―― 課題の効果
Written by Shia Akino
シッサス表通りの行きつけの飲み屋に入り、顔馴染みの店員に手を上げて見せてから奥のカウンター席に向かったイヴンは、別に見たくもなかった顔を見つけて眉を寄せた。
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「なんであんたがここにいるんです」 「居たら悪いような言い方だな?」 ふふんと笑ってそう返したのは、サヴォア公爵ノラ・バルロである。普段とは違う質素な服を身に着け、湯気を立てる皿を前に酒杯を手にしている。 「あんたみたいなのは、普通はもっとお上品な店に行くもんですぜ。目立つでしょうが」 平民の労働者が仕事帰りに一杯引っ掛けていくような店だ。質素な服装をしているとはいえ、筆頭公爵様は少しばかり浮いていた。幼いころから国の柱となるべく育った者の支配者然とした空気は、隠そうとして隠しきれるものではない。 「それを言うなら従兄上はどうなる」 面白くなさそうにバルロが言ったが、実の所そういう意味では国王の方が目立たないのだ。別の意味で――特に女性の――目を引くことはあるのだが。 イヴンは無言で肩を竦め、バルロの隣は空けたままその隣の席に腰を下ろす。酒と肴を注文して一息ついたところに、煮込み料理を口に運びながらバルロが声をかけた。 「今朝方、海賊退治をしてきたそうだな」 触れて欲しくなかった話題にイヴンは思い切り顔を顰めたが、バルロは気にせず酒杯に口をつけてイヴンを見やる。 「おまえのお蔭で牢は満員御礼だ。司法官はしばらく寝る間もないだろうよ」 「……俺のせいだってのは大変不本意なんですがね」 溜息を落とし、イヴンは憮然と答えた。 本来イヴンが指揮できるのは独立騎兵隊だけで、海軍や近衛兵を動かす権限などない。それを強引に動かしたのだから普通なら厳罰ものなのだが、海賊退治の功績と相殺してお咎めなしという事になったのである。隠し港を発見したのも、海賊共を捕らえる事が出来たのもイヴンの手柄で、ケリーのケの字も出てはいない。 手柄を押し付けられるなど冗談ではなかったが、これ以上アレに注目を集めるのも旨くはないし、表向きにしろそれで通せるならその方がいいとイヴンも思った。国王にもそう言われてしまったとなれば否やもない。 実際、兵を動かしたのはイヴンであってケリーではないし、イヴンが海賊船に持ち込まれたのを目にした者は限られている。荷造りされたのを好き好んで吹聴する気も起きないし、特段言い募るのでもなければ躍起になって隠すような事態にはなりそうになかった。 そこまで計算して袋詰めにしたのだとしたら心底可愛くないガキだが、もう今更可愛げを求める気にもならない。 不機嫌なイヴンを横目で見やって、バルロは存外真面目にこう言った。 「おまえのせいだなどとは誰も言っておらん。お蔭だと言っているのだ。厄介な海賊共を一掃したのだぞ、もっと誇るといい」 本気で褒めているようにも聞こえるが、サヴォア公爵が表向きの事情しか知らないなどという事は有り得ない。要は承知でからかっているのだ。 押し黙って睨みつければ、バルロはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。 「よくやったと言っているのだぞ。もっと喜べ」 にやにやとそんな事を言う。 それをしばらく睨み続けてから、イヴンはふふんと鼻で笑った。 「そちらはお嬢さんの嫁ぎ先が決まったそうで。お祝いを申し上げますよ」 バルロの口の端がぴくりと動く。 「……誰に聞いた。ケリーか?」 「いや。あんたの奥さん」 セーラがケリーに結婚を申し込んだらしいと聞いた時、その場に本人が居なかったこともあって、イヴンは腹を抱えて大笑いしたものだった。母親にとっては微笑ましい程度のことだろうが、父親としては面白くないに決まっている。 案の定バルロは眉間に皺を寄せ、鋭く舌打ちをして目を逸らした。イヴンはイヴンで勝ち誇る気にもなれず、注文した酒肴が並べられていくのを漠然と眺める。 両者共に、ケリーのせいで被った物的迷惑やら心的被害やらの諸々が脳裏に去来していた。アレとかコレとかソレとかを思い出して苦虫を噛み潰す羽目になった英雄二人は、ちらと目を見交わして酒杯を手に取る。 「……飲むか」 「おう」 飲みでもしないとやってられない――それは明らかに“やけ酒”の心境であったが、ケリーに一泡吹かせる計画を練るのに熱中し始めた二人が、そのちょっと情けない事実に気付くことはなかった。 数刻後――下町の飲み屋を後にしてイヴンと別れ、バルロは王宮へ足を向けた。 飲み付けない安酒のせいでもなかろうが、実のところあまり機嫌はよろしくない。 イヴンと練ったケリーを陥れる計画は、仕掛ける前から躱される光景が目に見えてしまうといった有様で、とうてい気分良く酔ってはいられなかったのだ。 