衆望の客人
Written by Shia Akino
「ケリー殿、こちらにいらしたのか」
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王宮の一角、コーラルの町を見下ろすテラスに置かれたテーブルセットは、瀟洒な透かし模様の入った鉄製のものだ。室内から持ち出したクッションを椅子の上に重ねて、少年はのんびりと本を読んでいたらしい。長い足がテーブルの上に放り出されている。 「よう、王様」 姿勢を改めようともしない少年を咎めることもせず、ここデルフィニアの最高権力者は屈託なく笑った。 「いらしているとは聞いたのに、どこに居るかは誰も知らんという。探してしまったぞ」 そう言う国王の両手には、葡萄酒らしいボトルとグラスが二つ握られている。その格好のまま、自らケリーを捜し歩いていたらしい。 ボトルとグラスを手に王宮内を徘徊する国王――相変わらずおかしな王様だ、とケリーは思う。 ここでようやく本を閉じ、足を下ろして立ち上がった。向かいの椅子にクッションを一つ放り投げてやる。 季節は晩夏――日は西に傾いて、そろそろ沈む頃合だ。屋外で酒宴を始めるにはいい時分である。 「別に逃げも隠れもしてないぜ。ずっとここに居たからな」 「従弟殿をやり込めてからずっと、かな?」 悪戯っぽく国王が笑う。 「なんだ、聞いたのか」 ケリーは苦笑を返し、ボトルを傾けた。 数刻前、執務を終えたらケリーと一杯やろうと画策して、ウォルはせっせと仕事に励んでいた。 そこに足音も荒く乗り込んできたのは、愛すべき従弟、バルロである。 「従兄上! あの小僧、縛り付けてでも逃がさんでください!」 まさに怒髪天を衝く勢いだ。雑用に働く小者が怯えているのを、ウォルはまず手を振って下がらせる。 「ケリー殿のことか? 何があった」 「何故あやつはああも生意気なんだ、いつか目にもの見せてくれるわ!」 ……怒れる虎には、話をする気はないらしい。 ウォルは途方にくれて、背後に控えるナシアスに目線で助けを求めた。 憤然と歩き回りつつ、少年に対する罵倒の言葉を並べ立てているサヴォア公爵の目に留まらぬよう、こっそりと国王に近付いたナシアスは声を落としてこう告げた。 「私とバルロでチェスをしていたんですよ。ケリーが通りかかったので誘ったのは良かったのですが……」 「負けたのか」 「彼は強いですね。私も負けました」 屈託なく言うのに、ウォルは驚く。 「なんと、ナシアス殿もか!」 ウォル自身は対戦したことはなかったが、人の話ではナシアスは強い。正攻法のみならず、けっこう阿漕な手も使うらしい。 「……全敗か?」 「全敗です。私はそこそこいい勝負だったのですが、バルロは散々にやり込められまして」 「あげくあの小僧……」 地を這うような声はバルロのもの。拳を握って仁王立ち、剣呑な目つきで宙を睨んでいる。 ナシアスは悩んだ。ゲームに負けただけでこうまで怒っているとなると少々大人気ないが、逆鱗に触れたあの台詞は、他言しない方が友人の名誉のためにはいいのだろうか。 チェックメイトを宣言した後、愛らしいとすら言える笑顔で彼は言った。 『あんたの手は読みやすいな。もしかして猪とか呼ばれてないか?』 ……その場で吹き出さなかった自分を褒めてやりたい。 「いいですか、噂が消えようと迎えが来ようと、あやつは絶対この国から出さん! 勝ち逃げなぞさせるか!」 吼える親友から目を逸らし、ナシアスはため息をつく。 実のところ、同感だと思ってしまった事が一番の困りどころだった。 喚くバルロをとにもかくにも落ち着かせ――というより、埒が明かないので追い出した。 ああいった騒動は、イヴンとバルロが出会った当初を思い起こさせる。思い返すたびにこみ上げてくる笑いをなんとか堪え、ウォルは鹿爪らしい顔を作って重々しく言った。 「あまり従弟殿で遊んでくれるな。そのうち本当に縛り付けられる羽目になるぞ」 ケリーは肩をすくめるだけで、気にした風もない。 「でもあれは、本当に本気で怒ってるわけじゃないだろう? 分かってて乗るんだから、乗せてやるのが筋ってもんだ」 悪びれない少年に苦笑する。 「では、ブルクスと会ったのは朝方か?」 「ああ、そうだ。面白い制度があるんだな」 「うむ。三年ほど前から始めたのだが、なかなか好評だ」 そもそもケリーはこの日、王宮からの呼び出しで寄宿舎を出た。 年に数度、成績優秀者数名を選び、政治の中枢人物が個別に面談するという。 名誉だと騒ぐひよこ共を軽くいなし、特に気負いもせずにケリーは王宮へ向かった。