想いの在り処
Written by Shia Akino
 連邦大学惑星にも、もちろん繁華街の類は存在する。
 ただしそれは、ケリーやジャスミンになじみの深い怪しげな雰囲気の夜の街ではなく、華やかに飾り立てたショーウィンドウや美味しそうな匂いを漂わせる飲食店が立ち並ぶ、健全で安全な地区であることがほとんどだった。
 治安の良さには定評のある惑星である。教師や街の大人向けに居酒屋やバーの立ち並ぶ一角ですら、裏社会を知る者の目には健全で安全な街に映るのだ。
 ましてや昼を過ぎたばかりのこの時刻、可愛らしいケーキ屋やシックな喫茶店が並ぶ通りをのんびり歩く夫婦が、懐に銃を携帯しているなど――しかも許可証は偽造である――誰一人、夢にも思わないに違いない。
 朝から息子の事務室を急襲し、部屋の主の嘆きをよそに心ゆくまで楽しんだケリーとジャスミンは、同僚と昼食の約束があるというダンに追い出されてここまで出て来たところだった。どこかで昼食を取ってから船に戻る予定である。
「今日はずいぶん学生が多いな?」
 街の様子を目にしてケリーが首を傾げた。
 そもそもが学生の街であるから学生が多いのは当たり前とも言えるのだが、通りのあちこちに散らばっているのは皆十五、六――中学か高校の生徒達だ。大学生ならいざしらず、今時分は学校にいるべき年頃である。
「課題か何かじゃないか?」
 ノート型の携帯端末を抱えた生徒が通行人に声を掛けるのを目にしたジャスミンが答えたその時、同じように端末を抱えた少年が二人に声を掛けた。
「すみません。学校の課題でアンケートをお願いしています。ご協力いただけないでしょうか」
 硬い声で言った少年の背後、少し離れた所では数人の生徒が寄り集まり、なにやら固唾を呑んでこちらの様子を伺っている。
 ケリーもジャスミンも190cmを超える長身であるし、ケリーの美貌は言うに及ばず、ジャスミンも一種独特な迫力があるから、こんな二人連れに声をかけるのはさぞかし勇気の要った事だろう。緊張のためか強張って、頬を紅潮させているのが微笑ましい。
 真面目な生徒さんを邪険にする理由などなかったので、二人は快く依頼に応じた。
 他愛ない質問事項に答え終えると、少年は紅潮したまま頭を下げる。
「お手数をおかけしました。どうもありがとうございました」
 やっぱりいくらか強張っている。
 もつれ気味の足で見守っていた生徒たちの元へ駆け戻り、仲良しなのだろう生徒に体当たりして、少年は笑った。
 見送ったジャスミンは目を細める。
 清しい若さが、少し心に痛かった。
 ダニエルにもあんな頃があったのだろう、と思う。
 自分で選んだ事だから、息子の成長をこの目で見たかったとは思わないのだが――こんな風に戻ってくるなど予想外だったから、やはりどうしても、少し寂しい。
「女王」
 ケリーがジャスミンの肩を抱き、促して歩き出しながら耳元に顔を寄せた。小声で囁く。
「二人目でも作るか?」
 ジャスミンは驚いて夫を見やった。
「欲しいのか?」
「あんたが欲しいんじゃないかと思ってな」
 美貌の夫は目元を和ませ、忙しなく行きかう学生達に視線を向けている。
 冷たく見える顔立ちのケリーも、こんな表情をすると案外優しい雰囲気になって、それがジャスミンは好きだった。
 たまたま目が合ったらしい女学生が息を飲んで立ち尽くすのを視界の端に捕らえながら、寂しさと一緒に笑いを噛み殺す。
「ダニエルがひっくり返るぞ。息子より小さい弟妹ではな」
「勝手にひっくり返らせとけ」
 鼻で笑ったケリーの言に、ジャスミンは肩を揺らして忍び笑った。
 哀れな息子がどれほど大騒ぎをするか――逆に何も言えずに卒倒するかもしれないが――考えただけで笑えてくる。
「そうだな……」
 ぽつりと漏らしてジャスミンは夢想した。
 小さな子供のいる暮らし――今度はそう、娘がいい――ダニエルにはあまり構ってやれなかったが、今ならそんな事もない。ダイアナが子供の悪戯に笑いながら顔を顰めて、ジャスミンはしかつめらしく叱って見せたりするのだ。
 学校に入るとなったら、きっと寂しい。
 いつか恋人を連れてくる事もあるだろう。
 娘の結婚式には父親は泣くものと相場が決まっているらしいが、ケリーはどんな顔をするだろうか。
 ――それは暖かい光景だったが、どこか遠かった。
「悪くはないが……」
 それも本心だ。だがジャスミンには、自分達はいないはずの人間だという意識がある。
 ジャスミンに限っていえばそもそも死んだわけではないし、ケリーの生存も政府関係者やらクーア財閥役員やらに駄々漏れではあるのだが、だからこそと言うべきなのか、目が覚めてから子供が欲しいと思った事はなかった。
 死んだ人間に子供は作れない――ジャスミンはしかしそうは言わず、くすりと笑う。
「子連れの海賊では様にならないじゃないか」
 ケリーの肩口に頬を寄せ、広い背に腕を回して目を細める。
「わたしはおまえがいればいい……」
 それはこの上なく熱烈な告白だったが、ケリーは無言のまま、口元に笑みを刻んだだけで言葉は返さなかった。
 代わりに肩を抱いていた腕で寄せられた頭を抱き込み、首を傾けてその紅い髪に口付ける。
 ――二人目などと言ってはみたが、望まないだろうとは分かっていたようにも思う。
 寄り添う妻の、魂の色を映したような鮮やかな髪。
 肩口にかかる心地よい重さと、背に回された腕の熱さ。
 自然の摂理を曲げてでももう一度会おうと決めた女は、こうして腕の中にいる。
 それで充分だと、ケリーも思った。


