仰天の少し前
Written by Shia Akino
「舞踏会? 俺が? なんで」
 きょとんと見返してくる瞳は、透き通った琥珀色。
 健康的な浅黒い肌を縁取る、深い濃紫の髪。
 そうそう御目にかかれない程、綺麗に整った容貌。
 すっきりと引き締まった、しなやかな姿態。
 こんなそっけない普段着ではなく、きちんと正装させて飾り立ててみたいという女性陣の気持ちは、分からないでもない。ないのだが。
「あー……うむ」
 ウォル・グリーク・ロウ・デルフィンは、眉間に皺を寄せて腕を組んだ。
「なんでと言われても、だな。その、出席してもらいたいのだ」
 国王直々に舞踏会への出席を打診されれば、普通は喜ぶ。
 しかし、この少年は普通ではない。
 喜んで受けるとは思っていなかったが、こう真っ直ぐに何故と問われても返答に困る。
 着飾ったところを見たいなどといったら――リィだったら確実に殴りかかってくるだろうが――どういう反応をするだろうか。言い出した女性陣に被害を及ぼす訳にはいかないのだ。
「…………理由がなくては駄目か?」
 大きな身体を精一杯縮めて、上目遣いで反応を窺う“国王”の姿に、ケリーはつい苦笑を漏らした。
「まあ、理由はどうだっていいけどな……」
 ちょっと困って、後ろ頭をガシガシ掻きまわす。
「堅苦しいのは苦手なんだ」
「いや、まったく堅苦しくはないのだ。いわば懇親会のようなものでな、従弟殿ほどの身代の者は誰も出席しない。国王も最初にほんの少し顔を出すだけで、実際に国王が参加する水準ギリギリの――」
 ごほん、とわざとらしい咳払いが国王の早口を遮った。
「従兄上……御自分がその国王だという事を、まさかお忘れではありますまいな」
 冷たーい視線を浴びせられて、ウォルが首をすくめる。
 思わず吹き出したケリーに、おまえは口の利き方に気をつけろ、としっかり釘を刺してから、バルロはにやりと口の端を持ち上げた。
  「小僧。舞踏の心得がないのなら、良い教師を紹介するぞ」
 ニヤニヤしながら、猫なで声で申し出る。
 面白がっているのが明らかで、ケリーはまたもや苦笑した。隠す気もないのだろうが、分かりやすい男である。
「いや、踊れないとは言わないが――」
 長年社交界で過ごしていたのだ。そのくらいのたしなみはあるが、ハッキリ言ってガラじゃない。出来れば遠慮したい。
 謝絶の言葉を口にする前に、へえ! と素っ頓狂な声があがった。
「そりゃ初耳だ! 是非とも拝ませてもらわねぇと」
 いやに楽しそうなイヴンの台詞である。
 ノリノリの友人を半眼で見やり、ケリーはしばし沈黙した。乗り気じゃないのは分かるだろうに、友達甲斐のない奴だ。どうしてくれよう、と少し考える。
「……そういうイヴンはどうなんだ。踊れるのか?」
「俺は山賊だぜ? 飛んだり跳ねたりなんざやってられっか」
 笑い飛ばしたイヴンに、ウォルが目を丸くして反論した。
「なにを言う。記念式典の時は踊ったではないか。なかなか見事だったぞ」
「あの時は陛下に嵌められたんでしょうが。二度と御免です」
 渋面で言い切ってから身を乗り出したイヴンは、心底楽しそうに目を輝かせていた。
「それよりケリーですよ。思いっきり派手な衣装を用意してですね、きっと似合いますぜ」
「うむ。ケリーどのは綺麗な顔立ちをしているからな」
 色はやはり濃紫がいいだの、金糸で縫い取りするならこの図案だの、剣帯には琥珀の飾りを付けようだのと、なにやら勝手に話が進む。
「いっそ女装でもさせるといい」
 と、これはバルロ。
「なんだ、見たいのか? やっぱり変態だな」
「なっ! この――」
「まあまあ、従弟殿。――女装はともかく、お願いできないだろうか」
 国王がこんな低姿勢でいいのだろうかと思いつつ、ケリーはごねた。
 諦められてもつまらないから、承諾の可能性を匂わせながら徹底的にごねた。
 国王と、案の定イヴンが熱心に掻き口説く。
「それじゃあ、代わりにお願いがあるんだが――」
 いい加減疲れるくらいごねてから、せいぜいしおらしく切り出す。
「出来ることなら何でもしよう」
「ああ」
 イヴンが同意するのを見て、ケリーは内心でほくそ笑んだ。わりとあっさり罠にかかってくれたのは、この姿形のおかげもあるのだろう。
 ちょっと気が引ける風を装って、本当に? と念を押す。
「うむ」
「もちろんだ」
 そう言い切った途端、急に雰囲気の変わったケリーに何を感じたのか、二人はハッとしたように瞬いた。
 しおらしく可愛らしい風情の少年はどこに行ったのか。不敵な笑みを浮かべた、ふてぶてしい態度の少年がそこにいる。
「じゃあ、イヴンも一緒に出ような」
 綺麗な笑顔で言われて、部屋中の空気が凍った。
 次の瞬間、ウォルとバルロが爆笑する。
「なんっ……冗談じゃねぇ!!」
 真っ赤になってイヴンが怒鳴るも、もう手遅れである。
「人の災難は見たいとか言っておいて、自分だけ逃げようったってそうはさせるか」
「冗談じゃねぇって! 俺はいやだ!」
「出来ることならなんでもするんだろう? 出来ないって訳じゃないみたいだし? も・ち・ろ・ん、やりたくないからって逃げたりはしないんだよなぁ?」
 にっこり笑って畳み掛ける。
 頭を抱えてしまった友人を鼻で笑った。