敬愛する従兄と飲みなおそうと警護の兵に片手を上げて扉を押し開け、人気のない控えの間を抜けて執務室へ踏み込んだところでバルロは足を止めた。 書類に埋もれた執務机の向こうには、いつもの通り国王が大きな身体を屈めている。 ――それはいい。 宰相や他の補佐官が使う予備の机に紙の束を積み上げて、不機嫌の原因がなにやらやっているのである。 「――貴様、ここで何をしている」 「宿題」 簡潔すぎる返答に眉を寄せれば、無断欠席の補講を兼ねた罰則だそうだ、とウォルが言葉を添えた。 「何故寮でやらんのだ」 「やれお茶だ夜食だ手伝うだって、入れ代わり立ち代わり覗かれてみろ。ピヨピヨうるさくてやってられねぇよ」 徹夜覚悟で学習室を借り、ひとり机に向かったケリーの元に、調子はどうだ――とか、内緒で手伝おうか――とか、少し休んだら――とか言いつつ食べ物や飲み物が運ばれてくること、実に七回。夕刻から宵の口に至る数刻の間に、である。もはや立派な嫌がらせだ。 それがまた全部違うひよことくれば、いちいち「構うな」と申し渡すのもなんだか馬鹿馬鹿しくなってくる。 まだまだ続きそうな“謁見”に辟易して、ケリーはここまで避難してきたという訳だ。 「……まさか貴様、従兄上に教師の真似事などさせておらんだろうな」 バルロは不機嫌に輪をかけて物騒に唸った。 「その必要はないようだぞ」 答えたウォルは苦笑している。 確かに、問題文をきちんと読んでいるのかどうかすら危ぶみたくなる勢いで、すらすらと解答を書き込んでいる。考え込んだり、資料を探したりする様子はない。 「ちなみに、それで半分の量だそうだ」 「――は?」 虚を衝かれたバルロは国王の顔を見て、それからケリーの使っている机に目をやった。 右と左に積み上げられた書類の束という光景は、国王の執務室やバルロ自身の仕事場で見慣れたものではあるのだが――この倍となると、書類仕事に慣れている筆頭公爵といえども少々考えたくない量である。 それを三日後までに――もう二日後か――提出する事になっていると聞いて、バルロはこの課題を出した教師に内心で拍手を送った。 「罰則は覚悟してたんだが……さすがにちょっと参った」 うんざりといった声音でそう言って、ケリーが疲れたような溜息を吐く。 珍しいといえるその様子を自業自得だと一蹴し、バルロは急に機嫌を直して遠慮なく笑い出したのだった。 翌朝、寄宿学校主任教師グレッグ・パドレスの元へ、王宮から立派な包みが届けられた。国王にも供されるような超高級菓子の詰め合わせである。 添えられたカードに名前はなく、ただ一言――よくやった、と記されていたという。 ―― Fin...2008.08.01
「激動の一夜」連載時、ちょろ子さまに“きっとヤケ酒、簀巻き計画”、こずみさまに“ひよこの様子見、入れ代わり立ち代わりもはや嫌がらせ”という拍手コメント(要約済)を頂きまして。それがこんな代物に。あんまり活用できなくてごめんなさい。
とりあえずグレッグ先生無心の勝利?(笑) 元拍手おまけSS↓ 教師としてはあるまじき事だろうが、グレッグ・パドレスはシッサスが好きだった。 かろうじて貴族階級の端に引っ掛かっているような家の出――しかも三男ともなれば、気取ったところでどうにもこうにもなりはしない。 だから幼い頃の友達は近所の農家や商家の子供だったし、いまだに付き合いのある者もいる上に、実は内一人がシッサスの賭博場で胴元をやっていたりもする。 イカサマ無しで時々遊ばせて貰うのは、妻と学校関係者には絶対内緒だ。 だが、彼がシッサスを訪れる目的は主に食事のためである。 その日、目的の店へと向かう彼の肩を叩く者があった。 「失礼ですが――グレッグ・パドレス主任教諭、ですね?」 後半は声を顰めての台詞である。 黒衣に金髪。 褐色の肌に青い目――。 先達ての経験から、見覚えがあるのに面識がない相手の場合、王宮関係者を疑ってかかる事にしていた彼はすぐに息を飲んだ。 「どくりっ――!」 「しぃっ!」 疑いようもなく独立騎兵隊長であるその人は、こんなところで肩書き出すもんじゃありませんぜ、と闊達に笑った。 「イヴンと呼んでください。実は折り入ってお願いが」 「な、何でしょう……」 「一杯奢らせちゃ貰えませんかね?」 「――は?」 何故に。 「なに、ちょっとした感謝の気持ちです。是非」 「え、な、ちょ……っ」 親しげに肩を抱かれて連行されつつ、主任教師は混乱した。 先日王宮から届いた高級菓子も理解不能だったが、これも負けず劣らず理解不能だ。訳が分からない。 独騎長はなにやら上機嫌である。 王宮中枢部というのは、実は人の常識の通用しない伏魔殿なのかもしれない――主任教師ははそう認識を改め、真実に一歩近づいたのだった。 文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
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