長年の習慣
Written by Shia Akino
 サヴォア公爵ノラ・バルロが、国王主催の内輪の酒宴に参加すべくその部屋の扉を開いたとき、室内はなんとも微妙な空気に支配されていた。
 独立騎兵隊長であるところの黒衣の男は、まだ酒肴の並んでいないテーブルに突っ伏して微動だにしないし――僅かに見えている肌が鳥肌になっているのは気のせいだろうか――国王はなんだか肩を竦めて小さくなっている。
 ただ一人平然として長椅子にふんぞり返った――バルロにはそう見える――小生意気な少年に向かって、中央の花ともたとえられる大国の王が神妙に頭を下げるのを見て、バルロは思い切り顔を顰めた。
「申し訳なかった、ケリーどの」
「従兄上! 一国の王がそう簡単に頭を下げんでください!」
 それもこの、なんとも小生意気で偉そうで不敬の極みのような少年相手に、である。何があったか知らないが許しがたい。
「そうは言うがな、従弟殿。不快な思いをさせてしまったのだ。謝罪するのに国王も何もないと思うのだが……」
 突然怒鳴られた国王も慣れたもので、驚きもせずにそう反論する。
 人としては正しいが国王としては異例の見解に苦笑して、ケリーは軽く手を振った。
「あんたのせいじゃないだろう、気にすんな」
 飾らない台詞は案の定、サヴォア公爵のお気には召さなかったらしい。
 言葉に気をつけろ、といつもの怒声が飛んだところで、ウォルはようやく縮めていた肩を伸ばして座りなおした。
「それにしても……いやはや、見事だったな」
「というか見物だったぜ」
 ようやくいくらか復活したらしいイヴンが口を挟むが、バルロの前なのに取り繕っていないあたり、まだ余裕はないらしい。
「確かにな。生きた心地はしなかったが」
 重々しく頷きあうウォルとイヴンを交互に見やり、バルロは眉を寄せた。
「いったい何があったのだ?」
 ちょっと疲れたように肩を落として、ウォルが答える。
「今そこで、メルディス男爵と行き会ったのだ」
 その名を聞いた途端、バルロははっきりと顔を顰めた。
 無能なくせに気位ばかり高い貴族の典型だ。



 降って湧いた“王妃の息子”に懐疑的な者はもちろんいるし、中には当然反発する者もいる。
 そういった者の一人であるメルディス男爵と遭遇したのは、イヴンに連れられたケリーがウォルと合流して酒宴会場へと向かう途中の事だった。
 長い廊下の端のほうから国王の姿を目にしたらしい男爵は、直接言葉を交わす滅多にない機会を逃すまいと、鼻息も荒く近寄ってきた。
 王宮には不似合いな年頃の少年が国王の脇に立っているのを見つけると、男爵はまず怪訝な顔になり、それから嫉妬と嫌忌を表情にあらわし、最後に喜色満面の笑みを浮かべた。
 大変分かりやすく、底が浅い。
 イヴンは関わりたくないとばかりにそっぽを向いてしまったが、国王としてはそうもいかず、ウォルはとっとと立ち去るべく口を開いたが間に合わなかった。
 男爵は芝居がかった大声でお会いしてみたかったと感極まって見せると、口を極めてケリーを持ち上げ始めたのだ。
 わざとらしい褒め上げは、あからさまな嫌味に他ならない。
 それに対して少年は、にっこり笑ってこうのたまった。
「大変光栄です、閣下」
 王妃も芸達者であったが、この少年も相当なものだ。一見したところは実ににこやかである。
 あからさまな嫌味に気付かぬはずもないと知っているがゆえに、正視できないような気配を感じることも出来るが、でなければ何の疑いもなく言っている事を鵜呑みにしただろう。
 つまり、嫌味だと気付かず本気で光栄だと思っている、とだ。
 恐ろしい誤解である。
 その場に居合わせた不運を嘆く間もなく、ウォルとイヴンは内心で悲鳴じみた叫びをあげる羽目になった。
 即ち――誰だコレは!? である。
 普段のケリーを知っている者からすると、気持ち悪さに逃げ出したくなるほど礼儀正しく、愛想がいい。
 あまりのことに凍りつく二人を無視して、空々しい会話は続いていった。男爵はもはや侮る様子を隠しもしていない。軽侮も露わな言葉に対する、ケリーの殊勝な受け答えが、実に実に恐ろしかった。
 脂汗やら冷や汗やらを押し隠し、表面上だけはなんとか平静を保って、ウォルはどうにかこうにか引き止めようとする男爵からケリーを引き離す。
 少々顔が引き攣っていたのは致し方あるまい。
 男爵から充分に離れたところで、少年は愛想のいい大人しげな笑みを冷笑に切り替えた。
 無言の侮蔑を目にして胸を撫で下ろすというのも変な話だが、そこでようやく二人は息をついたのだった。



