―― 王者の風格
Written by Shia Akino
[RED CloveR]→textの三次小説です。
当サイト[衆望の客人]前提。
 タウのべノアに、ゼスという男がいる。
 数年前から組頭を務めているこの男には、生涯忘れられないだろう光景があった。

 王妃が囚われるという最悪の事態に、タウの――デルフィニアの総力を挙げて挑んだタンガとの決戦。
 王妃を取り戻し、勢いに乗ってケイファードを包囲し、陣を張って数日経った頃の事だ。
 馬の世話をしていたゼスは、近付いてくる小柄な人影に気付いた。
 きょろきょろと周囲を見回していたその人と目が合ったのは、それが少女で、王妃だという事を認識したのとほぼ同時だった。
 そして、礼を取る間も与えずに王妃はこう口にしたのだ。
「ゼス……だったよな。ジルを見なかったか?」
 当時のゼスは組頭ではない。組頭を補佐するような仕事もしていたとはいえ、一村民に過ぎない男の名を、王妃は誰に聞くでもなく知っていてくれた。
 ――もつれる舌でなんと答えたかは覚えていない。
 だが、輝かしき戦女神が己の名を口にするその瞬間を、ゼスは細部まで克明に覚えている。
 くしゃくしゃに纏め上げられた黄金の髪が、幾筋かほつれて風に舞っていた。
 野営地のあちらこちらに炊煙が立って、日没直後の藍色の空に夕陽の名残が差していた。
 鮮やかな翠緑の瞳が、まっすぐにゼスを見ていた。
 ――生涯忘れられないだろうし、忘れたいとも思わない。
 十把一絡げで声をかけられた事なら他にもあるが、“会話”をしたのはそれが最初で最後だった。

 それから数年後、組頭の一人が狩りの最中に大怪我を負ったのを機に引退し、ゼスは組頭に就任した。現時点でようやく三十に手が届こうかという、今のところべノア最年少の組頭である。
「――ゼス?」
 屋根の修理中、足元から声をかけられてゼスは軒から下を覗いた。
 下からだと逆光になるのだろう。片手を掲げて日差しを遮り、眩しそうに目を細めて上向いているのは、客人として滞在中の少年だった。
「そこにいるの、ゼスだよな。ジルを見なかったか?」
 即座には言葉を返せず、ゼスは小さく身震いする。
 ――何故だか、あの時と同じ奇妙な感動を覚えていた。
 彼が副頭目に招かれたと言ってタウに来たのは昨日のことだし、組頭として顔を合わせて名乗ったのも、やはり昨日だ。彼がゼスの名を知っているのは当然なのだが――声に出して呼ばれたのは、初めてだった。
「――ゼス?」
「あ……ああ。ジルなら東の畑にいるはずだ。集会場の脇の道を真っ直ぐ登ればいい」
 ありがとよ、との言葉が耳に残る。
 我に返ると、自分が何と答えたのか思い出せなくなっていた。
 代わりのように、琥珀の瞳を細める少年の姿がくっきりと目に焼きついている。
 ――あの忘れがたい光景と同じように。
 彼の姿に王妃と似たところなどなかったが、どこか王妃を思わせるのは確かだった。
 名を呼ばれるという一事だけでこれほど心騒ぐのは、あの場に居合わせたせいだろう。
 歓迎会と称して催された、前夜の宴会での事である。