 ――ひどく、後悔するハメになった。

 舞踏会でどんな衝撃が待ち受けているかを知っていれば、イヴンを巻き込んで遊んだりせず、結託してでも全力で逃げたのに。
 後悔というものは、先に立たないものなのである。


―― Fin...
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 舞踏会への出席が決定した後、往生際悪くも“踊り方なんて忘れた”と言い張るイヴンを引きずって、練習室へと移動した。
 間がいいのか悪いのか、移動中に行き会ったシャーミアンを相手役として連行し、おかげでイヴンは居心地の悪いことになっている。
 練習しろと言うなら手本でも見せてみやがれ、と言ったのはせめてもの嫌がらせだったのだが。
「…………完璧、だな」
「………………」
「……つまらん」
 ウォルとイヴンとバルロは、三者三様の溜息をついた。
 ケリーの“踊れないとは言わない”という否定に否定を重ねた言い方から、“苦手だ”とか“下手だ”とか続くのかと思いきや、とんでもない話であった。
 足の運びも腕の角度も完璧というほかない。
 難があるとすれば男女の身長差だが、見ようによっては初々しくも映る。
 見る者によっては“憧れの女性に相手をしてもらって頑張る少年”に見えるかもしれない。
 ――気持ち悪いが。
「それにしても……随分楽しそうだな、シャーミアンは」
「それはそうでしょう。この山賊ときたら、ろくに夜会にも出て来ませんからな。来たかと思えば延々飲み食いするばかりだ。踊る機会もずいぶんと減ったことでしょうよ」
「………………」
「しかし、シャーミアンはそんなに踊りが好きだったか?」
「従兄上は女心というものを分かっておりませんな。ドレスや化粧を嫌う女性はそう多くはありませんぞ。舞踏もしかり、というものです。剣をよくする女性であろうと例外ではないでしょう」
「……………………」
 傍で交わされる会話に、イヴンは無言で渋面を通した。
 部屋の中央では、妻と少年が優雅にくるくる回っている。
 上気した頬やきらきらと輝く瞳を見れば、シャーミアンが本当に楽しんでいるのはよく分かった。
 彼女は馬も剣も使いこなす立派な騎士だが、当たり前の女性でもあるのだ。
 もちろん忘れていたわけではないが――逃げ切れなくて幾度か参加した夜会の席でも、踊って欲しいというような事は素振りも見せなかったから気付かなかった。
 イヴンは低く唸りながら頭を掻き毟り、大きく息をついてから声を上げた。
「っあー……ケリー!」
 足を止めた二人に乱暴な足取りで近付きながら、代われ、と告げる。
 練習用の簡素なドレスに身を包んだ女騎士は目を瞠り――大輪の花がほころぶような、満面の笑みを浮かべた。
 ――こんな顔を見られるのなら、これからも時々は踊ってみてもいいかもしれない。
 にやにやしている観衆を努めて視界から追い出しつつ、そんな事を考えながらイヴンは妻の手を取った。
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