―― 疑惑の効能
Written by Shia Akino
[RED CloveR]→textの三次小説。
王様シリーズベースです。
「ふ――ふざけるなぁっ!!」
 ビリビリと空気が震えた。
 サンセベリア東端、国境沿いの砦を視察中だったホーリー・ダルトンは、ぎょっとして思わず足を止めた。
「なんだぁ?」
 目を丸くするダルトンに、案内の新米が直立不動で答える。
「不法入国者を一名、取調べ中であります!」
「そりゃ珍しい」
 何処から来たにしろ何処へ行くにしろ、中途半端な位置にある小さな砦である。普通の密入国者はこんな所は通らない。
「見てってもいいかね?」
「は! もちろんであります!」
 最敬礼の新米に連れられて辿りついた扉を開けた途端、またしても怒声が響いた。
「真面目に答えろと言っているのが分からんかぁっ!」
 思わず耳を押さえた。
 慣れているのか新米も警備兵も少し肩をすくめただけで、同様に耳を押さえているのは唯一人――珍しい髪色の、少年と言っていい年頃の若者だけだ。
「怒鳴らなくても聞こえるって、何度言ったら分かるんだ……」
 うんざり、といった声色である。気持ちは分かるが、拘留された密入国者にしてはふてぶてしい態度だ。
「貴様が真面目に答えんからだろう!」
「この上なく真面目に答えてるじゃねぇか」
「真面目だと!? ただなんとなく西に行ってみる気になって、ただなんとなく歩いてただけで、国境がどこか知らなかった! これのどこが真面目なんだふざけるなぁっ!!」
「ふざけてねぇよ。抜ける気だったらもっと巧くやるって」
「きっさまぁ……」
 若者のあっけらかんといた物言いに、ダルトンは吹き出しかけて慌てて口元を押さえた。
 司令官は茹でた蛸のようになってブルブル震えている。
 そこに、荷物を改めていた兵が慌てた様子で駆け寄った。
「司令! 荷物の中に――こんなものが」
 受け取ったそれをつくづくと検分し、司令官はこれ以上赤くなりようがないほど真っ赤になった。
「何の冗談だこれは! ええっ!?」
 怒鳴りつつ、机の上に叩きつける。びろりと伸びた紙の端が、木製の質素な机から床の上へと垂れた。
「ああそれな……冗談だったら良かったんだがな……」
 ははは、と若者は乾いた笑いを漏らす。
 はて――あれは何だろう、とダルトンは思った。
 さして広くもない部屋である。扉の前に立ったままでも身分証らしい事は見て取れたが、それにしては長い。非常識に長すぎる。
「あっしにも見せてもらえませんかね?」
「これは……ダルトンさま」
 司令官はようやくダルトンの姿に気付いたらしい。今度は見事なまでに真っ青になって場所を譲った。
 身分証らしき紙を手に取ったダルトンは、非常なしかめっつらで低く唸る。
「…………こりゃまた……ずいぶんふざけた身分証を作ったもんだ」
 怒りを抑えているような声音だが、実のところそれは必死で笑いを堪えた結果であった。
 非常識に長すぎるのも道理――女官長に宰相にドラ将軍に独立騎兵隊長、ラモナ騎士団長にサヴォア公爵に果ては国王まで――デルフィニア政府の中枢がそっくり丸ごと身元保証人として名を連ねているのだ。まったく冗談としか思えない。面白すぎる。
「こいつの身柄はあっしが預かりやしょう」
「は……いや、しかし……」
「こりゃ王宮で詮議した方がいいと思うんでね」
 多大な努力の上で真面目くさって告げれば、司令官は逡巡しつつも曖昧に頷いた。
 少々奇妙な位置付けにあるとはいえ、ダルトンは中央の役人である。こんな小さな砦の司令官に否とは言えない。
 こうして、若者の身柄は王宮へ移されることとなった。



