うたかたのとき
Written by Shia Akino
人は、脆い。
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脆くて儚い。 簡単に壊れて消えてしまう。 それくらい知ってはいたのだが。 レイコに似た少年が現れて「祖母は死んだ」と口にするまで、あれもやはり人の子なのだと、脆く儚い生き物なのだと、斑はすっかり忘れていた。 古い木造の二階家はしんと静まり返り、住人の寝息の他には梁の軋む音が時折小さく響くばかり。 招き猫姿の斑は少しばかり苦労して、カーテンを細く開いてみる。 褪せた畳を四角く切り取り、真白な光が長く伸びた。 春も盛りだ。 闇が降りてなお花色の夜の底に、しらしらと月光が降っている。 春は嫌いよ、とレイコは笑った。 どいつもこいつも浮ついて。鳥の巣なんか見ると石を投げたくなるわね――と、ちっとも不愉快そうじゃなく笑った。 人も妖も嫌いだと言いながら、関わりを絶とうとしなかった女。 女というには幼かったが、あれは強く、美しかった。 人の子なのだと忘れるほどに。 妖をその目に映し、人の身でありながら人の輪から外れ、故にこそ恐らく強くあらねばならなかった女だ。 「勝負しろ」という口上を、幾度聞いたかもはや知れぬ。 それを耳にしなくなってから、さほどの時が経ったとも思えぬ。 それがもう、孫だという。 人は脆い。 脆くて儚い。 すぐに壊れて消えてしまうと、それくらい知ってはいたのだが。 ――これほどまでとは思わなかった。 閉じた窓ごしにさえ届く花の香に、斑はつと目を細める。カーテンに区切られた真っ直ぐな月光が、夏目の眠る布団の端にかかっている。 レイコの孫は、レイコには似ず脆弱だ。人にも妖にも親しんで、あげく居場所を見失う。どちらも嫌いだと笑うレイコと、それでも似て見えるのは何故なのか。 月光の中で伸びをして、斑は窓枠に手をかけた。 こんな夜には月を追い、花を散らして駆けるのが良い。小物妖怪どもを脅して回るのも楽しかろう。それとも――。 眠る夏目をちらと見やり、少しばかり思案する。 それとも、そろそろ本気で喰らってやろうか。 その時、夏目が小さく呻いた。 寒いばかりの寂しい夢だ。 眉を寄せ、歯を食いしばり、眠っていてすら声を殺して。 誰かの名を呼ぶ事もない。 「まったく……つくづく愚かな子供だな」 さっさと忘れてしまえばいいものを。 斑はやれやれと息を吐き、にじんだ涙には気付かぬふりでその顔の上を横断した。 「ぶ――っ! ……っにするんだ先生!」 「おお、すまんな夏目」 飛び起きた夏目には済まなそうでもなく言い捨てて、そのままのしのしと押し入れに向かう。隠しておいた一升瓶を、奥からずるずると引っ張り出した。 「先生……人の部屋に何置いて……」 なにやら呻くが、斑の知ったことではない。 「夏目も飲むか。月見酒だ」 「飲まない」 未成年の夏目はきっぱりと言い放ち、にじんだ涙を片手で拭った。 たぶん、踏まれたせいだと思っている。 「でも、そうだな……確かに綺麗だ」 細く開いたカーテンの隙間から月を見上げ、目を細め――たかと思うと、ひょいと斑を抱き上げた。 「にゃにをする! はなせ!」 一升瓶ごと抱え込まれて、斑は暴れた。 じたばたじた。 「はなせと言うとろーがっ!」 「――うん」 存外素直に夏目は頷き、牛乳もらって来るよ、と立ちあがった。酒は付き合えないけどな、と肩を竦める。 「酒の一杯くらい付き合わんか、軟弱者め!」 不満を込めて鼻を鳴らせば、一杯で済むのか? と笑って返す。 ふとした表情がレイコに似ている。 これもやはり、人の子なのだ。 階下へ向かった夏目が戻るのを待たず、斑は抱え込んだ一升瓶を思うさま傾けた。忍びやかな足音が階段を軋ませながら遠ざかる。 あれもやはり、人の子だ。 ほんのひととき目を離した隙に、僅かな合間に消えてしまう。 なれば慌てて喰う事もなかろう。 あれほどまでに儚いものなら、見届けてみるのもやはり一興。 どうせほんのひととき――僅かな合間の事なのだから。 ―― Fin...2010.05.21
あれ? なにやらほんのり斑→レイコな匂いが……?(笑)
知ってたはずの人の世の流れの速さに、こっそり愕然としてたりするといいと思うのv 夏目との関係は初期かな。いまなら黙って添い寝が良いv 元拍手おまけSS↓ 寒い――。 それは、いつもの事。 ――寂しい。 それも、いつもの事。 独りで。 膝を抱えてひとりで。 心まで凍ってしまえばいいと願っていた。 なのにちっとも凍ってなんかくれなくて。 いつまでもただ、寒いばかり。 「ぶ――っ!」 ふにふにした暖かいものが顔の上を横断して、夏目は驚いて飛び起きた。 「……っにするんだ先生!」 丸々とした巨体で夏目を踏みつけにしたニャンコ先生は、まるで済まなそうでもなく謝ってのそのそと押し入れを開け放つ。何かと思えば、奥から一升瓶を引っ張り出した。 「先生……人の部屋に何置いて……」 夏目はがっくりと肩を落とした。 いつもの事とはいえ、健全な高校生の部屋に酒類を持ち込むのは止めて欲しい。 そもそもどうやって調達しているのかとても謎だ。アヤカシにも酒造りを生業とするモノがいるのだろうか。 「夏目も飲むか。月見酒だ」 気楽な調子の誘いにはきっぱりと首を振り、夏目はにじんでいた涙を片手で拭った。 身体の芯が冷たい。 たぶん、だけれど夢の名残だ。 覚えていてもいなくても、あの夢の後はいつも寒い。 「でも、そうだな……確かに綺麗だ」 細く開いたカーテンの隙間に、丸く太った月が見えた。 春も盛りの月の宵はやんわりと優しい。 手段には多少問題もあるが、起こしてくれた先生も、実は優しい。 夏目はほのかに微笑んで、いましも一升瓶の封を切ろうとしていた先生を抱き上げた。 「にゃにをする! はなせ!」 先生はじたばた暴れるが、短い手足が徒になってたいした痛手にはならない。でかい頭の上に顔を伏せて、ぎゅうと腕に力を込めた。 毛並みがつるふかで肉球がふにふにだ。 なごむ。 「はなせと言うとろーがっ!」 喚く先生の身体は依代のはずなのに、ちゃんと温かくて柔らかい。 どういうツクリになっているのかつくづく不思議なのだが、その温かさが今は嬉しい。 「――うん」 ありがとう、とは心の中でだけ呟いて夏目は立ちあがった。 「牛乳もらって来るよ」 酒は付き合えないけどな、と肩を竦める。 「酒の一杯くらい付き合わんか、軟弱者め!」 不満そうに鼻を鳴らす先生には、一杯で済むのか? と笑って返し、夏目は足音を忍ばせて階下へ向かった。 ひとりではない幸福を、そっと噛み締めながら。 文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
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