―― 激動の一夜 1
Written by Shia Akino
 その日イヴンは、国王からの呼び出しを受けて王宮を訪れた。
 頼みたいことがある、というのである。
 独立騎兵隊隊長という職にあるイヴンは割合頻繁に王宮に出入りしているが、実のところ呼び出されてというのは珍しい部類だった。戦時には国王の傍近く仕える独立騎兵隊だが、平時から国政に深く関わっているわけではない。
 何事だろう、と思いながら辿りついた王宮の一室で、イヴンは難しい顔をした幼馴染にこう告げられた。
「ケリーどのが行方不明だ」
 深刻そうな声音である。
「行方不明?」
「どうやら、な。姿が見えなくなって十日程になる」
 この部屋には、他にバルロとブルクスがいた。そちらも難しい顔をしている。
「またタウにでも行ってるんじゃないですかい?」
 来いとはいったが、知らぬ内に行って来たと聞かされた時には、さすがにイヴンも驚いたものだ。案外好き勝手に出歩いているらしいケリーがしばらく姿を見せないからといって、そう心配することもないのではないかと思う。
 それが、とブルクスがため息をついた。
「これまでは、長く学舎を空ける際には学長に通達して行ったそうで……許可を得るわけではない辺りがあの方らしいですが、気を使ってはくれていたようなのです」
 ちょくちょく無断で姿を消した王女時代のリィに比べると、だいぶん大人な対応である。
 今回はそれがないらしい。
 通達のないまま姿を消された学長は、いつもの気まぐれなのか何かあったのかと、五日ほども悩んだという。
 思い余った様子の報告はさほど間をおかず国王の元まで届けられたが、この時のウォルは大して気にしていなかった。
 だが、それから更に五日余り――戻らないばかりか、連絡さえもないままだ。
「噂を利用しようという輩に拐かされたのではあるまいな」
 不機嫌そうなバルロの言葉を、イヴンは笑い飛ばす。
「あのガキがそんなタマかよ」
 案じたところで虚しいだけだ。というか後悔する。案じた自分が物凄い馬鹿に思えるから止めた方がいい。絶対。
 実体験に基づいて密かにげっそりしたイヴンを尻目に、まあな、と頷いて国王が腕を組んだ。
「ケリーどのは王妃の友人だし、滅多なことはないと思うのだが……あの噂のこともある。さすがに少し心配になってな」
 バルロとブルクスに貴族階級の不穏分子を、イヴンに裏社会の様子を探って欲しいというのだ。
 まあ仕方がない、とイヴンは了承する。
 貴族階級の不穏分子よりは、裏町のゴタゴタの方がまだ可能性は高いだろう。危機的状況は想定し難いが、抜けられない仕事でも入ったのかもしれない。
 イヴンはそう考えた。
 裏社会とは立場上疎遠にはなっているが、まだそれなりに繋がりはある。夜を待って裏町を訪ねればすぐに見つかるだろうと、この時点ではまだ、気楽に構えていたのだった。