 護送用馬車の居住性は、当然ながら悪かった。
 格子のはまった窓の小ささは仕方のない事としても、座面が堅い木のままというのはいただけない。絹張りまでは望まないがせめて布張りにして欲しかった。
 容赦なくガツガツ揺れる馬車の中で、ケリーはそろそろ退散すべきか否か考えている。
 なんだか面白い男が出てきたのでもうしばらく付き合ってみてもいいかと思ったのだが、このまま王宮に連れ込まれても面倒だ。
 ――と、そのとき馬車が止まった。
 警備も御者も断って自ら手綱を取っていた男が、ひょい、と窓から中を覗く。
「さて、坊っちゃん。ちょいと話をしましょうや」
 そう言って頓着なく扉を開くと、罪人のはずのケリーを手招いた。
 やはり面白い男である。
 中央の役人との事だが、言葉遣いといい身なりといい、とてもそうは見えない。山賊とでも言った方がまだ通りは良いだろう。
 招かれるままに馬車を降り、ケリーは大きく伸びをした。
 馬車が止まっているのはどこか小さな山の中で、人の姿は影もない。
「まずはお詫びをするべきでしょうな。身元のしっかりした御方に対する処遇じゃありやせんし」
 そんなことを言って頭を下げる男に、ケリーは眉を上げて見せた。
 あの冗談のような身分証で吹き出しかけていたくせに、本物だとは思っているらしい。
「あっしは中央の人間でしてね。ウォル王の署名も見た事があるんでさぁ」
 男はひょいと肩をすくめた。どうにもとぼけた仕草である。
「偽造だとは思わないのか?」
 むしろそちらが普通の反応だろうが、ご冗談でしょう、と言って男は大げさに驚いて見せた。
「偽造ならもっとそれらしく作りますって。ふざけてるとは思いますがね」
 あの王様ならこんなのもありでしょう、と目を細める。
「実はですね、こういう物を持っていそうな人物ってのに心当たりがあるんでさ。いっとき派手な噂も立ちましたしね」
 即時通信手段のないこの世界では、口伝えの情報は距離にしたがって劣化する。元が根も葉もない噂話であるし、ここいらでどうなっているかは聞くのも恐ろしいのだが――。
「そりゃ、たいした地獄耳だと言うべきかな」
 どうやら正確に知っているらしい男の様子に、ケリーは苦笑した。
「愚にも付かない噂話を集めるのが仕事みたいなもんで」
 言外の肯定に満足そうに笑い、男は没収されていた武器と身分証を返してよこす。
 耳目のある場で本物だと騒がず、大事にしないでくれたのは有難いのだが――サンセベリアにも変わった家臣がいるものだ。これではいわゆる逃亡幇助である。
「代わりと言っちゃなんだが、ちょいと頼みがあるんでさぁ。聞いてもらえますかね?」
 やはりとぼけた口調で言い出した男を、ケリーは改めて面白いと思った。



 サンセベリアは小さな国だが、ここ数年めきめきと力をつけてきている。若木が枝を伸ばすような目覚しい成長ぶりは、もちろんあの大戦に寄るところが大きい。
 東の風も今ではすっかり弱まり、周辺諸国を惜しみなく照らすデルフィニアの太陽が、サンセベリアにも多大な恩恵をもたらしていた。
 サンセベリア国王オルテスは、その太陽に取って代わるという野望を叶えるつもりも叶うと思ってもいなかったが、捨てるつもりもまたなかった。
 兄から奪ったこの国を思う様切り回し、押しも押されぬ大国へとのし上がるつもりでいる。
 だからつまり――忙しい。
 役には立つが少々煙たい家臣の訪問は、故に歓迎されることはなかった。
「今度は何だ?」
 オルテスは書類から目も上げずに言い放つ。
「へぇ、ちょいとお耳に入れておこうと思いまして」
「私は忙しい。手短に話せ」
 邪険な態度は、次の台詞で凍りついた。
「リリア王妃様んとこに、このところ若い色男がちょくちょく出入りしているようですぜ」
「――なんだって?」
 愕然と顔を上げれば、毛色の変わった家臣はにやにやと笑みを浮かべている。
「いやぁ、屋敷の中のことまでは分かりかねますがね。楽しそうなご様子だとか」
 これはふざけた男だが嘘は言わない。そういう意味では、オルテスはダルトンを信用していた。
 そういえば、と思う。
 ここしばらく、リリアとは顔を会わせてすらいなかった。最後に会った時も二言三言言葉を交わしただけで、どんな様子だったかも思い出せない。その前となると――いつだったかすら思い出せなかった。
 それでも裏切ることなど有り得ないと、リリアに限ってそんな事はないと、無意識に信じていた自分に改めて愕然とする。
 受けた衝撃の大きさに、オルテスは重ねて衝撃を受けた。努めて何でもない風を装ってダルトンを下がらせたが、書類などもう、見ても頭に入らない。
 少し考えてから、オルテスは席を立って王妃の屋敷へ足を向けた。



