邂逅 カイコウ 上
Written by Shia Akino
注:クラブレケリーが十二国にトリップ!
「兄さん達さぁ、草寇(おいはぎ)ったら普通、もっと金持ってそうなの狙わねぇ?」
 柳と接する雁の街、北路の路地である。六太は壁に背をつけて、周りを囲む男達を見上げていた。
 時は夕刻――黄昏の光は広途を黄金色に染めていたが、雁の国は辺境でも高い建物が多い。細い路地は照り返しでほんのりと明るんでいるばかりだ。
 人目はなくもなかったが、この辺りは国境に程近く、通るのは柳からの荒民(なんみん)ばかりだった。皆、我関せずとばかりに顔をそむけて行ってしまう。
 だが、柳はまだ倒れていない。
 少なくとも倒れたという話は聞かない。
 だから荒民というには当たらないのだろうが、やはりここは荒民というべきだろう。目の前の男達も恐らくその類だ。国境の街は、この頃とみに治安が悪い。
「うるせぇぞ、餓鬼。てめぇ、ご大層な騎獣連れてたじゃねぇか」
 男の濁声に、六太は軽く舌打ちを漏らした。
 たまは舎館に預けてきたが、どうやら見られていたらしい。借り物だと主張したところで、ならば人質にとって持ち主を脅そうという話になりそうだ。
 使令を呼べば逃げ切る事は簡単なのだが、間違いなく騒ぎになる。苦労してようやく抜け出して来たのに、それでは自分で通報するようなものではないか。
(……まあ、とにかく逃げてみよう)
 六太は思って、囲みの薄い部分をめがけて駆け出した。体当たりを食らわして、よろけた男の脇を擦りぬける。
 ここに到ってまだ逃げようとするとは思わなかったらしく、男達は一歩出遅れた。
「てっめぇ……待ちやがれ!!」
 口々になにやら喚きながら追い始めた、その時。
 脇から伸びてきた腕に、六太はヒョイと持ち上げられた。
「――っ!」
 出てこようとした使令を咄嗟に止めたのは、背後の匪賊(ごろつき)共が、横取りする気か!? と喚いたからだ。
 仲間ではないらしい男の返答は、恐らくただの一瞥。
 恫喝どころか、ほんの一言さえ口にしなかった。
「なん、なんだよ……」
 匪賊共は明らかに狼狽している。怯えたような空気が漂って、小声の文句と共にばらばらと足音が遠ざかった。
 六太はその間、小脇に抱えられた姿勢で持ち上げられたままである。ちょっと情けない。
 ほんとに横取りだったらどうしよう――と、思う間もなく解放された。
「あ、ありがと」
 息をついて男を見上げ、六太は思わず目を見開く。
(――でけぇ)
 六太にとって大人は大概でかいものだが、輪を掛けてでかい。はるかに上向かなければ顔も見えない。
 しかも、美形だ。
 冷たい美貌はただ整っているというだけでなく、著しい力を感じさせた。複数の男を視線ひとつで追い払ったというのも頷ける。
 琥珀の瞳が六太を見下ろし、ちょっと笑った。
 途端、冷たい美貌に愛嬌が加わり、人懐こいような印象になる。
(うっわぁ……)
 感嘆のあまり声も出ない。
 六太が尚隆に感じたのは陽光のような光だったが、この男には磁力のようなものがあった。人の目を惹きつけて放さない。
 麒麟に分かるのは自国の王の事だけだが、この男の纏う空気は王のものだと六太は咄嗟にそう思った。
「おまえ、生まれはどこだ? 巧か芳だったりしないか?」
 ついつい勢い込んで聞いてしまう。
 現在、王のいない国は二つ――巧と芳。どちらかの生まれならば、未だ見出されていない王である可能性は高いのではないか。
 男は答えず、瞬いて首を傾げた。
「――ああ、ごめん」
 あんまり唐突だったかと六太は反省し、同時に尚隆ならどう思うだろうと考える。
 舎館までは共に来て、その後別れた尚隆は、まだその辺りにいるはずだった。
「あのさ、このあと時間あるかな? 会わせたい人がいるんだけど」
 やっぱり少々唐突で、しかも名乗る事さえ忘れていた六太は、珍しく他人の空気に呑まれていたのかもしれない。



 男をひとり舎館に残し、六太は主を探しに出た。
 さほど時を置かず戻ってみれば、六太が頼んでおいた酒を前に、男はすっかり寛いだ風である。
 ほう、と漏らした尚隆をちらと見上げ、六太は改めて男を見やった。
 薄汚れた粗末な袍子と精悍な整った顔立ち、黒紫の髪は埃っぽいが態度は悠揚たるもので、どうにもちぐはぐな印象である。
 少なくとも、ただの匪賊とは思えなかった。
 高価な騎獣を預ける関係上、舎館はどうしても並より上の部類になる。雁の並より上といえば、他国の上級に値する。匪賊などに寛げるものではない。
 尚隆が先に進み出て簡単に名乗った。
 もちろん延王などと告げはしない。小松尚隆、と言うのを聞いて、六太はようやく名乗っていない事を思い出した。
「あー、ごめん。おれは六太」
「俺はケリー」
 短く告げて、男は面白そうにちょっと笑う。
「あんた達二人ともそうなんだな」
「――何がだ?」
「言葉が分かる」
 座ろうとしていた尚隆と六太は、中途半端な姿勢でいったん止まった。
 男は腕を組み、なにやら納得したように一人頷いている。
「始めは俺と同じ言葉を話してるのかと思ったんだが、よくよく聞いてみると耳が拾ってる音は知らない言葉なもんで、悩んじまったぜ。意味が分かるから脳が錯覚するんだな。どんな魔法か知らんが、面白いもんだ」
