―― 豎立 ジュリツ
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Written by Shia Akino
 主の動向を気にしつつも、六太は六太でやらなければならないことが山程もある。ようやく執務に区切りがついて、仁重殿の私室に戻ったのは深夜に近い頃合いだった。
 早々に人払いをして牀(しんだい)に転がり、凝った細工の梁を見上げて六太はため息をつく。
「……俺は、尚隆の麒麟なのに」
 知らず言葉が漏れた。一度瞬いてから眉を顰め、もう一度はっきりと繰り返してみる。
 ――不安なのは、尚隆が一人きりに見えるからだ。
 この異境の地で、戻ることのない故国を想いながら、たった独りで何もかもを背負おうとしているように見えるからだ。

 目を閉じていることなんて、もう出来そうになかった。なんと言われようと。

 とにかくも尚隆と話をしよう、と六太は決意した。勢い良く立ち上がり、女官に見つからないよう細心の注意を払ってそっと窓から抜け出す。とりあえずそこまでは手慣れたものである。
 ところが、探し人はまたもや王宮にはいなかった。王気をたどって関弓に降りると、緑の柱が鮮やかな瀟洒な建物に行き着いてしまう。
 この時間でもそこそこ人通りのあるこの界隈に、六太の幼い外見は悪目立ちが過ぎた。行き交う人は圧倒的に男が多いが、誰もが六太に訝しげな一瞥を投げて行く。
 早くに成長を止めてしまった自分の身体を恨みたくなるのは、こういう時である。さっさと尚隆を捕まえたいが、実年齢を告げない限り――つまりは身分を明らかにでもしない限り――六太はここに入れない。そんなことをすれば、大騒ぎになるのは目に見えていた。
 途方に暮れて、とにかくここでは目立ちすぎるからと裏道に入る。ぽつんと灯りの灯っている間口の小さな狭い店は、妓楼ではなく酒場だろう。当然そこにも入れない。
 はあ、と溜息をついたとき、ねぇ君、と声をかけてきた者があった。人の良さそうな笑みを浮かべた若い男である。
「――何?」
 時間が時間だし場所が場所なので、六太も一応身構えてはみたが、そう怪しい者にも見えなかった。着ている物は旅装を解いた普段着といった体裁だが、匪賊(ごろつき)にしては使っている布地が上物である。
「沙光楼って宿屋、どこにあるか知らないかな?」
 情けなさそうに眉を寄せて、男は小さく肩を竦めた。
「夜の散歩と洒落込んでみたのは良いんだけど、道に迷ってしまってね」
 いい歳をしてさらりと迷子なのだと告げる男に、六太は思わず苦笑した。
「案内してやるよ。ここからだと分かり難いんだ、あそこ」
 身長に差があるので肩を並べるのは難しいが、二人は並んで歩き始めた。

 妓楼や酒場の並ぶ通りを離れ、小さな商店がひしめく界隈に入る。この辺りは昼間はそこそこ賑わうが、夜になると途端にしんと静まり返ってしまう。灯りのついている建物も少ないから、頼りになるのは幽かな月の光だけだ。どこから来たのか、とか、何をしに来たのか、とか、当たり障りのない会話をしながら細い道をたどっていく。
 本性が獣である六太は、普通の人に比べて格段に夜目が利いた。この仄かな月明かりの中で、そんな六太の隣を危なげなく歩む男は、実は案外侮れない人物なのかもしれない、と思う。
「それにしても夜の散歩って、見た目に寄らず剛胆なんだな」
 はっきり言って、見た目は優男である。揶揄するように六太が言うと、見た目に寄らずってなんだい、と笑って、男はちょっと首を傾げた。
「そんなこともないんじゃない? 十四,五年前だったら危ないだろうけど」
 確かにその頃までは、草寇(おいはぎ)の類もまだちらほら存在した。さすがに今ではそんなこともないが、大きな街の常でならずものがいないわけでもない。
「でも迷ったんだろ? 悪いヤツがいない訳じゃないんだから気を付けないと。旅の人は狙われやすいんだからさ」
 この薄闇の中を平然と歩く男なら、たとえ襲われたにしてもなんとかしてしまう気もするが。そこそこ上等な衣服を着て、どこかのほほんとした雰囲気のある青年は、匪賊の目から見ればいい獲物なのではないだろうか。
 ついつい値踏みするような視線で隣の男を見上げていると、君は? と問われた。
「俺? 俺は旅の人じゃないもん」
「旅の人じゃなくたって危ないでしょう。こんな時間にあんな処で何をしてたんだい?」
 俺も散歩、と答えようとして六太は言葉に詰まった。成人男性であるこの男ならともかく、六太ではあまりにも説得力がない。
 なにより、何をしていたかと問われた途端、ぼんやりと見送ることしかできなかった尚隆の広い背中を思い出してしまったのだ。
 ――どうしてだろう、と思う。
 尚隆の広い背や逞しい肩は、昔は六太に安堵を与えてくれたのに。国を背負って立つ揺るぎない強さが、嬉しかったはずなのに。
 どうしてか、それが今はひどく不安で。

