母の愛情
Written by Shia Akino
「ダニエル、おまえ兄弟欲しいか?」
「――は?」
 きょうだい?
 いきなり何を言い出すのかと、ダンは目を見張って若すぎる母親を見上げた。
 年下の母親はなにやら大真面目で、この人は大体いつも真面目だが、大概の場合その真面目さは一般常識を超越している。
 嫌な予感に内心ひるんだダンは、続く台詞に盛大に顔を引きつらせた。
「いや、私自身も一人娘だし、特に不自由を感じたことはないんだが、このまえ“一人っ子は可哀想だ”と言うご婦人に会ってな。子供には兄弟がいた方がいいらしい。今ならもう一人や二人産めない事もないし――」
「やめてください!!」
 一瞬にして血の気が引いた。血液が逆流する音まで聞こえた。形容するならザーッだろうか。
 なんだかすごく怖いことを言われた気がする。すごく。
 ――兄弟が欲しいか、だって?
 いまさら、不惑を過ぎて今更だ。自分の息子より幼い弟妹が欲しいなどと誰が思うか。三十五年前ならいざ知らず。
 兄弟が欲しいと考えた事がないといえば嘘になる。母親がおらず、父親がとにかく忙しい人だったダニエルが、寂しさから弟妹を望んだとて誰に責められよう。姉のいる少年が弟を欲しがったり、妹のいる少女が姉を欲しがったりするのと同じ事だ。一人っ子じゃなくたって、ないものねだりくらい誰だってする。
「大体なんですか、一人っ子が可哀想というのは。欲しくても出来ない人には失礼な言い分でしょう」
 子供が出来にくい身体というものもある。ダンのように連れ合いを亡くした場合もあるだろう。個々の事情を斟酌せず、一律で語られる説に耳を傾ける価値などない。
 少なくともダンは、兄弟がいないことで自分を可哀想だと思ったことなど、一度だってないのだから。
「私もそう思うんだが、そういう論調があることも確かだろう。おまえが欲しければ産んでみてもいいかと思ってな」
 ジャスミンはどこまでも真面目である。ここで頷こうものなら、即座に子作りに励みかねない様子が心底恐ろしい。
「欲しくありません! だいたい、あの人はなんと言っているんです?」
 子供を欲しがるとは思えないのだが――ダンは思って、しかし実のところ結構可愛がってもらった記憶もあることに思い至って狼狽した。
 いやそんなまさか。
 徒党を組むのを嫌い、たった一人で連邦軍を敵に回した海賊王が子供好きとか。
 嬉々として子作りに勤しんだりとか。まさか。
 しかし可愛がってくれたのは紛れもない事実だ。進路の件では反発もしたし、自分で自分の葬儀を見る破目にもなったが、あの人はあの人なりにダンを想ってくれている。
 認めたくはないが――(それはもう、認めるつもりなどまったくないが!)想われている事をダンは知っていた。
 そして前例がある以上、子供が出来たとなればきっと可愛がるのだろう。そう思う。
 自分の為だなどとは到底認められないが、あの人が、二人が共に望むならそれもいいかもしれない――健気な息子の殊勝な考えはしかし、無情な母親に粉砕された。
「産むのは私だ。あの男は関係ない」
 父親の権利など丸無視の、なんとも堂々たる宣言である。
「……子供は一人では作れませんよ?」
 引きつる息子を歯牙にもかけず、もちろんだとも、とジャスミンは頷いた。
「夫の義務だ、種は蒔いてもらうさ。だがな、育てるのは私だぞ? おまえだってそうだろうが」
「はい?」
「子供を産むのに男は関係ないと言っているんだ。お前が腹の中でジェームスを育てた訳じゃないだろう。十ヶ月もかかるんだぞ。産むのは一仕事だし。大変なんだ」
 それを言われてしまっては、世の“お父さん”は誰一人として立つ瀬がない。
 だがしかし、この母が“大変”などと言ってしまうそれが、いったいどれ程のものなのか――男であるダンには、ただ想像するしかないのだ。
 この件に関して、男という生き物に反論の手立てはない。ヘタに反論しようものなら、だったら産んでみなさいよ! などと無茶を言われるのがオチである。
 だいたい、覚えていないのはもちろんだが、大変な思いをさせたのは自分なわけで。
 なにやら面映い、居心地の悪い気分でダンは口籠もったが、この母の“大変”はやはり普通とズレていた。
「激しい運動はするなとか言われて、ろくに訓練も出来ないし」
「…………」
「歩くくらいならいいというから、いつものジョギングコースを歩いてきたら、それだけで怒られたりもしたな。ほんの30キロなのに」
「………………」
「おまえのせいだぞ。いくら妊娠初期とはいえ、ちょっとクインビーに乗ったくらいで流れかけるとは何事だ。あれでアーニーが無駄に慎重になったんだ。軟弱者め」
 なにやら思い出して憤然となったジャスミンだが、慣性相殺の甘い戦闘機に、二十時間も閉じ込められた事態をちょっとと言えるかどうか。ここにケリーがいたら、あの騒動は何だったのだと呆れ返ったに違いない。
 しかしダンはその事件を詳しく知らなかったので、ただ額を押さえて溜息をついた。
「……乗ったんですか、クインビー…………」
 胎児のときの事を責められても如何ともしがたいが、それは軟弱者どころか、むしろ賞賛に値する生命力ではあるまいか。
 妊娠初期といえば、流産の可能性もまだ高かったはずだ。ミアが神経質なほど体調管理に気を使っていたことを、ダンは今でも覚えている。そんな時期にクインビー……空飛ぶ棺桶から生還した自分を褒めてやりたい。
「お母さん……わたしは本当に兄弟なんか望んでいません。お願いですから、わたしの為に子供を産むなど止めてください」
 本人が欲しいというのなら止めるすべなどありはしないが、ダンは小さい弟妹が――それこそ、今はまだ影も形もない弟や妹が、どうにも不憫で仕方がなかった。自分はなんとか無事に生まれたが、胎児のときから大変な目に遭うに決まっているのだ。
「そうか、分かった」
 ジャスミンはあっさり頷いて、面白そうにちょっと笑った。
「まあ、もしかしたらいるかもしれないしな」
「なにがです?」
「いわゆる異母兄弟というものが、だ。私が産んだのはおまえ一人だが、あんないい男、女達が放っておくわけがないからな」
「そ、それは……」
 否定しようとして否定しきれず、ダンは呻いて頭を抱えた。


