邂逅 カイコウ 下
Written by Shia Akino
注:クラブレケリーが十二国にトリップ!
「御主の名はこちらでは使いにくい。字は“ケイリ”でどうだろうか」
 炯悧、と酒に浸した指先で書いて、身柄は俺が引き受けよう、と尚隆は言った。
 だが男は、結構だ、と首を振る。
「ご好意はありがたいが、俺はそもそもお尋ね者なんでね。政府に関わるのはごめんこうむる」
「え」
 思わず漏らして六太は男を見上げた。
 六太の耳には“国府”と聞こえていたが、関係者だと告げた記憶はない。
「なんで――」
「報告が来てないって言ってたじゃねぇか。報告を受ける立場なんだろう?」
 それを聞いた尚隆が僅かに目を細めたのを、六太は見逃さなかった。
 ちょっと妙な顔になってしまったのは、朱衡だとか帷湍だとか成笙だとか、尚隆に気に入られた者が碌な目に遭っていないのを知っていたからだ。
 だがこの男は、先の台詞からも分かるように目端が利く。体格にしろ佇まいにしろ腕が立つのは確実だし、王であろうとなかろうと手放すには惜しい人材だった。
「しかしな、帰れんぞ。生計を立てる手段は講じるべきだと思わんか。戸籍と職は必要だろう」
 男はこれにも首を振る。
「いや、たぶんそのうち迎えが来る」
 海客は大抵、帰れないという事を受け入れるのに時間がかかるものだが、これは違った。ケリーにとっては確実な未来だ。
 この事態は明らかに普通では有り得ない、魔法に属する事柄だし、となれば彼等に制約は効かない。
 しかもケリーが姿を消したのは、あの黒い天使の目の前だったわけで――実際、ルウはこのとき気も狂わんばかりの有様だった。
 相棒とは別の意味で一番大好きな人間である。太陽を失った時とは違う反応ではあったが、やはりそうそう近寄れない雰囲気を発散していた。
 ガイアが嘆こうがユレイノスが憤激しようがお構いなしに、どんな手段を使ってでも探し出してくれるだろう――ケリーはそう思っていたし、それはルウの決意と寸分違わないものだったのだ。
 迎え、と六太も尚隆も首を傾げたが、男は多くを語らなかった。意味ありげな笑みだけを浮かべる。
「戸籍も職もいらんというのか?」
「いらねぇな。俺は五体満足だ」
 身一つあればなんとでもなるという、不敵ともいえる自信。
 尚隆はどうやらますます気に入ったらしく、なんとも不穏な雰囲気に六太は少し眉を寄せた。
 長すぎるくらいに長い付き合いだ。主が何を言い出すかくらい予想はつく。
 ただ、こういう男に何かを強いるのは危険だろうと思うのだが――案の定、嫌だといっても俺はやるぞ、と尚隆は言い放った。
「まずは戸籍を用意せねばならんな。仙籍は後でいいとしても、界身と旌券は早急に必要か」
 戸籍と界身はともかくも、海客を端から仙籍に入れる訳にはいかないのだが――これならば反対意見もさっさと消え去るに違いないと、尚隆は一人御満悦。当人は蚊帳の外である。
「だから! 世話になる気はねぇって――」
 男は当然声を荒げたが、尚隆は片手を上げてそれを制し、にやりと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「迎えが来るといったな?」
 そんな事は有り得ないはずだが、あえて言う。
「手掛かりも何もなく、浮民暮らしの男を一人探し出すのは俺でも難しい。それとも――迎えに来るという御仁は、なにもなくとも御主の居場所が分かるのか?」
 麒麟に王の居場所が分かるように――心の中だけで付け加え、尚隆は目を細めて男の様子を窺った。
 ケリーは眉間に皺を寄せ、不本意ながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
 ルウの占いは百発百中だが、具体的、という点においては甚だ心許ないのだ。
 黙したままの男に、尚隆は深く笑って言葉を継いだ。
「ならばどこかと繋がっておく事だ。職に就くのが嫌なら好きに放浪しても構わんぞ。各地の様子を報告してくれればそれで良い」
 尊大な物言いに男はますます眉を寄せたが、尚隆は気にせず更に言う。