案の定、面談の相手は宰相のブルクスで、今更かしこまる事もない。 「なんだってこんな制度があるんだ? そうでなくても忙しいだろうに」 挨拶もそこそこのそんな台詞に、ブルクスは思わず笑った。 生徒と会うときは、まずは緊張をほぐすことから始めるのが常だ。いくら顔見知りだとはいえ、この少年はずいぶんと余裕である。 「寄宿学校に通っているのは、次代のデルフィニアを担う若者達ですからな。優秀な人材は、なにも有力貴族の家系に限って出るわけではございませんし」 早いうちから目をつけて、適性や能力を把握しておけば、後々なにかと役に立つ。 ほう――と、感心したとでも言いたそうな声が相対した少年の口から漏れた。いい心がけだ、と深く笑う。 ゆったりと足を組み、膝の上で手を組んで微笑を浮かべる様は、とてもとても一生徒だと侮れるものではない。 「…………困りました」 ブルクスは苦い息をつく。 「妃殿下とご同郷とはいえ、この度は生徒としての面談。特別には扱うまいと思っていたのですが……」 この少年相手では、同じように話を進めたところで何の益もないだろう。 「率直なご意見を伺いたい。タンガとパラストをどう思われますか?」 「どうと言われてもなぁ。俺は習ったことと噂くらいしか知らないぜ?」 はぐらかす様に腕を組んで、少年は思わせぶりな笑みを浮かべた。 当たり前の少年としてではなく、天の国の人としての意見を聞きたいのだとの思いを込めて、ブルクスはその瞳をひたと見つめる。 「小競り合いはありますが、タンガもパラストも、いまは良き隣人です」 探るような間をあければ、少年はふと真顔になり、組んでいた腕を解いて鷹揚に頷いて見せた。 「貴方の言いたいことはよく分かる。このまま平和が続けば、今後、国を支える力は武力ではなく、経済になっていくだろうな」 口調が違い、表情が違う。年恰好には似合わぬはずの態度が妙に板について、貫禄さえも感じさせる。 「然り。抜かない剣は錆びるのが道理です」 話をする気にはなってくれたようだと、ブルクスは胸を撫で下ろした。感謝の意を込めて目礼を送る。 ある意味妃殿下よりも御し難い、と思ったことは完璧に隠した。 彼の人は、人間離れはしていたが裏はなかった。この少年は自身を人間だと主張しているが、簡単には推し量れない裏がある。 「――もちろん、抜かないからといって手入れを怠るなど、論外ではございますが」 今は非常に高い地位を誇っている騎士や貴族という身分も、このままではいずれ形骸化していくだろう。 数年前からブルクスが感じているこの危機感を、現時点で分かってくれる者はひどく少なかった。 だが少年は当たり前のように頷いて、しかし、と眉を寄せる。 「時代の流れに逆らうことは誰にも出来まい」 何をしようとどうなるものでもない――そういう流れは確かにあるのだ。 ブルクスは深く頷いて、けれどただ流されていく訳にはいかないと強く言う。 「私は王家に仕える者です。王家の地位を揺るがす流れを、座視する訳にはいかないのです」 だからといって、戦を望んでいるわけではない。武力の長という側面が王家に必要とされなくなるなら、別の側面を要に据えればいいのである。 「考えておくのは良い事だろうが……少々早すぎはしないか」 苦笑気味の少年に頷きを返す。 「存じております。五十年――いえ、百年先の話でございます。流れを変えることも、逆らうことも出来ますまいが、巧く乗ることは不可能ではございません。態勢を、もしくは態勢を整えるための基盤を、作っておきたいのです」 気の長い話だ、と少年は笑い、日が中天を過ぎるまで面談は続いたのだった。 「ブルクスはずいぶんと感銘を受けたようだったぞ。なかなか得難いご意見をお聞かせいただいたとか」 「なぁに、少しでも借りを返せりゃ儲けもんだ。いい部下をもってるな」 軽い調子の賞賛は本心だった。五十年先を考えられる政治家など、そうはいない。 得難い人材に敬意を表し、無駄に豊富な経験を踏まえてかなり突っ込んだ話もした。どの程度役に立つかは不明だが、なにがしかの指針にはなるだろう。 部下を褒められた国王はといえば、自分のことのように嬉しそうに頷いている。 「うむ。自慢の部下達だ」 その自慢の部下が、滅多に見ないほど真剣な様子で詰め寄ってきた来たときには、ウォルも少なからず驚いた。ケリーがいずれ出て行くつもりであることは承知の上で、なんとか引き留められないかと言うのである。よほど有意義な面談であったらしい。 それにしても――と、ウォルは思う。 