―― Fin...2010.11.16
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やっぱり不憫なダン(笑)

  元拍手おまけSS↓

「異母兄弟? ちびすけの?」
 可能性としては兄か姉の方が高いだろうな、という楽しげなジャスミンの言い分を、ケリーは鼻で笑い飛ばした。
 いるわけがない、とはケリーの確かな実感だったが、ジャスミンは尚も楽しげな様子だ。
「おまえ、一夜限りの相手がいたことはあるだろう?」
「そりゃあ、まあ……」
 妻に言う事ではないだろうが、もちろんいた。特に結婚前は。
 “恋人”と呼べる交際期間を経た女性よりも、一夜を抱き合って終えた相手の方が数としては多い。
「ほらみろ」
 ジャスミンはしたり顔で頷いた。
「私がおまえと結婚したいと思う前、当初の予定を教えてやろうか。酒場かどこかで偶然の出会いを装って、あとはその場の成り行きで押し倒そうと思っていたんだ。子供を作るだけならそれで充分だからな」
 なんとも恐ろしい計画である。とはいえ、結婚したという点を除けば、そのまま実行に移されたともいえる。
「おまえのことだ、恋人がおまえを繋ぎとめる為に子供を宿そうなどと考えたら、それには気付くだろうが――」
 心当たりはなくもなかった。具体的にそうだと分かったわけではないが、船を降りてと言われたわけでもないのに、これ以上はまずい、と思ったことが幾度かある。
 ケリーは自分の勘を信じていたので、そんな時には即座に出航した。女が何を企んだにせよ、うまく逃げてきた自信がある。しかし――。
「初めからそれだけが目的だったとしたらどうだ?」
 ジャスミンがにやりと笑う。
「おまえではなく、子供が欲しいのだとしたら? 女がその気になれば一度で充分だぞ。私がいい例だ」
「…………」
「女の方から誘われた事は一度もないのか? 多少強引にその気にさせられた事は? 本当に一度も避妊しなかった事はないと断言できるか?」
「ない……と、思うが……」
 そう畳み掛けられると、ちょっと不安になってくる。一夜限りの相手は一人や二人ではないのだ。
 女王様はたっぷりと憐憫を含んだ目付きで夫たる男を見つめ、重々しく言った。
「海賊。男の下半身はな、度し難いものだぞ」
「…………」
 それは確かに真理かもしれないが、なんて身も蓋もない言い方をするのか。
 ケリーは眉間にしわを寄せ、しばし過去の所業に思いを馳せた。そして諦めた。あんまり昔すぎてさっぱり分からん。
 ただ、これだけは言える。
「あんたみたいな変な女がそう何人もいてたまるもんか」
 それだって真理だ。
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