―― 風の似姿
Written by Shia Akino
[RED CloveR]→textの三次小説です。
デルフィニア政府の内情を知らない者にすれば意外なことに、タウの領主はコーラルに屋敷を持っていない。
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なんとか受け取らせようとする国王と、家ならタウにあると言って固辞する領主の攻防は、今のところ領主側の全勝だ。 ちなみに独立騎兵隊長は、奥方をタウの宿舎に連れこむわけにもいかず、奥方の実家を無視して王宮に泊まりこむわけにもいかず、奥方の実家に入り浸るのも気疲れするという現実の前に敗北した。 そういうわけで、ジルは王宮に来たときはイヴンの屋敷かタウの宿舎に泊まる事が多い。 今回珍しく王宮に部屋を用意してもらったのは、妻を伴っての訪問だったからだ。 「おかえりなさい、ジル」 娘のような年齢のかわいい妻の頬に接吻をして、ただいま、と返す。それからテーブルの上を見て、ちょっと驚いた。 「おや。その時計、もう直ったのかい?」 修理に出すと言って持ち出したのは今日の今日だ。時報の鐘と共に、小さな絡繰り人形が滑らかな動きを見せる高級品である。一日二日で直るとも思えない。 「ケリーが直してくれたんだ」 意外な名を聞いて、ジルは目を瞠った。 魔法街の雑踏の中、行儀悪く蒸し饅頭をくわえて陳列窓を眺めている少年を見止めて、アビーは驚いた。 「ケリーじゃないか!」 いきなりタウを訪ねてきて、なんだかあっさり馴染んで、とっとと帰った少年のことはまだ記憶に新しい。 よう若奥さん――と、少年は蒸し饅頭を片手に手を上げて見せた。 「ジルも来てるのか?」 「うん、いつもの報告。たまにはあたしも来てくださいって、ポーラさまが言ってくれたんだ」 明日は茶会に呼ばれてるんだと、アビーは誇らしそうに笑う。 「そりゃ良かったな」 微笑ましいとでも言いたげな表情は少年の姿形には似合わないが、ケリーだと何故かしっくりくる。 並んで歩き出しながら、ごくさりげなく荷物を取り上げられてアビーは戸惑った。女性として扱われるのに慣れていないのだ。 「これは? 時計か?」 荷物を掲げてケリーが聞くので、戸惑いの代わりに怒りが沸きあがった。 「そう、絡繰り時計。じいちゃんに貰ったんだけど、壊れちゃってさ。タウじゃ直せないからわざわざ持ってきたのに、直せないとか言いやがった、あの時計屋!」 憎憎しげに吐き捨てる。 なんでもそうとう古い品で、王族が持っていてもおかしくないような逸品なのだそうだ。直せる技術者は多くない。 どこで手に入れたんですかと疑わしげに聞かれ、あんまり頭にきたので勘定台に蹴りを入れて出てきてしまった。 たしかにこの時のアビーの格好では、そんなものを持っていてもおかしくない貴婦人には見えないだろう。 実際タウの通行料だったのかもしれないが、その祖父はまた祖父から受け継いでいる。もういまさら時効じゃないのか。 「お城の傍の店かペンタスならとか言ってたけど、そんなの、たっかい修理代ふっかけられるに決まってるじゃんか! ねえ!?」 憤然と同意を求めたが、少年は頷かず首を傾げた。 「直そうか?」 「――え?」 「本職じゃねぇが、まあなんとかなると思うぜ。工具を借りなきゃならんが」 その本職が匙を投げた代物をどうしようというのか。 アビーはちょっと悩んだが、まあケリーだし、という事で無礼な時計屋に案内した。 作業場を使わせてもらいたいとの申し出を、時計屋は馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべて了承する。 ケリーは作業台に時計を置くと、ねじを巻いてみたり、針や絡繰りを慎重に動かしてみたりしてから、おもむろに分解を始めた。 「ままま、待て小僧! どこにどんな部品がどんな風に入っていたかちゃんと描いておかんと! 設計図はないんだぞ!?」 悲鳴じみた時計屋の台詞に、きょとんと瞬く。 「覚えときゃいいだろう、それくらい」 「いくつあると思ってるんだ! こんな細かい細工……百じゃきかんぞ!? あ、うわ、――わあぁ!!」 うるさい時計屋は無視することにして作業を進める。 時計も絡繰りも原理は同じだ。ぜんまいや螺子や歯車が、力を伝え、増幅して機巧を動かす。 電子回路と似たようなものだ、とケリーは思っていた。力の流れの滞っている部分が故障個所である。 