 黙り込んでしまった六太に何を思ったのか、男は謝罪を口にした。案内してくれるのは助かるけど、何か用があったんじゃないかと思ったんだ、と続けて困ったように笑う。
「喧嘩を、してさ……」
 詮索するつもりじゃないから、と言うのについそんな風に応えてしまったのは、二度と会うこともないだろう相手だからだ。名乗ってすらいない行きずりの相手になら、多少の不安を口にしても大丈夫な気がした。宰輔としての六太には、決して出来ないことだけれど。
「喧嘩って言うか……口を挟むなって言われて。確かに俺、あいつに任せるって決めたから、あいつがいいって言うまで目を瞑ってるって……言ったんだけど。確かにそう言ったけど、でも――」
「出来ないんだ?」
 それがあんまりあっけらかんと明るい口調だったから、六太は思わず足を止めてその男を睨み付けた。
「出来ねぇよ! 信じてないのかって、そう言われたけど! そんなつもりじゃなくて、ただ俺は……っ!」
 そう――雁を頼むと言ったのは、独りで背負って欲しいという意味ではない。共に在って欲しいと、そう言いたかった。なくしたものの代わりにはならないかもしれないけれど、今はこの国が、おまえと共に在るのだからと。
 唐突に激高した六太を首を傾げて見下ろしていた青年は、信じる事と任せる事は違うことだよ、と、落ち着いた静かな声でそう言った。
「任せることと頼ることも、それも全然別のことだし」
 ぽかんとしてしまった六太に笑みを見せてから、男は何か思い出したのか、少しだけ嫌そうな顔をした。
「私は頼ることも頼られることも嫌いだな。もちろん、頼りにすることが一概に悪いことだとは言い切れないけど」

 頼ることは、たやすく依存とすり替わるから――。

 溜息のようにそう言って、男はしばし口を閉ざした。六太が何か言う前に、気を取り直したようにもう一度笑む。
「目を閉じて、何もかも相手に任せきりにする事は、信じているというより頼ってるって事なんじゃないかな。それが出来ないっていう君のあり方は、正しいと私は思うよ」
 やわらかく細められた青年の瞳は、ほんの二十数年を生きただけにしてはいやに深い色をしていた。実年齢では自分の方が倍近くも上だろうに、と六太は思って、けれどなんとなく素直に頷ける気がした。
「そう、かな……」
 小さく言った六太に、うん、と肯きを返し、男は身振りで六太を促して先へと足を進めた。そこを右、と指示を出し、六太は小走りで隣に並ぶ。
「でもその友達もずいぶんな自信家だねぇ」
「友達?」
 笑みを含んだ言葉に虚を突かれ、六太は幾度か瞬いた。
「喧嘩の相手。友達じゃないの?」
「ああ、いや。うん。そう。庠学の、課題で」
 慌てて取り繕うのを気にした風もなく、男はくすくすと笑いだす。
「なかなか言えないよね。口を挟むな、なんて」
 楽しそうに笑う青年につられて、六太も思わず笑みをこぼした。
「そうだよな。必要以上に偉そうなんだよ、あいつ」
 まあ、偉そうにしているのも仕事の内と言えないこともないのだが。
「もうちょっと謙虚さってのを身につけて欲しいよなー」
「いるよねぇ、そういう人」
 顔を見合わせて笑いあい、宿屋の前で二人は別れた。

 薄暗い道を一人で戻りながら、六太は大事なことを見誤っていた、と思う。
 任せることと信じることと頼ることを混同して、預けるべきものを己自身などと思い込んでいた。結局それも出来なくて、自分が立つ場所を見失っていたのだ。
 慈悲だけで国は成り立たない事くらい、六太にも良く分かっている。けれど、苦しいと聞けば哀れだと思う。それは己の本性に根差したどうにも変えようのない性質で、だから尚隆は嫌なら目を瞑っていろと言ってくれたのだ。
 だけど今はこうも思う。苦しいと聞いて哀れだと思うのは、なにも麒麟ばかりではないだろう――と。
 嫌だからといって目を瞑ってはならないのが国主であろう。ならば自分もそうあるべきなのだ。そうして、哀れでも辛くても最善と思える道を選択するのが王ならば、それを見届けるのが麒麟の責務ではあるまいか。
 目を瞑って耳を塞いで口を閉ざして、相手の一部のようにただ背負われて在るのでなければ、半身といえども同じ場所にいることは出来ない。けれど、隣に立って同じものを見る事ならば出来るだろう。
 それでいいと、正しいと言ってくれた彼のことを、忘れずにいようと六太は思った。

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