―― 両者の言い分
Written by Shia Akino
 デルフィニア政府中枢を構成する面々のうち、その噂を耳にしたのはイヴンが最初だった。
 聞かなかった事にしたいイヴンだったが、こんな恐ろしい話を知っているのが自分だけというのも、あんまり不公平というものだ。
 是非とも皆さんにこの気持ち悪さを味わっていただこうと、イヴンは茶会の席でその噂話を披露した。
 思惑通り、一同珍妙な顔つきになって固まっている。
「…………さい、こん?」
 ――再婚。
「誰と、誰がだ」
 思い切り引き攣りつつ、バルロが問う。
「陛下とジャスミンが、ですよ。本宮に部屋を用意したのがまずかったみたいですぜ。どうも後宮に入るもんだと思われてるようで」
 投げやりなイヴンの説明は、一同の呻き声にかき消された。
 戦女神を差し置いて貴族の娘が王妃になるのは許されないだろうが、ジャスミンは王妃と同郷――天の国から来た女性であり、つまりは女神とみなされたらしい。
 ウォルとリィは名ばかりの夫婦であったし、ジャスミンはジャスミンで夫がいると聞けば十人が十人とも驚くような女丈夫だから、イヴンもナシアスも、バルロですらうっかりしていた。
 ジャスミンは大きいがウォルは更に大きいし、王妃が王妃だったので女らしくないというのはマイナス要素にはならないのだ。
 二人並んで親しげに言葉を交わしている場面など、遠目に見れば確かに似合いとも言えた。迫力の大型カップルだ。
 たとえその会話が、軍備の維持についてだったり、関税率とその徴収方法であったとしても、である。
 民衆というものは、信じたい事を信じるものなのだ。リィが子供を授からない事に悩んでいるという、知っている者からすれば悪夢のような夢を見たりする生き物なのである。
 その可能性に思い至らなかった己にバルロは歯噛みしたが、今更部屋を替えたところで一度流れた噂は消えないだろう。
 じゃあなにか、とケリーがウォルを見やった。
「結局俺は、あんたの息子ってことになるわけか……?」
 連れ子となれば王位継承権はないが、消えたはずの噂が再熱した感もある。
「俺は寡夫になったつもりはないのだが……」
 呆然とウォルが呟くと、ポーラが憤然と頷いた。
「まったくですわ。妃殿下は亡くなった訳じゃありませんのに」
 ジャスミンは呆れたように首を振る。
「私にだって夫がいるんだぞ? なにをどうしたらそういう話になるんだ」
 王妃の息子説といい、デルフィニアの国民はよっぽど暇らしい。
 一同は大きく溜息をついて、げっそりと顔を見合わせた。
 とはいえ、この噂ならばリィの怒りを買うこともなかろう。普通のご婦人ならば、私がいるのにっ! という事にもなるだろうが、リィならばその心配はない。
 妙な考えに取りつかれた者が何を画策しようと、大人しく利用されるジャスミンでもない。
 放っておこうという結論に落ち着くのに、さほど時間はかからなかった。



 気を取りなおした女性陣が新たにお茶をいれ直し、お茶菓子を切り分けたり取り分けたりしていた時の事だ。ポーラがふと手を止めた。
「ジャスミンさまのご夫君はどういった方ですの? ケリーさまのお父上ですもの、きっと素敵な殿方なんでしょうね」
 王妃に子リスと評された愛らしい女性はとことん無邪気だったが、部屋のあちこちでは、ぐふ、と何か呑み込んだり呑み込み損ねたりした音が漏れていた。
 イヴンとナシアスとバルロとウォル――“ジャスミンさまのご夫君”がケリーだということを、心ならずも知っている者達だ。
 秘密を知る者は少ない方がいいという事で、他に知っているのはブルクスだけだったりする。
 いやむしろ、精神衛生上好ましからざる秘密を愛する妻に背負わせたくはなかったというか、単に口に出したくなかったというか。
 とにかく、ポーラもシャーミアンもロザモンドもラティーナも、興味津々の顔つきでジャスミンの返答を待っている。
 本人を目の前にしてその人となりを問われたジャスミンはといえば、特にケリーの様子を窺うでもなく、大きくひとつ頷いた。
「もちろんだとも。私の夫は宇宙一――いや、世界一いい男だぞ」
 途中で言い直したのはこちらに“宇宙”という概念がないからだが、意味は同じだ。
 男達は頭を抱えたいのをなんとか耐えた。
 止めてくれ、と叫びたいのもなんとか耐えた。
 あまりにも堂々とした惚気に女性陣は目を瞠り、ほぅ、と溜息をついている。なかなかこうまで言えるものではない。
 でも、とポーラが首を傾げた。
「ジャスミンさまには申し訳ないですけど、わたくし、世界一は陛下だと思いますわ」
「そうだな、ウォルはとてもいい男だ」
 微笑ましいとばかりに目を細めてジャスミンは同意を返したが、だが、と更に言葉を継いだ。
「ポーラにとってウォルが一番なように、私にとってはあれが一番なんだ」
 にやりと笑って腕を組む。
「あんな男は他にいないぞ。頭が切れて、信義に篤くて、なにより丈夫だ。私のような女を妻にして平気でいられるくらい図太いし、案外優しい。――あれを捕まえられた事は、私の人生で最大級の幸運だな」
 事実を知らない女達は、この人にここまで言わせるなんてどんな人なんだろうと、ますます興味をそそられたようだ。
 頬杖を突いた手で口元を隠し、くつくつと一人忍び笑っていたケリーは、ここでようやく口を挟んだ。
「それくらいにしておけよ、母さん」
「なんだ、本心だぞ」
「知ってるさ。ただなぁ……」
 ちら、と男達を見やってまた笑う。
「ちょっとばかり刺激が強いみたいだぜ」
 ウォルは感心したような顔つきでちらちらとジャスミンとケリーを見比べているが、イヴンは全身に鳥肌を立てて一生懸命腕をさすっていた。
 口元を押さえて顔をそむけたナシアスは心なしか赤面しているし、バルロは射殺しそうな目つきで宙を睨んで固まっている。
 挙動不審の男性陣に目をやって、ジャスミンは軽く肩をすくめた。
「照れ屋さんだな」
 一言で片付けられた男達はとうとう頭を抱え、本格的に笑い出したケリーに恨めしげな視線を投げたのだった。