「返してもらわねばならんような貸しなぞ、作った覚えはないのだが……」 不思議そうに首を傾げると、向かいの少年はいきなりむせた。 げほげほ、としばらく咳き込んで気管に入った酒精を追い出し、ケリーはひでぇ冗談だ、と低く呟く。 やはり王妃と同族なのだ、という恐ろしい誤解をされる危険を犯し、ようやくいくばくかの借りを返したと思ったらこれだ。 この世界の右も左も分からないケリーに学ぶ機会を与え、生活の面倒を見てくれている――それだけで充分すぎるくらいに大きな借りだろう。それをまったく分かっていない。 「……こっちは借りた気でいるんだ。大人しく貸しといてくれ」 疲れたようにそう言うのが精一杯だった。 国王はいまひとつ納得いかないように首を捻っていたが、重ねて言い募る事はしなかった。貸し借りの話題で、数日前に訪ねてきたタウの領主を思い出したのだ。 「借りといえば、ジル殿が借りが出来たとか言っておりましたぞ」 「俺にか? それこそそんな覚えはまったくないぜ?」 かけらも心当たりがなかったので、今度はケリーが首を捻る。 「少し前にしばらくタウにおったそうではないか」 「ああ、イヴンが一度来てみないかって言ってたからな」 ふと思い立って勝手に訪ねてみた。あいにくイヴンはいなかったが、気のいい村人達と過ごした数日はなかなか有意義だったとケリーは思う。 「あそこは面白いな。デルフィニアの民だという意識と、戴くもののない自由民だという誇りが両立してる。授業はいくらかサボったが……」 「それは構わんだろう。そもそもケリーどのは卒業が目的ではないのだし。――で、だ。ガディスという男からしばらく目を離さない方がいいと、組頭に言ったそうだな?」 「なんだ、やっぱりなにかやらかしたか」 タウには結局五日ほどもいただろうか。そろそろ帰るの、いっそ学校なんか辞めてタウで暮らせのと言い合っているところに、そのガディスという男が町から戻ってきたのだ。ろくに話もしていないが、ケリーにしてみればあからさまに挙動がおかしかった。 「うむ。銀を盗もうとしたらしい。町に出るようになって、少々タチの悪い女に入れあげたらしいという話だったな」 借りがどうとかいう話はどうなったんだと思いつつ、ケリーは話の続きを待ってみた。――が、国王も口を噤んでケリーの反応を待っている。 「………………まさか、それか!? それのどこが貸しなんだ。ジルが出掛けてたから一応言ってはおいたが、戻ってきてたならジルだって気付いただろうに」 「いや、事が起こったのはジル殿が戻る前だったらしい」 それにしたって、と渋面をつくるケリーに、ウォルはにやりと笑って見せる。 「それこそ、借りた気でいるのだから大人しく貸しておけ、というところだろう」 まったくひでぇ冗談だ、とうめく少年に諦めろと言い渡し、ウォルはグラスを傾けた。地の底まで届きそうな深い深いため息をついた少年は、頬杖をついて眼下を見下ろしている。 コーラルの町は薄闇に沈み、幾筋かの通りだけが篝火に照らされて浮かび上がっていた。仕事終えた男達が、あの灯りの下で飲み交わしているのだろう。 ここからではタウは見えないが、山中でも似たような光景が繰り広げられているに違いない。 タウは自治を認められてはいるが、デルフィニア領である。頭目たちによる定例会合で決定された事柄は、ジルが代表して国王に報告する事になっていた。 数日前――その報告を終えたタウの領主は、酒宴の誘いがなされる前に気になっている事を確かめようと口を開いた。 「あのケリーという少年――妃殿下と同郷というのは本当ですか?」 王妃の息子という噂の方は、始めから有り得ないと切り捨てている。 「ああ、そのようだぞ。お会いになられたか」 「イヴンに招待されたとかで訪ねてきましてね。噂は聞いていたのでどんな人物かと思っていましたが、面白い。会合と重なったので、二日ほどしか相手を出来なかったのが残念です」 そうか、と返した国王は、ふいに身を乗り出して声を潜めた。 「ちなみに本人は、王妃と同族ではなくまったくの人間だと主張しているぞ」 そう言った途端、ジルはなんとも言いがたい顔をして押し黙った。 「やはり信じがたいとお思いか!」 ウォルは思わず吹き出して、さもありなん、と頷く。 笑われてしまったタウの領主は小さくため息をつき、信じろという方が無理でしょう、と呆れたように言った。 「ウチの組頭は軒並み彼に心酔していますよ」 「それはまた。ずいぶんと年下だろうに」 「年はあまり関係ありませんね。あと十年もすれば頭目の器だと。