―― 懸隔の人物
Written by Shia Akino
[RED CloveR]→textの三次小説です。 この生徒と対峙するのは、妙に緊張を強いられる。
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
確かめたことはないが、同僚の誰もがそうだろう。 デルフィニア最高の教育機関で教師を務めるグレッグ・パドレスは、茶褐色の入り混じった白髪を、神経質な仕草で撫で付けた。 元の髪色は茶褐色だった。三十代半ばで三分の一ほどが白髪と化したのは、大部分が遺伝ではあろう。五十代を目前にした今、それは七割がところまで進行している。 そして、この生徒が現れてから白化速度が増した気がする。 「……では、どうあっても誓いは立てられないと?」 授業をサボるなというごく当たり前の事を告げるのに、何故これほど疲れなければならないのか。ましてや、もうしないと誓わせることすら出来ないとあっては、主任教師の面目丸つぶれである。 対する少年は緊張の欠片も見せず、軽く肩なぞ竦めてみせるありさまだ。 「申し訳ないが、出来ない約束はしない主義なんです」 申し訳ないなどと思っているようにはとても見えない。敬語すら取ってつけたように聞こえるのは気のせいではないだろう。 口先だけの誓いを立てないのは評価できるが、それほど難しいことを要求しているだろうか。生徒という立場なら当然守るべき規範ではないのか。もう本当にどうにかしてくれと言いたい。 あれやこれやのもろもろを、ため息一つにおさめる事に成功した。 「……ではまず、放棄した授業の補講を受けてもらう。放課後に残りなさい。最後にまとめてレポートを提出するように」 「構いませんが、補講は必須ですか? 先生もお忙しいでしょうし、レポートだけでよければこっちもありがたい」 あっけらかんというのに、頭を抱えそうになるのをなんとか堪える。 確かに、この生徒は優秀だ。始めのうちこそ常識外れで見当違いの言動も多く見られたが、もはや最高学年の生徒ですら太刀打ちできるかどうか。 要不要で言えば、レポートすら不要だろう。だが、身分に関わらず平等を謳っている以上、お咎めなしというわけにもいかないのだ。 「罰則は無期限の外出禁止! しばらく外出許可は出さないから、そのつもりでいなさい。退室してよろしい!」 少年の台詞は気力で黙殺した。これ以上何か聞かされたら、喚き出さない自信がない。 一礼して踵を返す少年を見送り、扉が閉まるのを確認して、特大の溜息と共に机に突っ伏した。 総白髪になる日も遠くないかもしれない。 グレッグ・パドレスは、今の身分に満足していた。 小身貴族の三男という箸にも棒にも掛からない身としては、デルフィニア最高の教育機関で教師を務めるというのは望外の栄誉だ。 騎士として身を立てるには少々剣術がお粗末だという自覚があったし、未来を担う子供たちを育てるのは存外楽しかった。 家督を継いだ長兄とも、騎士団に所属している次兄ともそれなりに仲良くやっているし、嫁いだ娘は先頃可愛い孫を産んだ。 もう一度言おう。 グレッグ・パドレスは、今の身分に満足していた。 ――過去形である。 あってはならない時間に、あってはならない場所で、いてはならない人物を見かけてしまった時、彼は教師という身分を心底呪った。 ――何故、夜のシッサスに、生徒がいるのだ。 それも外出禁止を言い渡したばかりの相手である。こんな罰が身に沁みるだろうかとは思ったが、まさか即日無視されるとは考えていなかった。 と、いうか。 「……どうやって出てきたんだ?」 脱走手段に思いを馳せる暇はなかった。気付いた次の瞬間には少年もこちらに気付き、しまった、という顔をする。連れらしい大きな男がその様子を見て、いぶかしげにこちらを見やった。 「失礼。私は寄宿学校で教師を務めるグレッグ・パドレスと申しますが――」 見ぬ振りも出来ずに声をかけると、立派な体躯のその男は黒い瞳を輝かせて破願した。 「ケリーどのの先生か!」 人の良さそうな笑顔はふいに曇り、今度は申し訳なさそうに肩を縮める。 「いや、申し訳ない。ようやく時間が取れたのでどうしても飲みたくなってしまってな、脱け出してもらったのだ。大目に見てやってはくれまいか」 「そりゃ無茶ってもんだろう。主任教師だぜ?」 脇から少年がぞんざいな口調で割って入る。 