「――って事は……海客?」
 六太は目を見開いた。耳慣れない名であるし、言われてみれば違う言葉を話している――というか、いままで一言も口にしていなかったのだが、それにしたって全然気付かなかった。
「胎果かもしれん」
 海客も山客も、胎果でなければたいがい黒髪に黒い瞳だ。黒紫の髪に琥珀の瞳の男は、確かに胎果の可能性が高い。
 となれば、王である可能性はまだあるものの、生まれを問うても無駄という事だ。
 六太は息を吐いて長椅子に座り込んだ。
 ちょっとつまらない。
「まったく分からんのか? いつこちらに来たのだ」
 尚隆の問いには、五日程前、との答えがあって、六太はついつい呆れ果てた視線を送ってしまった。
 男が身に着けているのは、粗末な上に大きさが合っていなかったが普通の袍子である。
 どうも曲がっているようだったが、山刀まで携えているのだ。
 買ったとは思えないから誰かから巻き上げたのだろうが――どうやら一人で行動しているようでもあるし、通りすがりに子供を助ける余裕にしても、すっかり寛いで酒杯を傾ける様にしても、流されて早々の海客にはまったく見えない。
 言葉も通じない異国にひとり放り出され、僅か五日程度でこうまで馴染んでしまえるものなのか。
「五日前だと? 蝕があったのか。報告が来ておらんな……」
 尚隆が眉を寄せる。
 ショク、と首を傾げる男には六太が説明を施した。
 異界から人が渡る時には災害が起こる――というか、災害に巻き込まれて人が流されて来るのだ。
 災害という言葉に男は難しい顔をしたが、故郷が心配か、と言うのには首を振った。
「いや、一緒にいたのは普通じゃない奴らばっかりだからな。殺したって死なねぇよ」
 金銀黒の天使達に女房を加え、長期休暇を利用してのバカンスの真っ最中だったのだ。
 ちなみに息子には、ものすごい勢いで拒否された。災害云々と聞いた今では、逆に良かったのかもしれないとは思うが。
「あれには驚いたぜ。海の底が抜けるとはな」
 浅瀬を歩いていたら、いきなり落ちたのだ。
 視界が暗転し、次いで白光に満たされ、最後に鈍色に染まった。
 荒れた海面に叩きつけられる直前、ゲートを跳ぶ時の感覚が肌を撫でていた。
 ケリーにとっては慣れた感覚だったが、人間は普通、生身のままゲートを跳んだりしない。
 まずい、とは思ったがどうにも出来なかった。
 大きくうねる黒い海を泳いでなんとか岸に辿りついてみれば、周囲は惨澹たる有様で、しかも今まで居た場所とは異なる事が確実だった。
 なにしろ言葉が通じない。
 普通ならここで、狼狽するなり混乱するなり絶望するなりするのだろうが、あいにくケリーの周りには普通じゃない事が多すぎた。いちいち驚いてもいられない。
 腰を据えて事態を把握するべきだったのかもしれないが、見慣れない格好の見慣れない人物に対して、住民達は突き刺すような視線を送ってきた。理解できない言葉でのひそひそ話は不穏な空気を醸し、身の危険を感じて移動を開始したケリーは途中、草寇(おいはぎ)から逆に身ぐるみ剥いで――今に到る。
「俺が落ちたのは、たぶんこの国じゃないぜ。国境らしいところを越えたからな」
 あっさり言った男に、尚隆と六太は顔を見合わせて溜息をついた。
 移動時間が五日程度という点を鑑みるに、雁に近い柳の沿岸で蝕があったということらしい。
 柳の状況は雁にとって、今のところ最大級の関心事だ。荒民の事もあるし、監視の目は強化してある。
 他国の事であれば報告は多少遅いものだが、強化した情報網の伝達速度より、この男の行動の方が早かったわけだ。
「……運が良かった、ってとこか」
 六太は腕を組んで呟いた。
 今頃は報告が上がっているかもしれないが、仮に脱走が一日遅れて報告を受けていたとしても、他国の事。海客の行方まで調査させたとは思えない。
「あるいは天の采配――か」
 尚隆も呟く。
 たまたま宰輔が匪賊に絡まれ、そこにたまたま通りかかって見過ごさなかった男は、たまたま北路に来ていた王と面識を得た。
 ――天をも巻き込む強運。
 王気というものが万人に見えるものならば、この男には確かに王気と呼べるものがある。
 ここでこうして巡り会ったのは、麒麟旗が挙がるまで力になれという天の思し召しなのかもしれない――半ば本気で、二人はそう考えた。


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―― ...2008.11.07
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 邂逅――そして誤解(笑)
 仙の翻訳機能については勝手な想像です。
 口から出る音そのものが変化するとは思えないので、脳が錯覚するんじゃないかなぁと。仙の言葉には錯覚させるような呪力が宿ってるんだきっと。
 脳って物凄く精密で、同時にかなりいい加減な器官なんだよね。
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