―― Fin...2009.02.10
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 目指せ激甘! ……ど、どうかしら?
 ケリーとジャスミンに二人目を〜という声がちらほら聞こえるので、ちょっと考えてみましたが駄目でした。理由はこの通りです。なんか満たされちゃってます(笑)

  元拍手おまけSS↓

 事務室の応接セットで優雅に紅茶など飲んでいる四人を睨みつけ、ダン・マクスウェルは吐き捨てた。
「ここは人外生物の会合場所ではないと、何度言ったら分かるんですか!」
 一斉にダンを注視したのは、金銀黒の天使達とケリー・クーア――ジャスミンは役員会に呼ばれたとかでいなかったが――ある種傍迷惑な集団の中心人物揃い踏みである。
 なにやら不穏な相談だか報告だかが繰り広げられていたのは極力無視し、しばらく我慢していたのだが、シェラが勝手に紅茶を入れて和気藹々と世間話を始めるに至って、とうとう堪忍袋の緒が切れたのだ。
「そう言うなよ、ちびすけ。ここが一番都合が良いんだ」
 相手の都合は考えずあっさり告げたケリーに、ダンの眉がぴくりと跳ねる。
「いい加減にちびすけ呼ばわりは止めていただきたい!」
 ケリーはわざとらしく目を丸くして、実の父親に向かってなんてぇ言い草だ、とぼやいた。
「あなたのような若い人を父親に持った覚えはありませんな!」
「――ほほう」
 勢いで言ってしまった台詞に、ケリーがニヤリと笑みを返した。
 それを目にして、ダンはちょっと引き攣った。
 こんな若い姿で戻ってきて父親だと思えと言う方が間違っていると思うのだが、絶対に自分の方が正しいと思うのだが、なんだか嫌な予感がする。すごく。
「ダンも懲りないねぇ……」
 紅茶のカップに顔を隠してルウがぼそりと呟いた。
「まったくだ」
 リィも小さく同意を示し、シェラは無言で深く頷いている。
 微妙に青くなっている息子から視線を外し、ケリーがルウに目を向けた。にっこりと、それはもう綺麗な微笑を向けられてルウも固まる。
「天使。このまえ女王に二人目でも作るかって話をしたんだが――」
「ふ、ふ、二人目!?」
 ルウが答えるより先に、というより最後まで言い終わらない内に、素っ頓狂な声がダンの口から漏れた。
 夫婦間で“二人目を作る”となったら、意味は明らかだ。
 それはつまり、ダンの弟か妹になるわけで。
 四十から年の違う、息子より十以上も小さな血を分けたキョウダイ……なんだそれは。
 見事なまでに真っ青になって、無意味に口をぱくぱくさせる酸欠の金魚のごとき息子を見やり、ケリーは面白そうににやにや笑う。
「どうした、船長? 知人夫婦が子供を作ろうかってんだ、口先だけでも激励するもんだろうが」
「な……そ……」
「出来たら報告に来るからな。義理でも祝いを言ってもらうぜ?」
 にやにや。
 心底楽しそうなケリーに対して、ダンは息も絶え絶えだ。
 これが本当にただの知人なら祝ったっていいのだが、むしろ今は呪いたい。
 いやいや、これは父親ではなくてただの傍迷惑な知人だから祝ってやってもいいのだ。
 いやしかし、これ言うところの“女王”は母親で、その夫がこの人で、そうすると――。
 もはや混乱の極みである。
 慌てふためくダンの姿を充分堪能してから、まあ安心しろ、と言ってケリーは肩を竦めた。
「あいつは俺がいればいいんだとさ」
 ダンは今度は真っ赤になって、やっぱり口をぱくぱくさせた。
「なんか、ごちそうさま……?」
 固まっていたルウが呆然と呟く。
「だな……」
 ぐったりとリィが同意して、シェラはやっぱり無言で深く頷いていた。
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