「しかしケリーどの――」 「だからそれはやめろって。こんなとこじゃ目立ってしょうがねぇよ」 「では、ケリー。俺のせいで罰則を受けるというのは、どうも……」 なにやらごちゃごちゃと言い合い始めた二人に、首を傾げる。 体格や身のこなしからして、男はおそらく戦士か用心棒の類だろう。着ているものは質素だがどこかしら品があるので、貴族の屋敷に仕える騎士かもしれない。 ――その騎士と、生徒の関係がよく分からない。 少年の口調はぞんざいだが、男は概ね丁寧な態度を取っている。だがそれは主従といったものではなく、生来の気質によるものと思われた。 どういった身上のものだろうかと首を捻っていると、男が顔を上げ、先生、と呼んだ。 「はい?」 「俺は少々やっかいな職に就いておりまして、次にいつ時間が取れるか分からんのです」 なにを言いたいのか分からず、はあ、と言葉を濁す。 「見つかってしまった以上罰則は仕方がないとケリーは言っているのですが、どうせ罰則を受けるなら飲んでからでも遅くはありませんか。どうでしょう、先生も御一緒に」 「――は?」 訳の分からない理屈に虚を突かれて、一瞬思考が停止した。 「ケリーどのの学校での様子を、是非お聞かせ願いたい」 やんわりとしていながら強引な誘いに押し切られたような形で、結局居酒屋の片隅で卓を囲んだ。 シッサスは悪所とも言われるが、旨い食事を出す店は多い。妻が娘の嫁ぎ先へ出かけていて留守なので、夕食がてら少し飲もうと出てきたところだったから、飲むのは別に構わない。 ――が、なにがどうしてこうなったのか、いくら考えても分からない。 男は上機嫌で盃に酒を注ぎ、差し出してくる。少年も子供が飲むようなものではない強い酒を旨そうに口にしているが、咎められる雰囲気ではなかった。 明かりの下で改めて見ると、男の顔立ちに見覚えがあるような気がしてならない。 「どこかでお会いしたことがありませんか?」 聞いてみると、男はちょっと首を傾げた。かわいらしい仕草だが、妙に似合う。 「よく言われるが、ないと思うぞ。ウォルと呼んでくれ」 だいぶん砕けてきた男の言い様に、なんだか諦めを誘われた。 少年は何故か苦笑するような呆れるような顔をしていたが――投げやりな気分になっていたので、特に問い詰めはしなかった。 もちろん、ひどく後悔する事になろうなどとは、思いもしなかったのである。 存外楽しい夜だった、とグレッグ・パドレスは考えた。 経緯についてはいまだに釈然としないが、食事を共に楽しむ相手としては申し分ない人物であった。認めたくはないが、少年ですらそうである。 寄宿舎とは方向が違うというウォルと別れ、少年が向かった先へと同じく足を運んだ。 「官舎はこっちじゃないだろう」 取ってつけたような敬語は学校内限定とでも決めているのか、少年の口調は終始ぞんざいであった。いまさら諌める気も起きない。 「送るよ」 簡潔に言うと、少年はひどく奇妙な表情をした。 女子供じゃあるまいし――と呟くのを耳にしたが、何を言っているのやら。生徒というのは子供である。 確かに、随分と強い酒をかなりの量飲んでいたにもかかわらず、足取りにも口調にも乱れはない。送る必要があるようには見えなかったが。 「これは教師の義務だ。後で脱走手段を白状してもらうから、そのつもりでいなさい」 結局一緒に飲んだ身では威厳も何もあったものではないが、せいぜい重々しく告げる。 「罰則も覚悟するように」 覚悟させたところで、たいして応えやしないのだろうが。 「――ところで、ウォルとはいったいどういう関係なんだい?」 気にはなっていたが結局分からなかった事を問うと、少年は苦笑を噛み殺すような憐れむような複雑な表情を浮かべた。 「聞かない方がいいと思うぜ?」 なにを言っているのだと非難を込めて見やれば、肩を竦めて簡単に答える。 「あれは俺の後見人だ」 一気に酔いが醒めた。 この少年の後見人が誰なのか、学内で知らない者はいない。 「まさ、まさか……」 陛下とは直接言葉を交わしたことはないし、間近で顔を合わせたことすらないが、言われてみればあの男の黒い髪も黒い瞳も大柄な体躯も国王の特徴と一致する。 仰ぎ見た壇上のあの方は威風堂々といかにも威厳に満ちて、親しみやすい好人物であったあの男とは似ているなどととても言えない――が、顔立ち自体は似ていた気もする。 