もっとも、大方の者にとっては同意できない考えであろう。絡繰りと電子回路を同一視するなど、無茶苦茶にも程がある。 「直接の原因はここだな。歯車が欠けて挟まったんだ」 歯車のひとつをちょっと示してから、手を止めずに分解を続ける。 「このぜんまいはだいぶ伸びてるし、こっちの歯車はひびが入ってるぜ。この辺はだいぶ磨耗してやがるし――当時の材質ってのにこだわらねぇなら直しておくが」 「う、うん……頼むよ」 時計屋の慌てようにアビーはちょっと不安になったが、もう他に言いようはない。 いつの間にか時計屋は沈黙して、食い入るようにケリーの手元を凝視していた。 門外漢のアビーでさえ、素晴らしい手際だと分かる。 「す――すごい……」 驚嘆と称賛の呟きが時計屋の口から漏れた。 ほとんど恐怖しているような声音に、専門外なんだがな、とケリーは苦笑する。 「じゃあ専門は――」 「主に船だ」 「船!?」 時計屋は当然のことながら、少年が造船に携わっているのだと思った。年齢からして、船大工の弟子なのだろうかと。 彫金でも彫刻でもそれほど驚きはしなかっただろうが、船とは。 こういった細かい細工と、船や建物といった建造物では、求められるものがまったく違うのだ。専門外どころの話ではない。 だがもちろん、ケリーが言ったのは宇宙船である。 普段はダイアナがいるとはいえ、基本的な整備や修理がこなせなくては、一人で宇宙に乗り出すなど出来るわけがない。 機械類と細工物もだいぶ違うが、細かい作業という点では建造物よりはまだ近いだろう。 そのうえケリーの義眼は、コンマ以下のずれでも計測できる。 金属片から歯車を削り出しながら、目も上げずにケリーは言った。 「本職は船乗りだがな」 財閥三代目総帥のみならず、総帥時代にくっついた“国際なんとか連盟会長”だとか“経済なんとか会顧問”だとか“環境なんとか団体名誉会長”だとかのあれやこれやはまとめて黙殺である。 「船乗り!!?」 耳を疑うとはこのことだ。 むしろ正気を疑いたい。 目を白黒させている時計屋は、もういっそ正気ごと意識を手放したかったに違いない。 「器用な子だとは思ってたけど、すごいよね。時計屋もびっくりしてた」 「そうだろうなぁ……」 ジルは苦笑する。 アビーは素直に感嘆しているが、彼女はあの少年にそこそこ慣れている。耐性のない時計屋の心中を思うと同情を禁じえない。 「でも専門は船なんだって」 「ほう」 「で、本職は船乗りなんだってさ」 なんだそれは――と、バルロあたりなら喚いただろうか。 ジルは片眉をあげるだけで驚きを表現してみせた。 「わけ分かんないよね、子供のくせに」 肩をすくめて同意を示し、アビーはちょっと溜息をつく。 「王妃様は太陽みたいな人だったけど、あの子はなんだか風みたいだよ。よく見えないし、捕まえらんない」 「ああ、言い得て妙だな」 ジルは頷いて、己の妻を誇らしく見つめた。 彼女は、見る目があるだとか勘が鋭いだとか機微にさといだとかはお世辞にも言えないが、本質を過たずに捉える力を持っている。 ケリーは、そう――わずかな隙間からでも吹き込んで、いつの間にか傍らを過ぎる。そばにあっても捕らえられず、意のままにならない。まさに風だ。 ジルは暮れかけた空を見上げ、王宮の芸術品のような庭に目をやった。 恐らく――と、思う。 あの少年が猛ることがあったなら、被害は甚大なものになるのだろう。大木も豪邸もひとたまりもなくなぎ倒す、巨大な嵐のように。 夕映えの梢を揺らしているあの穏やかな風と、それは同じものなのだ。 今はただ穏やかに見える少年を、多少強引な手段をとってでもタウに招き入れたいと思っているらしい組頭達に、彼の意思を阻むことだけはするなと厳命しておいたほうがいいのかもしれない。 ―― Fin...2008.02.28
ケリーの主な仕事先はシッサスだが、魔法街にも昼用の拠点と縄張りを持つ裏組織は少なくない。 時計屋はごく善良な一般市民であったが、打ちのめされた彼がしばらく仕事を休んだことで、ケリーの特技は裏社会にも伝わった。 雑用仕事に加え、時計や装身具のみならず、なにを勘違いしたのか織機だの楽器だのの修理を依頼されるようになり、ケリーが頭を抱える事になるのはもうしばらく後の話。 文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
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