 楽しげな笑い声が扉の向こうから聞こえてくる。
 小間使いの案内を待たずに押し入って来たオルテスは、扉の前で僅か逡巡した。
 本当にあの方らしいですわ――と、鈴を振るような妻の声が耳に届く。答える言葉は聞き取れないが、確かに男の声だった。
「まあ……陛下」
 扉を押し開けたオルテスの姿に、リリアが目を丸くして立ち上がる。
「いらっしゃるならご連絡をくだされば、おもてなしの用意を致しましたのに……」
 そのどこか戸惑った様子に、オルテスは眉を寄せた。
「来てはいけなかったかな?」
 感情のこもらない言葉に、そんなことは――と、リリアは俯く。
 それを一瞥して、オルテスは室内へと目をやった。
 王妃の屋敷だけあって、部屋は贅を尽くした品々で彩られている。庶民であれば触れる事すら恐ろしいはずのその中にあって、ゆったりと寛いだ風の男の姿があった。男というよりも青年、といよりむしろ少年とすらいえる若者だ。
 黒にも見える濃い紫の髪と浅黒い肌――対して明るい琥珀の瞳と、鋭く整った美貌がオルテスに向けられている。
 子供ではないか、とオルテスは思った。
 確かに若いし色男だが、いかんせん若すぎる。しかし――。
「ようこそ、オルテス陛下」
 薄く笑って告げる様子の、なんと不敵で自信に満ちていることか。己の力量を知り抜き、またそれに自負もある、一人前の男の顔だ。
「……それは私が言うべき事でしょう。ようこそ、御客人」
 低く言えば、若者は笑みを深くする。
 恐縮するどころか面白がられているような気配を感じて、オルテスは密かにこぶしを握った。
 危険な魅力に溢れた男だ。
 少々若すぎるとはいえ惑う女は数知れないだろうが、リリアがそうだとは思いたくない。
 オルテスが口を開く前に、若者は未練もなく腰を上げた。
「俺はここでお暇しよう」
「そんな――」
 小さく言って若者に近寄ろうとするリリアを、思わず手を取って引き止める。
「そこの陛下が来るまで、という約束だったろう?」
 若者が柔らかく、言い聞かせるような調子でそう口にする。
 でも、と返すリリアの背に、オルテスは鋭い視線を当てた。
 未練がましいことを言っているのは、己の妻だ。――この国の王妃なのだ。
「リリア」
 国王の妻を、王妃の名を、何の気負いもなく呼び捨てて若者は笑んだ。
「さっきの我儘を直接言ってみるといい」
 ぴく、とリリアの肩が震える。
「いいね?」
 逆らい難い声の響きに、リリアが硬い動きで小さく頷く。それにまた笑んでから、若者は身を翻して出て行った。
 ――窓から。
 誰かを思わせるその動きに反射的に後を追いかけ外を見るが、すでに影も形もない。
 歯噛みしたオルテスの背に、陛下、と硬い声がかかった。
「我儘を、言ってもよろしいでしょうか」
 悲壮な顔つきの妻が何を言い出すのか、聞きたくない気もしたが矜持が許さなかった。
「――言ってみるといい」
 責めるような響きになったのは仕方があるまい。
 睨むような視線に耐えられなかったのか、リリアは幾度かあえぐような呼吸をしてから俯いた。ドレスの端を握りしめ、かすかに震えながら、消え入りそうな言葉が紡がれる。
「お忙しいのは……分かっております。国も民も大切です。ですが、どうか……どうか、わたくしの事も見てください」
 オルテスは目を見開いた。まるで予想もしていなかった言葉に、息を呑んで立ち尽くす。
「わたくしには陛下だけなのです。どうか、お見捨てにならないで……」
 搾り出すような声の最後に、リリアは両手で顔を覆った。細い肩が震えて微かな嗚咽が漏れる。
 これほどに寂しく、不安な思いをさせていたなど、まるで気付いていなかった。
 後悔と羞恥が押し寄せてきて、オルテスは突き動かされるように妻を抱きしめる。震える背を、肩を、髪を、幾度も撫でて繰り返した。
「すまない……すまなかった」
 堰を切ったように声を上げて泣き始めた妻をきつく抱きしめ、二度とこんな思いはさせまいと、オルテスは固く心に誓った。



