噂の真相
Written by Shia Akino
「ケリーさんっ!!」
 まだ幼い響きの声が、緊迫した様子で背後からケリーの名を呼んだ。
 振り向いたケリーめがけて、なにか細長いものが放られる。反射的に受け取ったそれは、木剣だった。
「僕、ロイ・ジェードは貴方に決闘を申し込みます! いざ、尋常に勝負!!」
 構える間もあればこそ。返答も待たずに打ちかかってきたのは、今のケリーより一つ二つ年下の少年だった。
 ケリーは内心、首を傾げる。
 この裏庭への呼び出しは、よく後をついて回る同級のひよこからのものだった。騙された事はどうでもいいが、何故この相手から決闘を挑まれなければならないのか。しかも――。
(なんか、本気だな……)
 “決闘ごっこ”は、学内のあちこちで行われている。校内での帯剣は禁止だから、得物が木剣なのも頷ける。しかしこれは、“ごっこ”というにはあまりにも本気だ。
 真正面からの連続した攻撃を軽くいなしながら、八合目あたりまでは心当たりを検討してみた。
(……思いつかん)
 そもそも面識がないような気がする。
 心ならずも今のケリーは“有名人”である。ケリーの方も、級は違うが顔くらいは覚えていたから、互いに顔を知っているという意味では面識がないとは言えないかもしれない。
 だがとにかく、言葉を交わしたことは一度もない。
「どうも良く分からないんだが、俺はあんたに何かしたか?」
「――――っ!!」
 必死で真剣で本気の打ち込みを、余裕というよりもまるで問題にしていない気軽さでひょいひょい受け流され、その上この、どこかのんびりとした問いかけである。
 ロイは一瞬、言葉に詰まった。動きも止まった。その隙に打ち込んでくるでもない相手の態度に、恐怖すら感じた。
 ほとんど騙まし討ちで決闘に持ち込んだのは、案外使えるという事を知っていたからだ。
 理由が分からないだろう事も、予想していた。
 しかし普通、理由も分からず襲い掛かられたら、まず叩きのめしてから問い詰めるものではなかろうか。
 背後から無言で襲い掛かるよりはマシ、という程度の卑怯な手で決闘を挑んだ相手は、本当に不思議そうに小首を傾げてただ立っている。
 勝手に引きそうになる身体を叱咤し、ロイは慎重に構えを取り直した。気圧されないように睨みつける。
「僕じゃないっ! アイシャに謝れ!!」
 ああそれか、とケリーは思った。
 このところケリーは、女子部のとある少女に付き纏われている。
 今のケリーよりひとつふたつ年上に見える少女は、家柄もよく、かなりの美貌を誇っていて、そこそこ頭も良く振舞いも上品という、典型的な淑女の卵である。
 だが、ケリーは色気を武器に使う女は好きだが、美貌を鼻に掛ける女は、ハッキリ言って嫌いだった。
 家柄自慢もあからさまで、明らかに周囲を見下している――それが年端もいかない少女ときては、いっそ醜悪ですらある。
 とはいえ、それに気付いているのは、生徒の中ではケリーだけだろう。彼女は女子部の中では慈悲深い女王のように振舞っているし、男子部の中に憧れている者は多い。
 しかしとにかく、ケリーの趣味ではない。そもそも彼女は、ケリーに恋をしているわけでもない。
 “噂”の主に対する興味、支配欲と権力欲、そんなものに付き合う気は更々なかった。
 付き纏われているとはいっても、そこは淑女の卵――傍目にも丸分かりという程ではなかったが、いい加減ウザッたくて、少々きつく突き放したばかりだ。
「婚約者を侮辱されて、黙ってるわけにはいかないんだ!」
「………………ほう」
 そうきたか。
 プライドを傷つけられた女王様は、年下の婚約者に泣きついたらしい。
 もう一人の女王様とのあまりの違いに、少し脱力する。――比べる方が間違っていることは、それはもう充分に承知しているが。
(さて、どうするか)
 剣には不慣れだが、ケリーは目がいい。身体能力も反射神経も抜きん出ている。棒術の心得もあるし、ナイフならそこそこ使える。叩きのめすのは簡単だが――ひよこを踏み潰すのは本意ではない。
 なんだか可哀想だしなぁ、などとケリーが思っていることを相手が知れば、決闘の理由がもう一つ出来上がることは必至である。
