―― 豎立 ジュリツ
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Written by Shia Akino
 雁州国、首都関弓――十二国に並ぶもののない活気的な街は、その日も大変な賑わいをみせていた。
 治世六百年を数える奏国の人間ですら、この活気には目を見張る。奏国は全体に穏やかな気風で、首都隆洽ですら活気があるとは言い難い。彼の地の、年を経て落ち着いた佇まいの家々は、むしろ重厚と呼ぶに相応しいのだ。
 少々軽薄な感さえあるこの賑わいを、六太は大変に気に入っていた。右に物売りの威勢の良い濁声を聞き、左にひっきりなしの馬車の軋みを聞き、道行く人々を器用に避けながら軽やかに進む。
 そうして行きつけの甘味処が目に入ったところで、意外な人物と出くわした。
「――利広!?」
 驚きを持って名を呼ばれた旅装の青年は――少なくとも見た目だけは青年である人物は――やはり驚いたように目を見張った後、にこりと人の良さそうな笑みを浮かべた。
「六太くん。久しぶりだね、元気だった?」
 偶然に出会った知人に向けるごく普通の挨拶に対し、六太は非礼を承知で渋面をつくってみせる。
「前に尚――風漢が言ってたんだけどさ、利広と雁で会うとすっげぇ嫌な気分だって。なんか今、よく分かっちゃったかも……」
 これにはさすがに青年――利広も眉を寄せ、酷いなぁ、と肩を落とした。
「なにもそんなに“すっげぇ”に力を入れなくてもいいじゃないか」
「いやでも本当だし。“ものすごく”嫌ぁ〜な気分になるんだってさ。――危ない国でよく遭うんだろ?」
 声を落としてそう問えば、そうなんだよね、と利広は苦笑を浮かべる。
「別に危ない国にばかり行ってるわけじゃないんだけど。……雁もそろそろ危ないのかもしれないねぇ」
 笑いながら言う台詞ではないが、別に本気で言っている訳ではないことくらい六太にも分かる。問題はあながち笑ってもいられないということで、六太は大仰に顔をしかめ、わざとらしくため息をついてみせた。
「そうかもな。あいつ、またいねぇし」
「いないのかい? 家に?」
 家、という慎ましやかな響きに苦笑しかけ、六太は慌てて顔を引き締めた。実状からはかけ離れた単語だが、利広はもちろん、分かって言っているのだ。
 主ほどには親しくないが、食わせ者だということくらいは知っている。
「たま連れて出てって十日だから、たぶん国外だな。こうなると最低でも三週間は帰ってこない」
「……そうか、いないのか」
 落胆が混じる声の調子を意外に思って、六太はきょとんと瞬いた。
「なに、会いたかった?」
「ちょっとね、会えそうな気がしていたから。こういう勘はあまり外れないんだけど」
 困っちゃったなぁ、と呟くのを聞くに至って、六太が感じた意外の念は驚愕にまで発展した。
「なんだよ、利広。風漢に頼み事か!?」
 無理難題をふっかけるのも厄介事を引き起こすのも、大概己が主の方、との認識が六太にはあった。いくらなんでも主に対してあんまりひどい認識だが、完全に間違っているというわけでもないのが困りものである。
「利広があいつに頼み事なんて珍しいんじゃないか? 絶対かさにかかって恩に着せるぞ?」
 些細な恩をあげつらってのあれやこれやを思い出し、六太は思わず身震いした。やめたほうがいい。――絶対。
 少々誇張気味の忠告に利広はくすくす笑って、仲良いよねぇ君たちは、と、これまた少々見当違いの意見を口にした。
「ご心配はありがたいけど、そんなに驚くほど珍しくはないんだよ。貸したり借りたりしているからね。でも私の貸し分が少し多いはずだし、いい機会だから返して貰おうと思って」
 さらりとそんな事を言う利広を、ちょっと本気で尊敬しようと六太は思う。尚隆は貸し分を取り立てるのも巧いのだが、借り分をうやむやにするのも天才的に巧いのだ。
「でもいないんじゃ仕方ないね。――六太くんに頼めるかな? 旌券が一枚欲しいんだけど」
「旌券? なくしでもしたのか? 盗まれたとか」
 一応聞いてはみたが、考えにくい事ではあった。うっかりなくしたりするようには見えないし、盗まれるようにはもっと見えない。とぼけた言動に騙される者は多いだろうが、案外侮れない人物なのだ。
 案の定、私のじゃないんだ、と利広は首を振った。
「ちょっと訳有りで……。ああ、もちろん悪用はしない。約束するよ」
「訳って?」
「それは聞かないでくれるとありがたいな。信用してもらうしかないんだけど」
 侮りがたい食わせ者で油断できない相手ではあるが、信用はできる。
「まあいいか。利広には借りもあるしな。何とかするよ」
「ありがとう、助かるよ。でも、六太くんに貸しなんてあったっけ?」
 訝しげに眉を寄せる利広に、惚けたんじゃねぇの、と六太は笑う。
「じゃあさ、俺と最初に会ったときのことは覚えてるか?」
「ええと……奏だっけ? 風漢と君が一緒にいて……あれ、違ったかなぁ?」
 ついでのように尋ねてみたが、甚だ心許ない返答である。やっぱり惚け老人だ、と六太が揶揄すると、なにしろ私もいい歳だからねぇ、と利広は笑った。からかい甲斐のない相手である。
「もうけっこう昔の話なのは確かだよね。六太くんは覚えてるんだ?」
「そんな訳ないじゃん。俺まだ子供だもん。けっこう昔って言ったら、物心つく前だろ? もしかしたら生まれてないかも」
 初めて会ったときの話をしていながら、生まれてないかも、というのもおかしなものだが、利広は笑っただけだった。
「あははは。そうか、そうだよね」
「だろ?」
 意味もなく胸を張り、六太は利広の優しげな顔を見上げた。その顔は、初めて会ったときからほんの少しも変わってはいない。
 実のところ、風漢を介して知り合う前に、自分たちは一度会っているのだ。六太が借りたつもりでいるのもその時の話で、利広は貸したつもりなどないだろうから、覚えていないのも無理はない。
 今から四百七十年ほど前のことである。

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