ伝えておけば、格調高い言葉を並べた文章が練られて、それを腕に覚えのある者が美しい文字で大国雁に相応しい立派な紙に綴り体裁を整えて…範の御仁あたりからなら、何か文句が出るかもしれないが…それなりに見事な書簡が数刻も待てばできあがるようになっているのだ。尚隆の仕事はといえば、最後に眼を通して御璽を押捺するだけである。
ところが、今回は他国の麒麟探索のために、蓬莱・崑崙まで各国の台輔を派遣したいという前代未聞、前例のないことを要請するものである。官吏に任せっきりにするわけにはいかない、それ以前に説明したところで正しく主旨を理解する者がいるとも思えない。そんなわけで、久々に尚隆自らが筆を取って文面を練ったものらしい…おそらくは、今日丸一日を机の前で四苦八苦していたものだろう…そういえば、どこか憔悴した風も漂っている。
「そりゃ、ご苦労だったな…お疲れさん…でも、いいじゃないか、たまには真面目に仕事しておけよ…頭使わないと、ボケるって言うぞ…」
一言ばかり余計なオマケのついた労いの言葉に、尚隆は盛大に顔を顰めた。





「…次は蓬山か…」
ぽつりと溢された尚隆の言葉に、はっとして六太は顔をあげた。
「…あ…」
「…天の条理というやつを…だな…」
「…ああ……陽子を玄君に会わせるか…?」
「それが一番いいだろう…慶と雁両国の呼びかけで行うことが原因で、主だった国が全て失道なんてことになったら…目も当てられん…」
「…それ、結構コワイ…」
笑いながらも、六太は今からしようとすることの重大性に足がすくむ思いがする。
「陽子は納得するかな…?」
小さな声で呟いてみる。
今のところの最優先事項は景王に「天の条理」を具体的に理解させることだ…生まれ落ちた時からこちらに暮らす人間には当たり前のことかもしれないが、あちらで育ったものには奇異な現象としか思えないさまざまな事柄を。
…たとえば「覿面の罪」があちらにあったなら、500年前に尚隆の国は滅びることはなかったのだ。
「…納得してもらわなければ困る…」
重々しく答えた尚隆はくしゃりと金色の頭を混ぜる。
「…そんなに深刻な顔をするな…大丈夫だろう…あれは、なかなか見どころがある…」
くつりと笑った王の声に、六太は顔を上げた。

あの辛辣な毒舌家の秋官長に言わせれば、いい王とは「天の条理」という「崖っぷち」のようなものには極力近づかないでまっすぐな道を行くものだが、ウチの王様はその「崖っぷち」ギリギリまで寄っていってフラフラなさるのがお好きらしい…もちろん、本人の弁によれば好きでやってるのではなくて、それなりにその必要があるからだし、何よりも闇雲な行動ではなくて事前に「しっかり‘りさーち’済み」だから気に病む必要などないということになる。
「…陽子も、崖っぷちの王様になるのな…」
声に出してみるとなんだかおかしかった…また朱衡あたりが眉を顰めて、景麒が盛大に溜息をつきそうだと思うと、くつくつと笑いがこみ上げてくる。


「数日もたてば各国から書簡の返答が来るだろう…大体の答えが出そろったところで、陽子を連れて蓬山に行って来い…」
「…え…俺なの?」
「…麒麟にとって、蓬山は故郷なのだろう…?」
にやりと人の悪い笑みを返されて、六太は頬を膨らませる。
「俺には敷居が高いって知ってるくせに…尚隆が行けよ…きっと、女仙たちがちやほやしてくれるぞ…」
「だから困るのだ…遊郭で女たちが俺をちやほやしてくれるのは、金を落としていくことを期待しているからだ…けれど、あそこでは何を期待されているのか、考えれば考えるほど恐ろしい…」
「…なんだそれ…お前って貧乏神だと思っていたけれど、その上に貧乏性だったのな…」
思わず吹き出してしまった六太に、真面目な顔で主が言う。
「…よく言うではないか、タダほど怖い物はない…と」
「…違いない…」



「…ここが苦手と大きな声で申す割には、一番よく出てきては無理難題をふっかけるのが、あの主従なのじゃが…」
そのころ、蓬山で玉葉がつぶやいていたとか…

―― Up...2009.08.19
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