「俺の妻は良く出来た女でな。剣も馬も良く使うし、大公爵家当主としても申し分ない。そのうえ美しい」
いったい何事が始まったのかと、一同はバルロを凝視した。
恒例の茶会の席である。話題の妻を隣に置いて、サヴォア公爵は得意げに目を細めた。その妻は唖然として夫の横顔を窺い、眉を寄せて声を荒げる。
「何を言い出すのだ、サヴォア公!」
生真面目な妻の苦言を右から左に受け流し、バルロは尚も続ける。
「これほど俺に相応しい女は他になかろう。先日も――」
毒舌を吐くのに特化したはずのバルロの口が滑らかに動いて、次々と賛辞を繰り出していく。真逆の仕様もあったらしい。
ここまでくると惚気というより揶揄かおだてか嫌味にしか聞こえないが、そう聞こえるのを承知の上で、バルロはわざとやっている。
この場にいる者達はサヴォア公と親しく、かけねなしに本音の一端である事もまた分かるので、どうにもむずがゆいというかなんというか。
「サヴォア公! 止めないか!」
ロザモンドの制止も力はない。顔中真っ赤に染めてしまっては迫力も台無しだ。
「相応しいというなら、俺の妻も俺には相応しいぞ」
王さまが参戦。
「ポーラは剣は使えないが、包丁なら玄人並だ。こんな細腕で猪一頭、らくらく捌いてしまうのだからな」
女性に対する賛辞としては少しばかりおかしいが、ウォルは大真面目である。
「戦えはしないがたくましいのだ。おれはそもそも山猿だから、ポーラといるとほっとする」
頬を染めて俯いたポーラが、陛下の奥さまは王妃さまですのに――と蚊の鳴くような声で呟いたが、誰も聞いちゃいなかった。
「シャーミアンどのも良き妻でしょうな」
何気ない風に言い出したバルロが、イヴンを見てにやりと笑う。
「山賊風情にはもったいないとは思うのだが、タウの者共にも慕われているそうではないか」
そうして並べ立てたのは、きらきらしい美辞麗句の山である。口調は存外真摯だが、イヴンを見る目つきは生き生きとして、いかにも楽しげだ。趣向を変えたいつもの舌戦というわけだろうが、悪口雑言ならともかく、こうなるとイヴンには太刀打ちできない。油をさした歯車だって、バルロの口ほど滑らかには動くまい。
「こんな女性はそうそういないぞ。そう思うだろう、独騎長」
にやにや、とでも表現したいような笑みで同意を求められ、イヴンは眉間の皺を深くした。
否定は出来ない。なにしろバルロは嘘は言っていない。
装飾過剰気味の表現ではあったが、容姿も気性も剣の腕もバルロの口にした褒め言葉は全て事実で、口にはしないが常日頃思っている事でもあった。
乗せられるのは悔しいが――それはもう、物凄く悔しいが。
「あんたに言われるまでもない。そんな事は俺が一番よく知ってるんですよ」
苦笑しつつバルロの賛辞を聞き流していたシャーミアンが、その一言でぱっと赤くなった。
そっぽを向いたイヴンは面白くもなさそうな渋面だが、ようは照れているのだ。まんまと乗せられた己に臍を噛んでもいる。
なにやら“妻自慢大会”の様相を呈してきたが、ナシアスは参戦しなかった。もとより口数の多い方ではない。求められたとき、必要だと思ったとき以外、自ら口を開くことは稀である。
ただ妻に視線を送り、ナシアスは黙って微笑んだ。ラティーナが満足そうに笑みを返すのを見て、バルロは開きかけた口を閉じる。次にはナシアスを槍玉にあげるつもりだったが、どうやら無粋な仕業になりそうだ。
ナシアスはそつのない男である。女性に対してはとことん馬鹿で不器用だったが、身内となればその限りではない。年齢のせいもあるだろう。人前ではともかく、愛情を示すのに躊躇はしないと判断できた。
だからなおさら、睦言を囁く前に羞恥が先に立ってしまうイヴンを、バルロは馬鹿だと思っている。軽々しい口説き文句ならいくらでも出てくるくせに、本気となると滅多に口を開かない。それは信頼に事寄せた怠慢だ。
シャーミアンは騎士ではあるが、ごく普通の女性でもあるのだ。
言葉などなくても、彼女は夫君の心を疑ったりはしないだろう。だが、事はそういう問題ではない。たまには口に出してやった方が良いに決まっている。
だからこうして、バルロは時々イヴンを焚きつける。恐らくイヴンも分かっている。焚きつけられれば逃げない。その点は評価できる。
ちなみに、天然でのろける国王は問題外である。
「――お見事」
囁いた声は少年のものだったが、耳にしたのはバルロだけだった。知ったような口を利く子供を横目で見やったが、少年は素知らぬ顔で頬杖なぞ突いている。
「そうそういない女ってんなら、俺も一人知ってるぜ」
楽しげな声に一同の視線が集まった。
「そうさな――こっちの感覚で言えば、目隠しをして一万の軍勢に突っ込んで戦っちまうような奴だな」
「王妃か?」
「いんや」
きっぱりと首を振ったケリーに、一同は顔を見合わせた。
「……普通、死ぬよな?」
「普通はな。いつもぴんぴんしてやがるが」
「……人間か?」
「それは俺も常々疑問に思ってる」
しみじみと頷いたケリーだが、ジャスミンが聞けば目を剥いて怒るに違いない。どっちがだ、どっちが! などと喚く妻の姿を思い描いて、ケリーは小さく笑みを浮かべた。
懐かしい、というほどには離れた時間は長くない。あの四十年に比べればずっと短い。必ず帰ると決めてもいる。ただ――。
ここの面白い奴らと過ごす時間に、彼女が共にいたらどうするだろうと、それは考えてしまうのだ。
「……女だと?」
恐る恐る、といった風のバルロの問いに、ケリーは満面の笑みで答えた。
「おうよ。俺の女房だ」
それは、少しばかり得意気な響きを伴っていた。
―― Fin...2010.08.28