「あ、ケリーがいる」
食堂でとる夕食の時は確かにいたのに、ふと気付くと姿が見えないという事が頻繁にある少年が、その夜は珍しく自室にいた。
「えーと、今日はその……いるの?」
同室の少年の問いかけは、実際その場にいる者に対してするにはかなり奇妙だが、まさか出掛けないのかとは聞けなかったのだ。こんな時間の外出はもちろん規則違反だし、そもそも姿が見えない間本当に出掛けているのかすら知らなかった。
「ああ、そのつもりだぜ」
「じゃあさ、カード借りてきたんだ。やらないか?」
これも同室の少年がカードゲームの一揃いを掲げて見せると、ケリーは案外簡単に頷いた。
時には近寄り難い迫力があるが、彼は基本的に人当たりはいいし、意外と付き合いもいいのだ。
それはもう――少年達は知るべくもないが――かの女王様に付き合えるのだから、筋金入りである。
何戦目かの勝利をまたしてもケリーに持っていかれ、少年達は控えめに悪態をついた。
その悪態の拙さと、何も賭けないゲームの健全さに、ケリーは内心苦笑している。
「ねぇ、ケリー。国王陛下ってどんな方?」
カードを切りながら少年が聞いた。
「あ、それ僕も聞きたい!」
「俺も!」
デルフィニアの英雄は少年達の憧れの的だ。
詰め寄られて、ケリーはちょっと引いた。
眼がキラキラしている。なんだかひよこの前の餌になった気分だ。
「どんなって言われてもなぁ……」
あのおかしな王様を、一言で言い表すのは難しい。
「じゃあさ、やっぱりお強い?」
「馬鹿、強いに決まってるだろ!」
「手合わせをお願いしてみたことある?」
これには迷わず首を振った。
「いんや、ない」
稽古相手に使うには忙しすぎる相手である。
本気の試合ならやってみたい気もするが、剣ではおそらく勝てないだろう。
騎士団の新米あたりなら何とかなるかもしれないが、イヴンにもバルロにもナシアスにもあまり勝てる気はしない。ケリーが得意とする武器はこちらにはないし、慣れ親しんだ武器というのはそれだけで有利だ。
棒術かナイフだったら張り合えるか――と考えかけて、いや、と即座に否定した。金色狼じゃあるまいし、体格の差は致命的だ。
元の身体に戻れたらやってみるのもいいかもな、などとケリーが考えている間に、少年達は彼の王様に対する世間の評価とやらを並べ立てていた。
曰く――公明正大、無私無欲、豪傑無双、寛厚穏健などなど。
一つも間違ってはいないのに、まるであの人物を表していないのはどういうわけか。
「ケリー、ちゃんと答えてよ。陛下とお会いしたことがあるのは君だけなんだから」
「そうだよ、ケリー」
「陛下ってどんな方?」
ケリーは悩んだ。
百聞は一見に如かずというが、本人を知らない者にあの王様のおかしさ具合を分からせようとしても無駄な気がする。
そこまで考えて、ぽん、と手を打った。
これはそう――あの女に言わせれば、あれだ。
「変態だ」
「はぁあ!?」
うんうん、と一人悦に入って頷いているケリーを気味悪そうに見やり、少年達は目を逸らした。
聞くんじゃなかった――少年達の心が一つになった瞬間だ。
なんとも恐ろしい人物評は聞かなかったことにして、少年達は話題の転換を図った。この年頃の少年達が集まって興じる話題といえば、これは外せない。
「ケリーはさ、好きな子っていないの?」
生徒達の中には婚約者のいる者も多かったが、恋愛と結婚は別物だ。当然もてたいし、好かれれば嬉しくて楽しい。
その点ケリーは、妬むのも馬鹿らしいくらいモテまくっている。女子部の生徒達の大部分が、多かれ少なかれケリーに好意をもっているだろう。
頭が良くて腕も立ち、鋭く整った容貌に貫禄さえ窺わせる不遜な態度。味気ない完璧人間かと思いきや、妙な愛嬌があって憎めない。
女の子達の気持ちも分からないではないのだが、ケリーが一人に決めてくれたらまだいいのに、というのが男子生徒の大半に共通する思いだ。
いいと思う子がいるならさっさとくっついて欲しい、いやむしろくっつけたい、との思いから出た問いだったが、ケリーは未知の言葉を聞いたかのように素っ頓狂な声を上げた。
「好きな子ぉ!?」
耳慣れない言葉である。
ケリーはごく一般的な男として、女が好きだ。美しい女性は目に楽しいし、いるだけで場が華やかになる。大変結構だ。
――が、そういう事を聞かれているわけではないらしい。
「好きな子って……どういうのを言うんだ?」
それを聞いて、少年達は目を輝かせた。
女子部で大人気のケリーが、まさか恋愛音痴だったとは!