「いやしかし……完璧だったな?」
「まったくだ。付け入る隙がないってのはあのことだぜ」
 いい気分で扱き下ろしていた男爵はまるで気付いていないだろうが、追求すれば国王に対する不敬罪でも問えそうな言葉をぼろぼろぼろぼろ引き出されていた。
 少年の方はといえば、そんな言質は一切与えていない。あくまでにこやか、かつ控えめに――それだけかと思いきや、思い返してみれば恐ろしく巧みなあてこすりが随所に織り交ぜられているときた。
 しみじみと首を振りつつ、イヴンは深い溜息をつく。
「見物だったが、二度とごめんだな。気持ち悪いったらねぇ」
 愛想良く神妙で礼儀正しいケリー――鳥肌も立とうというものだ。
 ケリーはくつくつと喉の奥で笑い、そりゃあ悪かった、とさして悪いと思っていない口調で言った。
「王様は俺の後見だからな、顔を立ててみたんだが」
「……立ってたか、顔?」
 国王と王妃の息子は嫌味にも気付かないウスノロだ、とでも思われたのではなかろうか。
 イヴンは首を捻っているが、ウォルは充分だと思っていた。
 あそこでやり込めてしまっては遺恨が残るし、いつもの調子でやられては国王としての面目が立たない。
 ウォル自身は面目などどうでもいいのだが、下手に目をつけられたらその方が厄介だ。少年は侮られていた方が平和である。
「しっかしおまえ、堅苦しいのは苦手だとか言ってなかったか?」
 一部を除き、お貴族様との付き合いなど堅苦しいの最たるものではなかろうか。
「苦手だぜ? 俺はもともと、こういうのとはまったく縁がなかったしな」
「それにしちゃ巧くやってたじゃねぇか」
 呆れたようにイヴンが言えば、ウォルも頷く。
「うむ。まさかケリーどのがああまで腹芸が得意とは」
 王妃ならばここで否定の言葉を言うだろうが、少年は肩をすくめただけだった。
「なんだ、自覚があるのかよ」
「まあ、長年あんな調子でやってたからな。慣れもするだろう」
 表面上は和やかに、その実腹の探り合いをする相手など、政界にも財界にも山程居た。あんな小物は物の数にも入らない。
 ケリーにとっては正直な答えであったが、こんな年若い少年が言ったところで説得力のない台詞ではある。
「は! 一年二年を長年とは言わんぞ。どれくらいか言ってみるがいい」
 ここぞとばかりに鼻で笑って小馬鹿するバルロを見上げ、ケリーはちょっと首を傾げた。そうさなぁ、と呟きながら腕を組む。
「まあ……だいたい四十年位か?」
「………………」
「………………」
 疑問系で言われても。というかなんだその年数は。
 是非とも御教示いただかねば、などと思いっきりずれた事を言い出した国王を尻目に、バルロとイヴンは同時に同じ事を思った。
 ――聞かなかったことにしよう。
 それが正しい。


―― Fin...2007.11.30
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
ウォルは無意識に、ケリーは意識してやってそうな腹芸。

  元拍手おまけSS↓

 ラモナ騎士団長ナシアス・ジャンペールが、遅くなりましたと声をかけつつその部屋の扉を開いたとき、室内はなんとも微妙な空気に支配されていた。
 バルロとイヴンはそれぞれあらぬ方を眺めて遠い目をしているし、国王はなにやら勢い込んで長椅子に腰掛けた少年を掻き口説いている。
「いったいどうし――」
「聞くんじゃない、ナシアス!」
 親友の、戦場で聞くような鋭い声音にナシアスは息を呑んだ。何かと張り合う傾向にある独立騎兵隊長までもが、深く頷いて同意を示す。
 あげく、左右から腕をとられて部屋から連れ出されてしまった。
 ナシアスは焦ったが、少年も焦ったような声を張り上げている。
「いやだから、あんたは自覚がないだけで充分得意だって!」
 答える国王の声は、閉ざされた扉に阻まれて届かなかった。
 右腕を取ったままの親友を見やれば、バルロは苦虫を噛み潰したような顔で、話は後だ、と吐き捨てる。
 左腕を放した独立騎兵隊長は真顔で頷き、まずは奴らを止めねぇと、と廊下の端を見やった。
 視線の先には、酒肴を捧げ持った侍女の一団が近付いてきている。
 息子(と噂される人物)相手に腹芸指南を請う国王など、断じて見せるわけにはいかなかった。
文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
Copyright©Shia Akino