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―― 豎立 ジュリツ
Page 5
Written by Shia Akino 先刻と違い、すっかり吹っ切れて開き直った六太は、非常手段に訴えた。使令に尚隆の部屋を突き止めさせ、店の裏側から塀を乗り越え庭を突っ切って窓から侵入したのである。
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夜闇も使令も役には立ったが、警備をかわした勘と身のこなしは、実は王宮で培われたモノである。官吏の目を盗んで行動するのに比べれば、一般の警備などどうということもない。 尚隆はさして驚きもせず、黙って六太を見返した。黒漆の小卓に酒肴を並べ、手酌で飲んでいたらしい。妓楼にいながら女を侍らせてもいなかった。 小さめの室内は、妓楼にしては品のいい調度で整えられて落ち着いた雰囲気を醸している。灯りは小さく抑えられ、ほの暗く沈んだ視界に白い夜具が浮かんで見えた。 榻(ながいす)に寝そべった尚隆はひどく気怠げに見えて、六太はちょっと眉を顰める。何の用だ、と問うた声がやはり重くて、胸が痛んだ。 王が負うべき責務は王のものだ。誰にも代わることは出来ない。けれど――。 「尚隆。前言撤回だ」 見返してくる表情のない瞳をまっすぐに睨み据えて、静かに言う。 「もう目は閉じない。おまえのやる事に、目を瞑ってなんかやらない」 硬い声で言い切った六太に、尚隆は表情も変えなかった。俺に任せるのではなかったか、と、輪をかけて硬い声で言う。 「任せるさ。でももう目は閉じない。俺が、ずっと、見ててやる」 豊かで平和ないつかの為に、犠牲にする何かも。 そのための努力も、辛苦も。 たとえば滅びへの道筋であっても、目を逸らさずにずっと、見ているから。 「だから――」 「だから、なんだ」 「だから、約束は忘れてくれていい。滅ぼしたいならそうすればいい。それでも――」 それでもずっと傍にいて、ずっと見ているから――か。 それでもおまえは、俺が望んだような国を目指すんだろう――か。 どちらに続くのだったかは、六太にも分からない。尚隆がふと笑みを浮かべ、麒麟の台詞とは思えんな、と言ったからだ。 それは間違いないくいつもの尚隆の笑顔で、呆れたようなからかうような色がその声に含まれていたから、六太は一瞬泣きそうになって、慌てて奥歯を噛み締めた。 尚隆は榻(ながいす)の上に胡座をかいて座り直し、組んだ足に肘をついて立ったままの六太を見上げた。悪戯っぽく笑って言う。 「忘れんぞ、俺は。――任せておけ、と言ったろう」 いきなりどうしたのだ、と穏やかな声音に問いただされ、六太は思わず目を伏せる。 「迎えに行ったとき……おまえがあんまり楽しそうだったから、さ」 それでも六太は尚隆を連れ帰らねばならなかった。本人が望もうと望むまいと、彼は間違いなく王なのだから。 尚隆は驚いたように幾度か瞬き、何かを噛み締めるようにして少し笑った。 「案ずるな。少しばかり、そう――懐かしい気がしただけだ」 なにやら妙に似ていてな、と遠い目をしてぽつりと言う。どこがどうとは言わなかったが、六太にも分かる気がした。 青く光る海や潮風。明るく遠慮のない素朴な人々。潮と日に焼けた笑顔や、ひび割れた無骨な手指。投網を繕う姿も、沖を行く小舟の影も、打ち寄せる波の音や船上で呼び交わす漁師達の声も――王宮にあっては決して目にすることのないそれら諸々の事柄が、瀬戸内の景色と小松の民の姿とに重なる。 懐かしむのが悪いとは思わない。六太とて時折、もうおぼろになってしまった生みの親のことを考えたりもする。 思い起こせば胸が痛い――そんなことは四十数年生きてきた中にいくらでもあって。それはきっと、いつまで経っても思い起こせば胸が痛い。 けれど、決してそれに囚われてはならない――そういうことだ。 「しかしまぁ、なんだな」 明るく言って尚隆は立ち上がり、消されていた壁際の燭台に火を付けた。くつくつと笑いながら洋燈の灯を強くして、六太を床几(いす)に座らせる。 「せっかくうるさい口を塞ぐ、良い言質を取ったと思っていたのだがな。俺の麒麟は案外心配性だ」 幼い子供にするようにくしゃくしゃと頭を撫でられて、六太は思わず首を竦めた。うるさいな、と乱暴に言い放ち、卓から杯を奪い取って中身を喉に流し込む。 「とにかく! 税の件なんとかしろよ! どうすんだよ、ホントに」 上目遣いで睨め付けると、尚隆はしばし視線を彷徨わせ、困ったようにこめかみを掻いた。 「どうもこうも――信じたか?」 「ンな訳ねぇだろ」 六太は即座に断言する。尚隆は肩を竦めてまたもや視線を彷徨わせ、結局酒瓶を手にとってそのまま呷った。酒杯は六太の手にあって、代わりになるものを発見できなかったらしい。 「まあ、おまえはともかくとして、だ。官は信じておるだろう」 「確かに莉循なんかは真っ青になってたけどな。朱衡あたりはどうかなぁ」 青くなって狼狽えていたのは、尚隆個人とはさほど親しくない者ばかりだった気がする。 「ふふん。程良い緊張感というものだ。奴らも思い知ったろう」 嬉しそうな尚隆の台詞に、六太はがっくりと肩を落とした。今頃徹夜で告知の準備と調整に追われているだろう官吏等を思うと、もう本気で涙が出そうだ。これで冗談だなどと言われれば、確かに彼らも思い知るだろう。