「ずっと一緒にいたい子だよ」
「いや、それじゃあ分からないんじゃないか?」
「そうだな……たとえばさ、戦に行く事になったとして、最後に会っておきたい子、って考えてみて」
具体的な状況を設定すれば、想像もしやすい。さあどんな名前が出てくるか、それとも――少年達が身を乗り出すと、ケリーは眉間に皺を寄せて当然分かっているはずの事を問い返した。
「なんで最後なんだ?」
「なんでって……生きて帰れないかもしれないだろう? 別れを惜しんでおきたい子――いない?」
「…………」
重ねて問われ、ケリーは考えてみる。
どこに行くにしろ、ダイアンはいなければ話にならない。ジャスミンは置いていこうとしても無理だろう。
――と、いうより。
「生きて帰れないかもしれないって、出かける前に思うのか?」
「え?」
「つまり、勝算もなしに戦うわけか? それは変だろう」
「いや、変って……」
「勝算がないなら戦う前に他の手段を講じるべきだし、勝つつもりなら別れを惜しむ気なんざおきないと思うんだが」
「えーと」
「いや、だって……」
少年達は困惑した。ケリーが何を言っているのか、よく分からない。
「だって、戦だよ!? なにがあるか分からないじゃないか!」
勝ち戦でも戦死者は出る。その一人にならないと誰にいえるのだ。
ケリーはきょとんと瞬いて、小首を傾げた。
「そりゃあそうだが、なんで戦に限るんだ? 事故でだって人は死ぬぜ」
「………………」
戦という非日常を、日常と同列に扱わないで欲しい――少年達は切実にそう思ったが、通じる気がしなかったので揃って口を噤んだ。
ケリーから何か聞きだすのは諦めて、少年達は当たり障りのない(と思われる)世間話を始める。
「そ、そういえばさ。また海賊が出たんだって」
「ああ、あれでしょう? 沿岸の町を襲って船で逃げるってやつ」
「前に親戚の別荘を襲われたよ。女中が三人殺されたんだ。僕の叔父さんが海軍にいるんだけど、最近の海賊は海賊の風上にも置けんって怒ってた」
いずこも同じか、とケリーは小さく笑う。
「今度はシッサスが襲われたらしいよ」
「そうなの?」
「うん。騒ぐだけはずいぶん騒いだそうだけど、たいして被害は出なかったんだって」
へえ、などと言っている少年達は、その襲撃の晩、ケリーが当のシッサスに居たなどとは夢にも思っていない。
荒事に慣れた歓楽街の男達が、突然の襲撃による混乱を治めて組織立った反撃を始めた途端、海賊達はとっとと引き揚げていった。
女子供と見なされて避難させられたケリーはといえば、屋根に登って高みの見物と洒落込みつつ、なかなか見事な逃げっぷりだ、などと呑気に考えていたものだ。
「でもさ、何で捕まらないんだろう。デルフィニアの海軍は優秀なのに」
少年の一人が、不満と疑念をあらわにそんな事を言った。なんとも微笑ましい、少年らしい誇りである。
「足が違うんだろう」
ケリーにとっては当たり前に分かりきった事情だ。
不思議そうな少年達に、何の気なしに説明してやる。
「大型船で小型船を追い掛け回して捕まえるのは至難の業だし、逆だと追い付けても足を止めるのは難しい。操縦者の腕ってのはもちろんあるが、船によってスピードやら小回りやらだいぶ違ってくるぜ。あとは……隠し港ってところか。目に付き難い入り江でも知ってるんだろうさ。待ち伏せ出来りゃいいんだろうが、拠点が分からなきゃそれも難しいからな」
なんとも微妙な表情で少年達は沈黙した。無言の頷きを交わし、一人が恐る恐る口を開く。
「………………なんでそんなに詳しいの?」
そりゃあ、逃げ回った過去がありますからとは、まさか言えないケリーだった。
「知ってちゃ変か?」
首を傾げれば、少年達は一様にため息をつく。
「いや、うん……いいよ」
「ケリーだもんね……」
「……うん」
どういう意味だ、と眉を顰めるケリーを尻目に、少年達は顔を見合わせて乾いた笑いを浮かべた。
後に黄金世代と呼ばれる者達の固い結束と連帯感は、こうして培われた――のかもしれない。
―― Fin...2007.10.24