 同日夕刻――執務室で港の整備についてウォルと話し合っていたバルロは、顔を出したケリーの台詞に口元を引き攣らせた。
 母さんを見なかったか、というのである。
 室内には侍従もいるし、妻だの女王だのと言われても困るのだが、昼間のあの恐ろしい惚気を聞かされた後だけに気味が悪い。
 いい男なのか、これが。
 少しばかり見目麗しく、不遜で態度がでかく、時には貫禄さえ感じさせるが、バルロの目にはただの子供である。
 まあ、仮にあれと釣り合う年格好であるならば、理解出来ないでもないのだが。見た目がこれだから気持ちが悪いのだ。
 茶会の後は見ていない、とウォルが言うのに頷いてケリーは踵を返したが、バルロはそれを呼び止めた。人払いをして三人きりになってから重々しく告げる。
「貴様、仮にも夫婦だというなら、もう少しあの女をどうにかしろ」
 どうにかって何を、と首を傾げるケリー。
「昼間の事だ。人前であんな事を言わせておくものではなかろう」
「あんた意外と古風だな。――羨ましいのか?」
「いやまったく」
 即答である。
 男女の関わりは駆け引きがあった方が楽しいとバルロは思うし、あの女にあんな風に言われるのはちょっと怖い気がするので、全然まったく羨ましくはない。
 俺はちょっと羨ましいな、とウォルが呟き、ポーラが可愛いこと言ってたじゃねぇか、とケリーが返した。
 照れた様子の従兄を不機嫌にねめつけ、バルロはふんと鼻を鳴らす。
 ポーラは確かに可愛かったが、ジャスミンの言い方には可愛げというものがまったくなかった。
「捕まえただなどと言われて恥ずかしくはないのか、貴様は」
 それもあんなに堂々と。
 バルロの感覚では、女とは男が口説くもので、男を捕まえるものではない。
 シャーミアンのような例もあるが、あれは双方に好意があっての事で、捕まえたのとは違うだろう。
 ケリーはひょいと肩をすくめ、事実だからな、と口にした。
 事実なのか――と、ウォル。
 事実なんだ――と、ケリー。
「追い回されて捕まえられたあげくに押し倒されたんでな」
 ――あっけらかんと言う事ではない。
 小さく呻いてバルロは顔を覆った。
 あれが、これを、押し倒す――どこからどう見ても変態だ。
 単なる変態なら軽蔑すれば済む事だが、あれはどう見ても変態ではないし、これが変態にいいようにされるというのも有り得ない。
 危うく手籠めにされるケリーを想像しかけて、バルロは気持ちが悪くなった。それはもう物凄く不気味だ。身の毛がよだつ。
 背筋を虫が這うような感覚に必死で耐えているバルロを見やり、ケリーはもう一度肩をすくめた。
「ただまあ、あんな女も他にはいねぇし。俺は結構気に入ってるぜ」
「うむ。ジャスミンどのはとてもいい女だからな」
 昼間の返礼のつもりなのか、ウォルが似合わない事を真顔で言う。
 あんた目は大丈夫か、などとケリーは笑い、邪魔したな、と言い置いて身を翻した。
 その後ろ姿は、妻であるはずのジャスミンと比べるまでもなく小さい。
「ケリーどのの本来の姿とやらを、早く見てみたい気もするな……」
 見送りながらウォルが呟く。
 迎えが来れば帰ってしまうのだから、それはそれで寂しいのだが。
 同じくケリーを見送りながら、バルロは渋面で無言を通した。
 人間がそう簡単に伸び縮みしてたまるものかと普段は思っているのだが、この気持ち悪さが消えるなら大歓迎だと、そうも思った。



―― Fin...2008.09.22
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 もういっそ早く帰れ! な、バルロさん(笑)
 そして噂は変な方向に……。

  元拍手おまけSS↓

 男性陣とロザモンドとシャーミアンがそれぞれの執務に戻っても、ラティーナとポーラはジャスミンとケリーと共にもうしばらくお茶会を続けた。
 すでに慣れっこになっているのか、誰もケリーに“学校はどうした”とは言わない。
「ラティーナさま。ルーファスさまがいらっしゃる時、ジャスミンさまのご夫君を連れてきてくださればいいと思われません?」
 ポーラは“ジャスミンさまのご夫君”にご執心だ。
「そうね、お会いしてみたいものですわ」
 ラティーナも頷く。
 男性陣の意向に沿ってジャスミンとの正しい関係を黙っている事にしたケリーは、事実を知った時の女性陣の怒りを思って密かに笑った。
「天使が――ルウが来れば、会えると思うぜ」
 あちらに帰ってからでなければ戻せない、というのでもなければ大丈夫だろう。
「そう……ですか?」
「たぶんな」
 ケリーの側には、誰にも言うなと頼まれた、という免罪符がある。
 せいぜい盛大に怒られて貰おうと非道な事を考えつつ、ケリーはにやりと笑ったのだった。
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