それよりなにより、国王の名が。 ウォル・グリーク・ロウ・デルフィン。 「そん、な……」 ウォル――と、呼んだ気がする。いやそう呼んでくれと言われたからだが、言われたからといって呼んでいいものではない。それにずいぶんくだけた話し方をしていた気がする。給仕もさせたのは思い違いではないはずだ。 ――不敬罪以外のなにものでもない。 血の気の引くのが自分で分かった。倒れないのが不思議なくらいだ。 「まあ気にすんな。あれはとことんおかしな王様なんだ。気にするだけ損ってもんだぜ?」 「――無理だ」 あいも変わらずぞんざいな口調に、あえぐように返す。 無理だし無茶だ。気にしない方がおかしい。 「じゃあなにか。相手が王様だから、規則違反は大目に見てもらえるってわけかい?」 聞き捨てならない台詞に威儀を正し、試すように見上げてくる生徒と視線を合わせた。 「そういうわけにはいかないぞ。後見が誰であろうと……相手が誰だろうと、だ。君が生徒であることは事実だろう。生徒には規則に従う義務があるんだ」 きっぱりとそう告げれば、少年はくつくつと喉の奥で笑った。 「じゃあいいじゃねぇか。あいつがどんな職についていようと、どんな身分だろうと、だ。わざわざ口にしなかったのは、そう扱って欲しくなかったからだろう。デルフィニア人には、その意志に従う義務があるんじゃないのかい」 あれはただのウォルで、俺はただの生徒だ――そう言う生徒を唖然として見やる。 わざわざこちらの言葉を真似て言われた台詞で、その思惑に気付いた。 国王が言わなかった事をあえて口にしたのは、驚かせてやろうというような子供じみた考えではなく、後で気付いて一人で取り乱すよりは今のうちにフォローしておいた方がいいという判断だったのだ。――おそらくは。 「君は――」 言いかけて、思い直す。 「いや……いい」 少年が何者であろうとも、教師にとってはただの生徒だ。 ――そうあるべきだ。 聞かなかったことにするよ、と溜息と共に言えば、少年が友人にするように背を叩く。 労わるような意思を感じて、ひどく複雑な気分になった。 こののち、グレッグ・パドレスはケリーに対する苦手意識を覚えることはなくなった。 未だに緊張感は伴うが、これは畏れだ。 ――器が違う。 認めてしまえば折り合いを付けるのは容易だった。 ただの子供でないのなら、別段恥ずべきことでもない。 いずれは仕える事になるのかもしれないし、そうなれば喜ばしいと心から思った。 だが、今は教師と生徒である。 せいぜい則となる教師でいようと、彼は鋭意努力している。 ―― Fin...2008.02.14
ケリーはリィより人の気持ちに聡いと思います。聡いって言うか、リィならフォローしないよね。やはり元財閥総帥としては、先回りでフォローくらい出来ないと!(笑)
「懸隔」は、Yahoo辞書の大辞林の方にだけ「普通とはかけはなれているさま」という意味が出てました。懸隔なのはケリーかウォルか……。 元拍手おまけSS↓ 「――君が生徒であることは事実だろう。生徒には規則に従う義務があるんだ」 息も絶えようかという風情だったくせに、彼は突然持ち直してきっぱりと告げた。根っからの教師なのだ、とケリーはちょっと笑う。 身分社会が根を張ったこの世界で、たとえ大部分が虚勢であろうと、後見が誰でも関係ないなどと言い放てるとは大したものだ。 身分に関わらず平等という、形骸化しかけたお題目を律儀に守ろうとするこの教師が、ケリーは嫌いではなかった。最期まで女王をお嬢様と呼んだ、頑固な執事を思わせる。 それでいて、結局一緒に飲んだあげく楽しそうにしている辺り、融通が利かないわけでもないらしいのが面白い。 それにしても、身分というのはそれほど大したものだろうか。 その感覚は、ケリーにはさっぱり分からない。 いまだ血の気の引いたままの教師を見やり、ケリーは思った。 (あいつは今度から、王様のウォルって名乗るべきだな) ウォルの気持ちも分からないではないのだが、相手のことも考えてもらいたい。 いつだかに王妃が言われたことをそれと知らずに考えつつ、ケリーはフォローのために口を開いた。 文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
Copyright©Shia Akino |
||