 その頃ホーリー・ダルトンは、自室の肘掛け椅子に寛いで一人酒盃を呷っていた。
「お二人はうまくいきましたかねぇ」
 独り言のつもりでぽつりと言うのに、いっただろう、と答えが返る。
 開けてあった窓から勝手に入ってきた若者は、向かいの椅子に納まって勝手に酒瓶に手を伸ばした。用意してあった酒盃に気付いてそれも手に取る。
「ここの王様は結局、リリアにベタ惚れみたいだからな」
「おや。お分かりですかい」
「そりゃあな。男が出来たかも、ってんですっ飛んで来たんだろう? 睨み殺されるかと思ったぜ」
 ダルトンが若者に頼んだのは、このところ沈みがちなリリア王妃にグリンディエタ王妃の話をして慰めて差し上げて欲しい、という事だけだったのだが――どうも読まれていたらしい。
 騙し討ちの荒療治が上手くいくよう、期待以上に一役買ってくれたらしい若者へ改めて礼を述べる。
 手酌で盃を空けながら、まさか間男をやらされるとは思わなかったぜ、とケリーは笑った。
「まあ、リィの愛人だなんて聞いちゃあな。泣かせたまま放っておいたなんて知られたら、怒られそうだ」
 というのは冗談としても。
「リリア様が美人だからじゃなかったんですかい?」
「もちろんそれもある」
 軽口に軽口で返せば、ダルトンはひひひと下品に笑った。
「口説いてはみなすったんで?」
「いや――」
 ケリーはちょっと首を傾げて、儚い風情のリリア王妃を思い起こした。
「ああいう、触ったら壊れそうなのはどうもな」
 危なくていけない。
「俺にゃあやっぱ、殺しても死なないようなのが似合いだろうぜ」
 片頬で笑って盃に口を付けたケリーの台詞が、特定の誰かを思い浮かべてのものにダルトンには聞こえた。
「まさかとは思いやすが……グリンディエタ王妃様の事じゃねぇでしょうな?」
「――っ!」
 げほがはぐほ、とケリーは思い切りむせ返る。
「違うんですな?」
 激烈な反応に答えは見えたが、ダルトンは一応念を押した。
 ダルトンにしてみれば、殺しても死なないような女などそれくらいしか思い浮かばない。あんなのに惚れたら人生終わりだとは思うのだが――この若者ならば、意外と似合いの一対になってしまいそうでなんとも恐ろしい。
「………………違ぅ」
 かつて覚えがないほど深刻なダメージに見舞われ、ケリーはぐったりと机に懐いた。
 ケリーにしてみれば、リィは孫と同い年の少年なのである。本来の年齢の女性姿で目の前にいれば、口説いてみてもいいくらいではあるのだが――いかんせん、とっさに思い浮かべるのは少年姿の方なのだ。
「いくら美人でも男はごめんだ」
 しかも亭主持ちじゃねぇか――机に向かってぼやいてみる。それがまた疑いようもなく相思相愛の夫婦だ。間男の出る幕など欠片もない。
 しかしダルトンは聞いていなかった。そりゃあ良かった、なんぞと一人で頷いている。
「あんなのに付き合ってたら、こっちの命が危ねぇですからね」
 何故か満足そうなダルトンを見やって、ケリーは思った。
 “あんなの”と良く似た印象の妻があることは、言わないほうが良いのだろう。


―― Fin...2008.03.12
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 身分証シリーズ(?)その2。リリア王妃間男疑惑。
 オルテスさんは上場志向が強くて、時々足元が見えてない感じ。
 危機感を煽ろうとするダルトンと踊らされるオルテス。本音で喧嘩でもしてくれれば万々歳というダルトンの思惑を、ケリーが上手くまとめた感じ(ここで説明してどうするんだ……)
 原作でリィを評した台詞が秀逸だったので、ダルトンの印象は強いです。彼は少しイヴンに似てると思う。政府内の位置付けとか。
 サンセベリアの面々は口調とかいろいろかなり怪しいですが、ご容赦くださいませ。

  元拍手おまけSS↓

「リリアの所を訪れていた客人だが――おまえの紹介だそうだな、ダルトン」
「へぇ。お会いになりやしたか。若い色男でやしたでしょう」
 いけしゃあしゃあとそう答えるダルトンに、オルテスは深い溜息をついた。
「――礼を言う」
「はて、なんのことですかい?」
 どこまでもとぼけた男である。
 それならいい、と軽い溜息をついて、オルテスは礼を言うべきもう一人の人物を思い浮かべた。
「グリンダ王妃の御友人とやらに、私も会ってみたいのだが――」
「そりゃあ残念。今朝早く発たれましたぜ」
 半ば予想していた答えではあったが――グリンダ王妃に関わる者は、どうしてこう揃いも揃って一筋縄ではいかないのか。
 その代表格であるデルフィニアの王に、胸中で八つ当たり気味の文句を並べつつ、オルテスはもう一度だけ深い溜息をついた。
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