「俺ならば各国に顔も利く。異変があれば分かろうし、多少の無理は通るからな。文なり人なり迅速に運べるぞ」
 冷えた空気には頓着せずに、尚隆は酒杯を傾けた。
 首筋の毛がチリチリするような感覚に見舞われ、六太は首をすくめている。仁の獣としては居たたまれないような雰囲気だ。
「――あんた、何者だ?」
 男が低く問う。
 尚隆は薄く笑って、氷で作った炎のような視線を真っ向から受け止めた。
「名は小松三郎尚隆――号で言うなら延王だ。雁州国王、延」
 耳鳴りがするような沈黙。
「どうだ、悪い話ではあるまい」
 殊更に軽い調子で尚隆が言えば、男は口の端を皮肉な形に歪めた。
「報告さえすれば好きにしていいとはね。――俺の方がずいぶん得に思えるんだが?」
「そうか? 情報は万金に値する。御主にそれが分からんとも思えんが」
 凍りつくような気配を収め、男は呆れたような息を吐く。
 この世界の事をろくに知らない人間が、好き勝手に放浪した先の様子を報告したところで役に立つとは思えないが、有用な情報というものは確かにどんな宝より価値のあるものだ。
「口が巧いな、あんた」
「それで飯を食っている」
「……王様が?」
「王など体のいい下男のようなものだぞ。いかにしてそれを気取らせず、騙くらかして命に従わせるかが肝だ」
 妙な意見を胸を張って言った尚隆に、ケリーは思わず吹き出しかけた。
 国王本人が言うあたり、真実味はあるのだがなんともおかしい。
「……偉いと思わせておくのが仕事だって?」
「然り」
 なおも傲然と尚隆は頷く。
 異色の王様像にケリーはとうとう笑い出し、どうする? と問うた尚隆に、諾――と一つ頷きを返したのだった。


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―― Fin...2008.11.07
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 隠しリクエスト企画発見者、麒柳さまのリクエスト“ケリーが茅田作品以外にトリップ(ジャンプ系又は十二国記か銀英伝)”より、クラブレケリーin十二国記でした。ど、どうでしょう……(ドキドキ)
 リクエストを見たときには、――無理! と思ったものですが……案外なんとかなるものですねぇ。意外と楽しかったです。麒柳さまに感謝v
 なにやら序章のような代物になってしまいましたが、今のところ続く予定はありません。

  元拍手おまけSS(×2)↓
おまけそのいち

 逃亡中の王と宰輔には、しばらく王宮に帰るつもりがなかった。
 仙籍にしろ戸籍にしろ戻らなければ何も出来ないのだが、出てきたばかりで帰るというのも嫌な感じだ。
 こちらの事を講義しながら、しばし行動を共にする――結局そういう話に落ち着き、炯悧は湯を使いに行った。薄汚れた格好のまま連れ歩くのは、さすがに少々具合が悪い。
「尚隆、おまえさぁ……あいつ、戴に行かせようとか思ってねぇ?」
 旨そうに杯を傾ける己が主を見やり、六太は懸念を口にした。
 虚海に囲まれ、荒廃したまま孤立した国――彼の地から流れてくるのは不穏な噂ばかりで、何が起きているのか正確なところは把握できないでいる。
 確たる情報は喉から手が出るほど欲しかったが、人心は乱れ、妖魔が徘徊する彼の地から、並の者では生きては戻れまい。
 かといって王師を向かわせては覿面の罪だ。――が、食客の風来坊ひとりならばそれには当たらないし、失ったところで痛くもない。
 尚隆は口の端に笑みを刷いて、さてな、と答えた。
「あれは王かもしれないって、尚隆だって思ったろ? そういう事していいのかよ」
「王だとて選定を受けなければただ人だ。それに、何にせよ命じるつもりは俺にはないぞ」
「そうなのか?」
 意外に思って六太は瞬く。
 ただの親切をわざわざ押し売るような性格ではないはずだ、六太の主は。
「ああいう男は手綱を付けようとすれば牙を剥く。とても飼えるものではないが、縁を切らずにおけば、気が向いた時には何かしら役に立ってくれるだろうさ」
「…………ふうん」