 この少年があの少女と結婚したら確実に苦労するな、という予測の上の感想だ。
 もちろん、そんなことはわざわざ口に出さず、別のことを問うた。
「ちなみに、何て聞いた?」
「…………シッサスの花娘より下品だと言われた、って」
「……合ってるな」
 手込めにされたくらいは言ったかと思ったが、そこまで厚顔ではなかったらしい。
「じゃあこうしよう」
 軽く肩をすくめて、木剣を手放す。
 ガチガチに硬い構えで向けられていた剣先が、驚いたように揺れた。
「俺は本当にそう思ったから言ったまでで、別に侮辱したつもりは無いし、謝るつもりもない。それが許せないっていうなら、存分に叩きのめせ。そうすりゃ、あんたもあの子も気が済むだろう?」
 死なない程度にしてくれると有難い、とは言わなかった。急所に入りそうになったら、外せばいいだけの事だ。真剣ではないのだし。
 ほれこい――とばかりに、指先で誘う。少年はなんだか呆然としている。
「ああ、武器持ってないとやり難いか?」
 一度放り捨てた木剣を拾い上げ、構える。
 形だけの構えだ。
 やる気がないのは、ロイの目にも明らかに映った。
 いま打ち込めば、彼は、避けない。受け流しもしない。ただ黙って打たれるだろう。それが、分かった。
 ――分かってしまった。
「なに、を……貴方はいったい何を考えているんですかっ!?」
 吐き捨てると同時に、身体が勝手に震えだした。怒りだか恐怖だか判然としない。知りたくもない。
 実力ではとても敵わない事は、不意打ちの騙まし討ちを軽くいなされた時点で分かっている。
 その相手が、婚約者への暴言を取り消す気も謝る気もないからといって、格段に腕の劣る年下の男に黙って打たれようとしている。
 意味不明だ。
 思考回路が理解できない。
 たぶんここで打ち込んで、怪我をしたケリーに誰かが相手を問えば、素直に正直に自分の名前を出すのだろう、とロイは思う。
 余計なことは何一つ言わずに。
 そんなことまで分かってしまって、唇を噛んだ。
 名誉、にはなるのだろう。
 アイシャも溜飲を下げるだろう。
 ――気が済む、だって?
 冗談じゃない!!
「どうしてそんな……っ!」
「どうしてって……俺は謝る気はないし、だったらそれしかないだろう?」
 ひよこに負けたと噂が立つくらいどうという事もないし、それで気が済んで構ってこなくなるなら安いくらいのもんだ、とケリーは考えている。
 本気で言っているのがこれまた分かって、ロイはがっくりとうなだれた。
 言われた通りに叩きのめしたら、後でたぶん受けるだろう称賛の言葉のたびに、ひどく苦い思いをすることになる。
 そんなことにも思い至らないほど馬鹿だと思われたのか。
 そんなことは気にしない恥知らずだとでも思ったのか。
 別の意味で怒りが湧いたが、呆れる思いのほうが強かった。
 構えを解いて木剣を放り出す。
 馬鹿馬鹿しくてやってられないではないか。
「…………変態」
 ぼそりと漏らす。
 殴られるのが趣味なのか、という皮肉のつもりで言ったのだが、ケリーは一瞬目を瞠り――何故か、腹を抱えて笑い出した。
「…………………………なに?」
「いやっ、こっちでそれを、言われるとは、思わなかったっ」
 切れ切れに言葉をつむぎながら、どうにか息を整えようと苦労している。
 少年は知る由もなかったが、それはケリーの妻がケリーを評して言った言葉だった。恐ろしい事に、褒め言葉である。
「はぁー……こんなに笑ったのは久しぶりだ。いやもう、懐かしくって涙が出るぜ」
 楽しげに笑って、ありがとな、などと言うケリー。
 ――本当に。
 反応が意味不明だ。
 変態と言われて礼を返す奴がどこにいようか。
 ――ここにいる。
 奇妙な生き物でも見るような目線でケリーを眺め、ロイは思った。
 同じ人間だと思うからおかしいのだ。
 きっと噂は半分くらい本当だ。
 妃殿下の御身内などというのは眉唾モノだが、コレは天から来た人外生物なのだ。
 それはきっとそうなのだ。
 主に自身の精神安定のために、ロイはそう信じることにした。

―― Fin...
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