 その夜イヴンはシッサスを訪れ、裏通りに入る前に表通りを少し振り返ってみた。
 ――どうも様子がおかしい。
 酔客はいつものようにそぞろ歩き、女達の嬌声も響いている。だが、どこか――ほんのわずかに、緊張感のようなものが漂っていた。
 心当たりはない。
 考えたところで分からないので、イヴンはそのまま裏町へと足を向ける。
 以前ケリーが働いていた酒場は、宵の口ということもあってか閑散としていた。
「へい、らっしゃい」
 扉を開けたイヴンを迎えたのは、何故かいつもは道端で鳥を焼いている赤ら顔の男である。
「ここの主人はどうしたんだ?」
 たしか女性だったはずだ。そういえば表通りにも女の姿が少なかった――と、イヴンは思う。
 女性同士の集まりでもあるのかもしれないが、男は何故か微妙に目を逸らし、訥々と答えた。
「ターニャなら……今日はその、休みだ」
 反応の不自然さにイヴンが首を傾げたとき、微かな喚声が耳に届いた。揉め事でも起きたかと身を翻して店を出れば、港の方が騒がしい。
「……剣戟?」
 鋼を打ち合わせる音が混じっている。只事ではない。
 表情を険しくしてイヴンは走り出した。
 港に近付くにつれ、混乱が激しさを増していく。やはり単なる喧嘩沙汰ではない。
 どこかで悲鳴があがり、喚き声と怒声が絶え間なく響く。
 大剣を肩に担いで通りを駆けてくる用心棒風の男を、イヴンは強引に呼び止めた。事情を問えば、海賊の襲撃だという。
 このところデルフィニアを騒がせている海賊が、少し前にシッサスを襲った話はイヴンも聞いていた。ろくな成果も挙げずに引き揚げたという事だったから、意趣返しを兼ねた再襲撃なのだろう。
 今度は海賊側が優勢なのか、扉を打ち壊すような音があちこちで響き始めている。
 なんとか捕縛しようと躍起になっている海軍の話によると、この海賊、揃いの赤い布を腕や腰に巻いているらしい。
 軍隊のように、揃いの制服で連帯感やら団結力やらを養う必要があるわけではあるまい。服装も装備もバラバラな一団だ、同士討ちを避けるためのものなのだろう。
 同じく服装も装備もバラバラな独立騎兵隊を率いるイヴンに言わせれば、 そんなものを必要とするなど寄せ集めのゴロツキくらいのものだ。 底が知れる。
 とはいえ、海賊は海賊だ。それも一昔前のキルタンサスの連中とは違い、仁義も何もあったもんじゃない奴らである。早々に態勢を整えて反撃しなければ、相当の被害が出るだろう。
 腰の剣を確かめて騒ぎの大きい方へと足を向けたイヴンは、敵主力と遭遇する前に信じ難いものを目にして凍りついた。
 目の前の、商家の扉を蹴倒して出てきた三人組。
 揃いの赤い布。
 それを揃って左腕に巻いた内一人が、見慣れた少年の姿だったのだ。
 目を見張ったイヴンの姿に少年は驚いたのかもしれなかったが、態度には出さなかった。担いでいた袋を仲間に押し付け、先に行け、と身振りで示す。
 イヴンがようやく口を開いたのは、二人がその場を立ち去ってからだった。
「ケリー……何をしてる?」
 聞くまでもない。どう見ても、海賊の一味だ。
「……見て分からないか? 仕事中だ」
 少し迷うような間を置いてから、いつか聞いたのと同じ抑揚で少年はそう答えた。
「どういうつもりだ?」
 少年は答えない。困ったように眉を寄せて、少し首を傾げてみせる。
 ヤバい仕事は請けていないと言っていたのはどれくらい前だったか――確認して以来、一度も疑わなかった己にイヴンは歯噛みした。
「言ったはずだな、見逃せる事にも限度があると」
 低く言い、剣に手をかける。キリ、と空気が緊張感を増した。
 これがリィであれば、イヴンはこんな対応はしなかっただろう。
 今度は何を企んでるんだくらいは思っただろうし、場合によっては一口乗ったかもしれないのだが、ケリーは――付き合いが浅いというのもあるだろうが――得体が知れなさ過ぎるのである。
 イヴンには、ケリーを恐ろしいと感じた事があった。
 彼が時折垣間見せる、取捨選択の躊躇のなさに、である。
 瞬時の判断が生死を分けることは、指揮官として戦に臨む者が当然弁えているべき事柄ではあるが、正しく実行できる者はそう多くない。
 この少年がどんな人生を歩んできたかイヴンは知らなかったが、彼には確実にそれが出来ると確信していた。切り捨てる側にたとえ好意を抱いていたとしても、躊躇わないに違いない。
 気付いているのは恐らくイヴンだけだろう。王宮や学校の、安全に保たれ、守られる立場にある時は見えない顔だ。
 それは何もかもを一人でこなす宇宙生活者の合理性であり、巨大組織を統率する財閥総帥の非情さであったが、たとえそれを知っていたところでどんな選択も許容出来るわけではあるまい。
 もちろん、ケリーが信義に厚い人物だということはイヴンにも分かっていた。だからこそ疑わなかったし、信じるに足る人物だと、こうして対峙している今ですら思っている。
 分からないのは判断基準であり、決断の方向性を読み切れるほど長い付き合いがあるでもなかった。
 だから、問う。
「どういうつもりだ」
 少年はまだ答えない。張りつめた空気に反応してか、無意識のように手が動いて腰の剣にかかった。
 琥珀の瞳の困ったような色が消えて、表情のない視線がひたとイヴンを見据える。口元にだけ、笑みに似た形が刻まれた。
「悪いが、まだ言えねぇな。あんたらにゃ世話になっちゃいるが、こっちにも少々義理がある」
 イヴンは小さく舌打ちを漏らし、柄を握る手に力を込めて身構えた。
 イヴンとてさほど大柄な方ではないが、こうして対峙してみると少年はひどく華奢に見える。
 コレがただの子供じゃない事は、それはもう嫌というほど分かっているのだが――それでもやはり子供だ、という意識が拭えない。
 あの王妃に対して、それでもやはり女だという意識がなかなか拭えなかったのと同じように、視覚が理性を裏切るのだ。
 女子供を相手取るのは、いつだって苦い。
「武器を置いて膝を突け。大人しくすれば手荒な真似はしない」
 それでも油断はせずにそう言うと、少年はちらと笑ったようだった。
 眉を顰めたところに、背後から騒々しい複数の足音と濁声が響く。
「野郎ども! 引き上げだ!」
 その一瞬――ほんの一瞬だけ、イヴンの意識が背後に逸れた。
 そして、それで充分だった。
 次の瞬間には、ケリーの持つ剣の柄が深々とイヴンの鳩尾を突いていた。
「…………悪いな」
 苦笑気味の声が耳に届いて、イヴンは意識を失った。


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―― ...2008.04.22
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 思いっきりイヴンが主役……あぁ、イヴンってなんて動かしやすいんだろう(笑)

  元拍手おまけSS↓

「武器を置いて膝を突け。大人しくすれば手荒な真似はしない」
 イヴンがそういうのを聞いて、ケリーはちらと笑った。
 ――甘い、と思ったのだ。
 油断していないのはさすがだが、この局面でこれは甘い。
 降伏を勧めたところで、他に道がないほど追い詰められているわけでもない以上、従うわけがないではないか。
 殺すところまではしないにしても、意識を奪うなり深手を負わせるなり、足を止めるのが先だろう。町を襲った海賊は一人ではない。
 一瞬の隙を突いて逆に相手の意識を奪い、ケリーはほっと息をついた。安堵したのだ。
 実際、こちらが倒される危険は十二分にあった。ゆっくり話している暇などなかったし、顔を合わせた時はなんでよりによって今ここにいるのだと頭を抱えたくなったものだ。
 倒れ伏した男を見下ろし、ケリーは顎に手をやった。
「――ふむ」
 これは意外と使えるかもしれない――そう思い直した少年は、手早く荷造りを始めたのだった。
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