 王という生き物は、まったくもって救い難く狡猾だ。麒麟である六太には、時折付いて行けないものを感じる。
「……腹黒」
「なに、あやつもそれくらい承知の上だ」
 呵呵と笑って、雁の小間使いは満足そうに杯を乾した。
おまけそのに

 雁州国玄英宮において、本来ならば賓客として遇されるべき身分である陽子はしかし、当人及び宮の主の意向により割合自由に行動する事が可能だった。
 即位して日が浅く、不穏な空気がなくもない金波宮より自由かもしれないくらいだ。
 到着後あてがわれた客間で一息つき、翌朝に予定されている荒民の移送についての話し合いに思いを巡らせながら、陽子は散歩でもしようと中庭に向かった。
 先導の女官もなく、勝手知ったる他人の家とばかりに一人走廊を歩いていたその背に、声がかかる。
  「あれ、陽子。着いたのか。早かったな」
 なにがしかの違和感を覚えつつ振り向いた陽子は、眼前の光景に顎を落とした。
「え、延台輔……なにをしているんです?」
「肩車」
 それは見れば分かる。
 やたら美形の、やたら背の高い男の肩に乗っている延麒の顔は当然かなり高い位置にあって、違和感の正体はどうやらそれだ。声の位置が高い。陽子は上向いて仰け反ったあげくに二、三歩後退る羽目になった。
 場所が王宮であるから走廊も堂室も天井が高く、それでも延麒の頭は上に付きそうになっている。
 ――肩車。
 大国雁の宰輔六太は、男の黒紫の髪に手を置いて唖然とする陽子を見下ろし、にかりと笑った。
 ――五歳の子ならば愛らしかろう。
 五歳の子ならば愛らしかろうが、あいにく五百を過ぎた地位も身分もある人物となると、文字通り開いた口がふさがらない。
「陽子、これはうちの食客で炯悧」
 ぼすぼす、と眼下の頭を軽く叩いて延麒が告げる。
「炯悧、あちらは陽子。慶東国女王であらせられる」
 陽子の身分を耳にしても、男は膝を折らなかった。
 何故か目を細めて陽子の赤い髪を眺めていた男は、綺麗な顔に綺麗な笑みを浮かべて目礼と共にこう言った。
「お初にお目にかかります、景女王。炯悧と申します。一介の食客の身でありながらこのような姿勢で御前に罷り出ました非礼をお許しください」
 いささかも臆したところのない堂々たる挨拶である――が、いかんせん肩の上には雁国宰輔が乗っている。様になっているとは言い難い。
 膝どころか腰も折らないのは、それをすると神獣麒麟が落っこちるからだろうが――伏礼を廃した慶国ならばいざしらず、なかなか大した度胸と言えた。
「いえ……お気になさらず」
 実際気にするような事ではなかったので、陽子はどうにかそう答えた。
「食客というと、貴方は――」
 官吏ではないのですか、と続ける前に口をつぐむ。
 走廊の端をちらと見やり、炯悧が笑みの種類を変えたのだ。不敵とも不遜とも表現できるような、王の面前には相応しくない表情である。
 陽子の言葉を遮った事を目線で謝って見せてから、炯悧は僅かに上向いた。
「六太。団体さんのお出ましみたいだぜ」
 それに陽子は、再びぽかんと口を開けた。
 神獣麒麟の御名を呼び捨てる者など、主である延王以外見た事がない。
「いたぞ、台輔だ!」
 走廊の向こうから怒声が響き、複数の足音が切羽詰った様子で駆けてくる。
「お、やべっ! 行くぞ炯悧。――じゃあ陽子、また後でな」
 ひらりと手を振る神獣を乗せたまま、男は惚れぼれするような速さと身ごなしで駆け去った。
 右だ左だと指示を出す弾んだ声が遠ざかり、捕り物のごとき物々しさで後を追う官吏の一団が通りすぎると、陽子はようやく開いたままの口を閉じた。知らず吐息がもれる。
「肩車……」
 なんだか眩暈がする。笑えばいいのやら呆れればいいのやら。
 麒麟とて獣形ならば騎乗は出来る。麒麟が乗せる人といえば、自国の王か同族くらいなものだろうが、しかし――。
「まさか麒麟を乗せる人がいるとは……思わなかった、な」
 なかなか珍しいものを見せてもらったと、陽子は結局くすくすと笑った。
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