 タウの暮らしは堅実なものだが、楽しむ理由があるときにはおおいに楽しむ。
 集会場も周囲の家々も開け放たれて、広場には赤々と焚き火が燃えていた。
 供された皿や酒瓶は隅々まで行き渡る前に空になるのが常で、食べ物や飲み物を求める人々が無秩序に徘徊している。
 王宮の宴会とは比べようもない混乱の極みを器用に縫い、小さな影が駆けてくるのにゼスは気付いた。すぐ横でチキンの争奪戦を繰り広げている髭の男の注意を引き、示してやる。
 これも組頭で名をシセロというが、駆けてくるのは彼の息子だ。
「父さん!」
 髭面を笑み崩した年配の組頭は、慌てた風の末の息子を大きな手で抱き上げた。
「どうした、坊主」
 少年は身を捩って逃れると、とにかく来てくれ、とその手を引く。
 この昼に来訪した客人に、素行の良くない青年の一人が絡んでいるというのである。
 宴の始めに紹介を受けた客人は、あちらこちらで村の大人に捕まっては酌だの芸だの話だのを強要されていたはずだが、充分に酒の入った大人達がようやく解放したところで集会場近くに位置する民家に落ち着いたらしい。
 興味津々で集まってきた子供達に囲まれつつ、開け放たれた食堂で腰を据えて食事を取り始めたところに、青年が乗り込んできたというのだ。
 シセロとゼスは、話を聞いて足を速めた。
 戸口を潜る前から聞こえよがしの大声が耳に届く。
 曰く――王妃の身内なんて騙りに決まってる。副頭目に招かれたってのも嘘だろう。金銀が目的じゃないのか。とっとと出て行って欲しいものだ――云々。
 酔った挙句の勢いだろうが、まるで演説でもぶっているかのようである。
「――馬鹿が」
 シセロが低く吐き捨てた。
 ゼスもまったく同感だったが、同時に意外な気もしていた。
 殴り合いに発展していてもおかしくはないのに、言い返す声すら聞こえないのだ。紹介された際にちらと見た限りでは、それほど大人しいようにも見えなかったのだが。
「詐欺師と同じ空気を吸うなぁ、気分が悪いぜ」
 馬鹿にしたような笑いと共に席を立った青年が、進行方向にいた少女を乱暴に突き飛ばす――戸口に辿りついて目にした室内の光景は、それが最初だった。
 二人が声を上げるよりも先に、黙々と食事を続けていたらしい少年の手がひらりと動く。
 次の瞬間、ガッ、と音を立てて板壁にフォークが突き刺さっていた。
 席を立った青年の鼻先、近すぎて焦点も合わないような際どい位置だ。
 息を呑んだまま吐き出せないでいる青年の顔は見る間に青ざめ、油の切れた滑車のような動きで飛来物の出所へと顔を向ける。
 少年は空いた左手で頬杖をつき、右手のナイフで向かいの椅子を指した。
「――座れ」
 落ち着いた、冷たい声音である。
 たとえ相手がほんの少年であろうとも、これに逆らえる者がどこにいよう。
 ぎくしゃくと青年は取って返し、崩れ落ちるようにして席に座った。
「俺は今、頭目の許可を得てここにいる。副頭目の招きが嘘で、出自が騙りだったとして、それが何か問題か?」
 言われて初めて、青年は己の言い分が頭目の判断を貶すも同然だったことに気付いたようだった。
 頭目が下した決断は絶対――それがタウの掟だ。
 住民でもない少年は当然のようにその掟を示してみせて、目を細める。
 異があるならば、ただ不満を垂れ流すのではなく、頭目に対して再考を願い出るべきではないのか――その意を汲めないほど青年も鈍くはなかったが、じゃあそうしようというには自信も度胸も足りなかった。
「どうなんだ?」
 優しいとすら言える調子で、少年は重ねて問う。
 その様子は、興味深げに村を見て回っていた昼間とはまるで別人のようだった。
 言葉も態度も落ち着いて、静かとすらいえるのに、正視しかねる迫力がある。
 この圧迫感には覚えがあった。
 国王や王妃とも似通った、まぎれもない王者の風格だ。
 余裕さえ滲ませて、文句があるなら聞いてやる、とばかりに仕草で促されたところで、青年には答えようもない。
「……いえ」
 だらだらと嫌な汗を流しつつ俯いて、ようやくそれだけを口にする。
 ここまでの遣り取りを見て取ってから、髭面の組頭は大股で青年に近付いた。片手で頭を鷲掴みにして無理矢理下げさせ、申し訳ない、と低く告げる。次いで首根っこを掴んで立ち上がらせると、自室で謹慎してろ、と突き飛ばした。
 よろめきつつ青年が退場すると、途端に室内の空気が緩む。
 シセロが改めて少年に向き直り、深々と頭を下げた。ゼスも慌ててそれに倣う。
「申し訳なかった、御客人」
 その声には、感嘆と敬意の響きがあった。
「気にすんな。どこにでも馬鹿はいる。んな事より、これ――」
 蝿でも追うように手を振って、少年はほぼ空になった皿を指す。
「すげぇ旨いんだが、もう一皿貰えるか? ついでにフォークと」
 ついさっきのやり取りが嘘のような、ごく当たり前の食べ盛りの少年がそこにいた。
「それも旨そうだな……」
 隣を覗きこんだあげく手を伸ばす少年に、周囲はほとんど呆然としている。
 この凄まじいまでの落差はなんだろう――と、彼の女神に対して抱いたのとそっくり同じ想いをゼスは抱いた。
 上品な口上を述べる花嫁姿の王妃と、縦横無尽に戦場を駆ける戦女神と、それくらいの落差だ。
 外見と中身が一致していない上に、その中身が尋常でないあたりも良く似ている。
 そう感じたのは、なにもゼスだけではなかったらしい。
『妃殿下の御子息というのは、案外本当なのかもしれんな――』
 少年が帰ると言い出した頃には、それが大方の見方となっていた。
 王妃に近しくあった者達が躍起になって否定するも、もはや焼石に水である。


―― Fin...2008.04.07
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 『衆望の客人』で言及したタウに行ってた間の話。組頭捏造。ていうか、オリキャラしか出てないんですけど……(汗)
 とりあえず、アンケートでも割に上位にあった場所の話が書けて良かったです。

  元拍手おまけSS↓

 馬鹿があんまりうるさいのでちょっと釘を刺してみたら、その場にいた子供達に懐かれた。
「ケリー!」
「ケリーもやろうよ!」
「ねえほら、こっち」
 そんなつもりはまったくなかったのに、なんだかひよこが増殖している。
 翌日――あちらこちらに顔を出し、仕事を手伝ってみたり話を聞いてみたりと、ケリーはふらふら歩き回っていた。
 あっちでもこっちでも、その姿を見つけた子供達が目を輝かせて近寄ってくるのだ。
 山村の子供達は小さくても仕事があるから、そう長々と付きまとっている訳ではないのだが、今度は畑仕事の合間にナイフ投げをしていた一団がケリーを誘う。
 わらわらと駆け寄ってくる有様がまさしくひよこの如しで、餌なんざ持ってねぇぞ、と胸中で呟いてみた。
「ねえ、ケリー。お願い!」
 差し出されたナイフを苦笑しつつ受け取り、柵の外から無造作に投げる。
 当ったのは当然のごとくど真ん中――わあ、と歓声を上げて子供達は的へと駆けて行き、ひとしきり感心してから駆け戻って来た。元気だ。
「ケリー、もう一回!」
「もう一回やってよ、ケリー!」
 これでは学校とさして変わらない。
(女の子がいるだけマシだと思うべきかね……)
 外見だけなら同年代の少女が、目をきらきらさせて抜いてきたナイフを差し出した。受け取って何の気なしに笑みを返すと、少女は途端に真っ赤になって俯いてしまう。
 ――未成年はやめておけ、海賊。
 大真面目に諭す妻の姿がありありと浮かんできて、ケリーはげんなりと肩を落とした。
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