―― 追憶の語らい
Written by Shia Akino
 国王はジャスミンのために、本宮の一角にある客室を整えた。華麗かつ豪勢な城内にあって、やはり華麗かつ豪勢な一室である。
 一般市民であれば、置物の一つにすら“傷でも付けたらどうしよう”と恐れおののくだろうが、ジャスミンはまったく気にしていなかった。系統は違うものの、彼女もやはり豪勢な屋敷で生活していたのだ。まるで自室のような気楽さで、悠然と時を過ごしている。
 その日、貴婦人達の昼食を兼ねた茶会に招かれ、健啖ぶりを発揮して彼女らの笑いを誘った後――仮の自室に戻ったジャスミンは、長椅子に寝そべった夫の姿を目にする事となった。
「こら息子、宿題は終わったのか?」
 授業があるはずの真昼間から長椅子でだらけている事態には触れず、ジャスミンは怖い声を作ってそう言った。
「ああ、宿題も課題も提出済みだ」
 ひらひらと片手を振って眠そうな声が答える。
 ちなみにその課題は、例によって補講込みの罰則だ。
 “母親”であるジャスミンが嬉々として手続きを行って一応許可は取ったのだが、外泊二日の予定が無許可のまま五日になれば、それは罰則も発生する。
 提出はしたが、やっぱりサボっているケリーに当然反省の色はない。
 外出禁止を申し渡したところで無意味だし、罰掃除は級友が進んで代わってしまうので、このところケリーの罰則はもっぱら宿題形式になっていた。問題を作るのだって大変な手間だろうに、主任教師の頑固さは賞賛に値する。
「学校は楽しいか?」
「そうさなぁ……まあ、とりあえず平和だな」
 母親ぶった問い掛けにも律儀に返事を返す夫の態度に、ジャスミンは小さく微笑んだ。
 実のところ少し、胸が痛い。
「すまないな、海賊……」
 ケリーは答えなかった。
 何が、とも聞かなかった。
 数瞬の沈黙を挟んでから、ちらと笑う。
「あんたも難儀だな、女王」
 苦笑をにじませた声音は案外優しく響いて、ジャスミンは泣きそうに顔を歪めた。
 幼いケリーの姿は、本人よりもむしろジャスミンにとって大きな意味を持っている。
 厳密に言えば、軍曹だった頃よりはいくらか大きいのだけれども。
 それでもジャスミンは、ふとした瞬間に軍曹の姿を垣間見てしまう。離れて行く後ろ姿に手を伸ばしたくなる――そんな時がたまにあるのだ。
 ジャスミンの時間でも二十年以上前のことだし、ケリーにいたっては半世紀以上も昔の話である。とっくに気持ちの整理もつけたつもりでいたのに、このザマだ。
 ジャスミンは苦く笑って息をついた。
 十代の息子の母親役を楽しんでいるのは事実だが、それはもう本当に事実なのだが、そうしなければあの時の別れを思い出す事はもっと多かっただろうとも思う。
 付き合わされている夫には悪いが、もうしばらく我慢してもらおうと一人頷き、ジャスミンは改めて笑みを浮かべた。
「おまえは優しいな、海賊」
 長椅子の前の床に座り込み、ケリーの髪に指を絡めてしみじみと呟く。
 伸ばした手は届いて、今はこうして隣に居る。――それでいい。
「なんだ、今頃気付いたのか?」
 悪戯っぽく笑ってケリーが言った。
「いいや、知っていたとも」
 ジャスミンもにやりと笑い返す。
「私の男を見る眼はつくづく確かだったと、改めて感じ入っているところだ」
 立派過ぎるほど立派な成人女性が、年端も行かない少年に言う台詞ではない。
 異様な光景だということは百も承知だったが、ジャスミンは構わなかった。どうせ室内には二人きりだ。
「こちらにはいい男が多いんだが、やっぱり一番はおまえだな」
 見た目が少々違ってもケリーはケリーである。
 四十年を経て再会したときも、今も。
 何も変わらない。
「……言ってろ」
 ケリーは鼻で笑い、狭い長椅子の上で器用に寝返りを打った。
 身体が小さいと長椅子で寝るのは楽そうだ――と、大きかった頃からよく長椅子に寝そべっていた夫を思い出して、ジャスミンは忍び笑った。
「ダニエルは学校でどんな様子だった? 苛められたりはしてなかったか」
 床に座り込んだまま長椅子に背を預け、そんな話を振ってみる。
「苛められてる暇なんかなかったと思うぜ。経営と航宙と両方やってたからな」
「そういえば、船乗りになりたいというのを許さなかったそうじゃないか。何故だ?」
 首を傾げれば、ケリーは呆れたような目線をくれた。
「何故ってあんた、あんたの息子だぜ? クーアを捨てていいとは言えんだろうが」
 それにジャスミンは眉を寄せ、負けず劣らず呆れたように言い返す。
「おまえの息子でもあるんだぞ。宇宙に出たいというのは当たり前だろうに」
 長年連れ添った夫婦としては正しいかもしれないが、母子が交わすにはあまりにおかしな会話である。
 長椅子の上と下に陣取った二人の会話は、その後もしばらくおかしな方向で続いた。
「わたしの孫は、付き合ってる女の子とかはいないのかな?」
「だから、俺の孫でもあるんだって。知らねぇよ。今度ちびすけにでも聞いてみろ」
 双方とも大真面目なのだが、見た目は十代の少年と三十絡みの女性による会話である。聞く者があれば正気を疑うか、なんの遊びだと訝しく思うに違いない。
 幸い誰に聞かれる事もなかったが、二人の関係を正しく知っている一部の者が耳にしたなら、卒倒していたかもしれなかった。



―― Fin...2008.09.05
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 怪獣夫婦は甘くするのが難しい……。

  元拍手おまけSS↓

 客人に夕餉の支度が整った事を告げる為に許しを得て入室した侍女は、まあ――と、思わず顔をほころばせた。
 長椅子に寝転がっている少年と、前の床に座り込んでそれに凭れかかっている女性――少年は難しい年頃だろうに、母親を邪険にする風でもない。
 睦まじい親子だわ――と思いつつ用件を告げて退室したが、目にした光景を脳裏に再構成して首を傾げた。
 片肘を突いて長椅子に横たわっていた少年が、すぐ前にいる母親の髪を一房、指先で弄んでいたのだ。
 単に手持ち無沙汰だったのかもしれないが、なんとなく――母子というよりは親しい男女のような仕草だった、と侍女は思い、己の下世話な発想に一人赤面したのだった。
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