私もそう思います」 実際、たいした器量だとジルは思う。王妃という前例を踏まえて外見に惑わされずにいれば、二日程度でもそれくらいは分かる。あの王妃と比べても遜色はないだろう。 むしろ、意識して人を纏め、使うという点においては彼の方が上かもしれない。 「……やはり、いずれ帰られるのでしょうか?」 問わずにはいられなかった。 そうなるだろうな、との答えに、今度は深いため息をつく。 「残念です。イヴンの片腕になってくれれば、これほど心強いこともないのですが」 手放しの賞賛に国王は目を丸くし、ずいぶん惚れ込んだな、と驚いたように言った。 「それだけの価値はあるでしょう。イヴンはいずれ、タウとロア、それにポリシアを治めることになります。ドラのお嬢さんがおりますし、あいつにもそれくらいの資質はあるでしょうが……」 言いたいことはウォルにも分かった。有能で信頼できる部下というものは、いくらいても多過ぎるという事はない。 しかし、望んだからといって得られるものでもないのだ。 本当に残念です、と繰り返してから、ジルは早々に帰るという。 「今日くらい泊まっていけばいいではないか。明日にでもケリーどのと会っていかれてはどうだ?」 酒宴を断られた国王が不満もあらわに言えば、ジルは苦笑して首を振る。 「不届き者がいたようでしてね。とにかく一度戻らねばなりません。……ケリーには借りが出来ましたよ」 なおも引きとめようとする国王を振り切り、借りを返せるまでいてくれるといいのですが、と言い置いてタウの領主は帰って行った。 少年も借りを気にしていたが、借りているのはむしろこちらの方だ、とウォルは思っている。 妻となった娘は、迎えが来るまではいてやると約してくれた。この少年にはそれすらない。本気で出て行くとなれば、おそらく留める術などないだろう。 噂などきっと、足枷にもなりはしない。彼がここに留まっているのは単に好意であり、感じているらしい恩義のためだ。それこそが、ウォルにとっては大きな借りである。 少年の視線は、眼下からいつの間にか空へと移っていた。 瞬く星が夜空を彩り、秋めいた風が吹き渡ってゆく。 「……やはり、お帰りになりたいか」 思わずそう問えば、少年はゆっくりと瞬いて視線を寄越し、それから穏やかに笑んだ。 「愚問だな」 「そうか……そうだな、すまなかった」 馬鹿なことを聞いた、とウォルは大きく息をついて天を仰ぐ。 視界を占めるのは満天の星だけで、天の国は見えなかった。 「帰したくはないんだがな……」 それは本音だったが、強要できることではない。 くつくつと喉の奥で笑う音が耳に届いて、ウォルは正面に視線を戻した。 「王様、それは女に言う台詞だぜ」 「そうなのか?」 首を傾げると、少年は一拍を置いてから肩を震わせて爆笑した。 ―― Fin...2007.10.02
目指せ、いい男にもてまくるケリー! …………失敗?
総帥口調が書きたくて、なかなか無茶なことを語らせました。 チェスはラナートあたりに教わって、時々ダイアンとやってたMy設定。 そしていつの間にかタウに行ってるのは、要は国から出なければいいんだろうと勝手に決めて、けっこうふらふら出歩いているMy設定。 ――説明しなきゃ分からないってどうなのよ……。 バルロの扱いが微妙ですが、彼はゲームに関しては強さに波がある感じ。強いときはけっこう強いかも。 とりあえず最強ケリー推奨。 元拍手おまけSS↓ 「……やはり、お帰りになりたいか」 そっと窺うような問いに、ケリーはゆっくりと瞬いた。 帰るつもりかと問われれば、それはもちろん帰るつもりではいる。だが自身でどうにかできることではない以上、帰れなければそれまでだと割り切ってもいた。こちらはこちらで面白い。 しかし、帰りたいかと問われれば―― 「愚問だな」 答えて、ケリーは小さく笑う。 これを聞けば彼らは驚くだろうが、あちらには息子もいるし孫もいる。なにより、ようやく取り戻した妻と長年の相棒がいるのだ。 場所に執着があるわけではないが、彼らの元には戻りたいと思う。 それからケリーは、帰りたい所など一つもなく、キング・オブ・パイレーツなどと呼ばれていた若い頃を思った。俺も年を取ったかな――と、実年齢を知る者ですら笑い出しそうな事をちらりと考える。 だがこれも悪くはないと、そう思った。 文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
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