――王はいない方が平和である、と。 「けどな、時期を考えろって言ったろ? そうでなくても忙しい時期に一ヶ月も行方不明で、やっと捕まえたと思ったら変なこと言い出して引っかき回して、自分で仕事増やしてるんだぞ? 絶対しばらく監禁されるからな!」 びしり、と指を突きつけると、尚隆は不満げに鼻を鳴らして更に酒瓶を呷った。 「おまえもだろう?」 「俺は一ヶ月も行方不明になってねぇもん」 「手伝ってはくれんのか」 「冗談! 自業自得だろ?」 ふふん、と笑って酒瓶を奪い、杯に継ぎ足して卓に戻す。尚隆はそれに手を出さず、顎に手を当ててふむ、と唸った。 「烏号に美味い饅頭屋を見つけたんだが、誘ってくれるなと言うわけだな?」 ちょうど酒を口に含んだところだった六太は、思わず吹き出しそうになったのを慌てて飲み下し、けほんと一つ咳をしてから尚隆を見上げる。 「……なんで?」 「真面目に仕事をしろというわけだろう? いやぁ、残念だ。この世の物とは思えんくらい美味い饅頭なんだがなぁ」 是非ともおまえに喰わせてやりたかった、などと白々しいまでの真顔で尚隆は俯く。 「え、ええとその……息抜きは必要だと思うぞ、うん」 うんうん、と二度頷いたところで二人は顔を見合わせ、声をたてて笑った。 あの時、ほんの少しだけ――尚隆は雁を滅ぼしてみたかったのだと、六太はそう信じている。本気でないことくらいは始めから分かっていたけれど、それでもほんの少しだけ――亡くした民に殉じたいような、そんな心持ちだったのだろうと。 それだからこそ、まさにあの時に、自分の立つべき場所を見定められたことの意味は大きいと六太は思う。 人は結局誰でも独りだ。けれど、己と、己の負うべきものを支えるくらいの足は皆持っている。そうして自ら立ちさえすれば、誰かを支えることもできる。 あの時、殊更に尚隆が一人に見えたのは、不安でたまらなかったのは、六太が己自身を尚隆に負わせようとしていたからなのだろう。 他人や他人の負うべきものまでも抱え込んでしまったら、いくら頑健な者でもいずれは共に倒れるしかない。 だから六太は利広に大きな借りがあるし、今でもこっそり感謝している。――もっとも、後に風漢を介して知り合うまで名前さえ知らなかったのだが。 二度と会うことはないだろうが忘れずにいよう――そう思っていた相手が、数十年経ってから同じ顔でにっこり笑い、初めまして、と言ったときには心底愕然とした。それから彼の立場を知って、あの時の言葉の重みは伊達ではなかったのだと、妙に納得したことを覚えている。 ――それももう、ずいぶん昔のことになってしまった。 再会から今に至るまで、初対面の時のことを利広はすっかり忘れているようで、六太は少しほっとしている。 「……六太くん?」 追想の中そのままの変わらない顔に覗き込まれて、六太は思わず身を引いた。少しばかりぼんやりしていたらしい。 「え? ああ、旌券ね。急ぎなのか?」 四百七十年前から、急速に意識を引き戻す。今現在との隔たりに少し眩暈がして、六太は幾度か強く瞬いてから改めて利広を見上げた。不審な態度を特に問いただすでもなく、ううん、と利広は首を振る。 「お茶をするくらいの時間はあるよ。ちょうど甘いものが食べたい気分なんだ」 そういって利広は、六太が目指していた甘味処に目をやった。 「旌券のお礼に奢るから、付き合ってくれない?」 もちろん六太に否やはない。弾む口調で目当ての菓子をあげつらうと、利広の口元が僅か引きつった。 「あの、ちょっと……六太くん?」 「あとやっぱり桃饅頭ははずせないだろ? 月餅は絶対全種類食べたいし、それからそれから――」 賑わいの中を足取りも軽く六太は進み、不安そうに懐具合を確認する利広を満面の笑顔で手招いた。
豎立:まっすぐに立つこと。また、しっかりと定めること。
とっても長いのに最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございます。 いやいや、ほんとに長かった……(苦笑) 十二国記シリーズは大好きなのだけど、とても気に入らないところがあります。 「東の海神 西の滄海」の最後の方、「ならおれは、尚隆がいいと言うまで目を瞑っている――」という六太の台詞。 違うでしょう!? と思うのです。 そんな真似は六太には出来ないと思うし、して欲しくもない。 ずーっと前言撤回させたかったのが、ようやく形に出来ました。……書き始めてからだけでも、一年以上は経ってるよ(汗) 尚隆がちょっと不穏なのは、長い人生一度くらい気の迷いがあってもいいかなぁ、とか。ちょうど「死に頃」だし(人間五十年の頃の人だし)。碁石の件とは別に。(碁石の件は気の迷いよりはハッキリしていたのではないかと) 勝手にサンクス。 このおはなしは、「玉花宮」の利広のおかげで出来たと言っても過言ではありません。ずーっと気にはなっていたけど、どうすればいいのかさっぱり分からなかったのですが、玉花宮の利広がとっても魅力的で、利広を噛ませればなんとかなるかもという気にさせてくださいました。もちろん、利広以外も大変魅力的なのですが。 森咲さま、ありがとうございました。 文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
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