――某日。
連邦大学にあるダン・マクスウェルの事務室は、ダン言うところの人外生物達にほぼ占拠されていた。
――もはやいつもの事である。
忍耐強くなった己を褒めてやりつつ、ダンは事務机で端末に向かっている。
仕事中だと訴えようが、出て行けと怒鳴り散らそうが、彼らはまったく意に介さないのだ。虚しく己を慰めながら、見ないフリでもするくらいしか対処のしようがなかった。
彼ら曰く、街中の喫茶店などでは際どい話が出来ない、だそうである。
実際、聞くともなしに聞いているだけでも頭を抱えたいような話題が目白押しであるから、その主張には頷けない事もなかった。それで集まるのが己の事務室という点には異議を唱えたいが。
本日の不法占拠の顔ぶれは、ケリーとジャスミンと金銀天使、及びゾンビ二号の五名である。飲料サーバーを勝手に使い、シェラお手製だという茶菓子を広げて、自室の如き振る舞いだ。
日によって顔ぶれは多少入れ変わるが、諸悪の根源は年下の母親とその夫、もしくはジェームスの元母親である。その内の誰か一人でもいない限り、子供達だけでここに集まる事はないのだから、諸悪の根源扱いも致し方なかろう。
珈琲を入れなおして席に戻ったダンは、盛り上がる一同をちらと見やって溜息を吐いた。やっぱイイなぁ、あんた――楽しげな声がふと耳につく。
せっせと茶菓子を口に運びながら、ファロットの死神が軽く笑ったところだった。
「なあ、でっかい姐さん。頼みがあるんだけど」
「なんだ?」
「ヤらせてくんねぇ?」
「――っぐ、」
口に含んだ珈琲を吹き出しそうになったダンは、慌ててそれを飲み込んだ。不用意に飲んだ熱すぎる液体が声を奪い、喘いでいる間に意外なところから険しい声が割って入る。
「駄目だ、レティ」
言ったのは金天使である。
「……ダメ?」
猫のような眼をした小柄な少年は、小首を傾げて上目遣いのおねだりモードだ。
女性に――趣味はこの際置くとして、まあ一応女性に――面と向かって“ヤらせて”などと口にする愚かしさは、思慮分別の足りない高校生らしいとも、遊び慣れた男の駆け引きとも言えたが、それにしたってこんなところで言う事ではない。
ダンは頭を抱えそうになったのを寸での所でこらえ、端末に集中するフリをしてちらと一同を盗み見た。目の前で母親が高校生に口説かれているのだ、そうそう無視もしていられない。
金の天使が眉を寄せ、相手を見据えてゆっくりと宣告した。
「駄目に決まってるだろう。絶対に許さないからな」
これが亭主の台詞でないところが嘆かわしい。
その亭主はといえば面白そうに一同を眺めているばかりで、さすがに一言言ってやろうとダンは口を開きかけた。そこにレティシアの言葉が被る。
「んじゃあ、そっちののっぽの兄さんでもいいぜ。ヤらせてくんない?」
(な――っ!!)
ダンの驚愕は声にはならなかった。
それも駄目だ、許さない――と、天使のような外見の十三歳の少年が恐ろしく厳しい声で言い渡す。
逆らったりしたら命がないと思わせるような声だった。
その隣では銀の天使が、まぎれもない殺気を込めてレティシアを睨み付けている。
「――俺はそう簡単には殺せないぜ」
ケリーが言って、ニヤリと笑った。
(そっちかーっ!!)
ダンは今度こそ堪えきれずに頭を抱えた。
確かにこんな話は街中では出来ない。というかして欲しくない。どれほど不本意であろうとも、これらが知人である事は否定できないのだ。物騒だからと通報でもされれば――警察相手に何をしでかすか、想像するだに恐ろしい。
「分かってるって」
どこかひんやりとした気配を纏いつつ、レティシアがにんまりと目を細めた。
「簡単にゃ殺れないから面白いんじゃねぇか」
物騒な台詞をあっけらかんと述べる殺人鬼。
「……死神に見込まれるとは、光栄と言うべきかね?」
苦笑するゾンビ。
――ホラーハウスか、ここは。
ダンは頭を抱えたまま無言で机に突っ伏した。
「その男を確実に仕留めようと思ったら、かなり大規模に仕掛ける必要があるぞ」
深紅の魔女がなにやら言い出して、まず間違いなくオオゴトになるからな、と続ける。
「一般市民を目指すつもりなら、これに手を出すのは止めた方がいいと思うが」
「……あんた人のこと言えるのか?」
庇っているのか何なのか良く分からない奥方の言に、ケリーは少々不満そうだ。
「弁護してやってるのになんだ、その言い草は」
ジャスミンも不満そうに鼻を鳴らす。
大型夫婦の言い合いは諍いにまでは発展せず、鍛錬ならばいつでも付き合おう、とジャスミンは笑った。
「ペーターゼン郊外に屋敷があるから来るといい。射撃練習も出来るぞ」
火器もいろいろ揃ってるしな、とケリーが言い添える。
互いに得意分野を指南しようと、これまでの会話でどうしてその結論に行き着くのか――人外どもの思考に付いて行けない普通人は、ひたすら頭を抱えるしかないのだった。
―― Fin...2009.04.04
「このまえ、あんたの奥方にチョコレート貰ったぜ」
「ああ、バレンタインデーだったからな。世間のイベントに乗ってみたかったんだと」
「手作りみたいだったが、あのでっかい姐さんが作ったのか?」
「まあな。おかげで酷い目に遭った」
「……?」
「ダイアンは成分分析なら出来るんだが、味の評価は下せねぇんだ」
「そりゃご苦労さん。――けど、バレンタインチョコを旦那に試食させるかね?」
「一応完成品も貰ったがな」
「んなもん寄越すより、ヤらせてくれりゃあ良かったのによ」
「そう簡単には死んじゃくれないぜ、あの女は」
「分かってるって。技量で劣るとは思っちゃいねえが、銃ってのは案外厄介だからな。――けど、やり方はなくもないんだぜ?」
にんまりと笑う猫のような瞳には、触れれば切れそうな鋭い光が楽しげにキラキラ踊っている。
ゆらりと物騒な気配が立ち上り、ケリーは懐の銃を意識しながら笑い返した。
「だろうな」
「問題は、死ぬほど怒った王妃さんが仕立屋引き連れて俺を殺りに来るだろうってこったな」
相打ち狙えばどっちかはイケルかね――などと、なにやら本気で考え込んでいる。
「俺はそんなに冷たい亭主に見えるのかね……」
怒る人物に含まれなかった事でケリーがぼやいた。
「あんたは怒らねぇよ。問答無用で殺しには来るだろうケド」
聞きとがめたレティシアが答えて肩を竦める。
「だから、どっちかってぇとあんたの方が殺ってみたいんだけどな」
そりゃあどうも、とケリーは苦笑するしかない。
「ただなぁ……」
溜息を吐いて、レティシアは腕を組んだ。
「仕立屋と王妃さんとでっかい姐さんに組まれると、さすがに勝算ねえんだよな」
どれほど勝算が低かろうと、可能性があればこそ楽しいのだ。
「まあ、王妃さんとはまだ遊びてぇし。“目指せ一般市民”な身の上だからな、大人しくしてるさ」
物騒な気配をきれいに納め、長身のケリーを見上げて小首を傾げるレティシアは、もうすっかり人畜無害な高校生の顔になっていた。