―― 激動の一夜 4
Written by Shia Akino
 湾を臨む小高い丘の上に立ち、イヴンは眼下を見下ろしていた。
 傍らにあるのはケリーの言う通りずいぶんと良い馬で、馬具も一通り揃っている。いったいどこから調達してきたのやら――あえて聞かずに騎乗した。
 丘と窪地とが混在する土地である。
 入り組んだ海岸線はその大部分が崖となっていて、海側からの侵入を阻んでいるはずだった。
 ――よく晴れた夜だ。
 月明かりに浮かぶのは、規模は大きくないものの明らかに港だった。
 陸を割って入り込んだ海は蛇行しながら幅を広げ、イヴンの立つ丘の手前で大きな船溜まりを作っている。周囲はほとんどが崖であり、いくつもの横穴が穿たれていた。それらを繋ぐ足場が組まれ、掘っ立て小屋まで見て取れる。
 湾を抱く陸の切れ目は、わずかに中型船が通れる程度。そのすぐ外には、衝立よろしく巨大な岩が鎮座している。これでは、海側から見たら一続きの崖にしか見えまい。
 この辺りに民家はなく、街道からも遠い。昼間だとて人影のない寂しい土地だ。陸側からでも、知らなければ見つけるのは難しいと思われた。
 商船を装った中型船が三隻、護衛船風の小型船が一隻、襲撃に使われていた平船が十数艘、灯火を控えて停泊している。
 平船であちこち襲撃して、戦利品を中型船に積み替え、コーラルを出航した商船のふりでもして北上する――考えたものだ。
「舐めた真似を……」
 イヴンは低く唸り、馬首を返した。全速力でとにかく飛ばす。
「――くそっ!」
 幾度めかの舌打ちの後、短く吐き捨てた。
 苛立ちの原因はもちろんケリーだ。
 間に合わないかもしれないという焦燥と共に、秀麗な顔と深い瞳が脳裏をちらつく。
 貸しを作っておきたいと言っていたのは本音だろう。それならそれで、黙っていることも出来たはずだ。
 ケリーが何もしなければ、政府側は見過ごしていた可能性が高い。となれば、責めるより感謝すべきことではある。
 組織にとっては裏切りとも取れる行為だが、ケリーはおそらくどの組織の一員でもない。一線を画す位置にいて、ならば確率を半々にすることで顔役達に対しても面目が立つのだ。
 ――巧い手だ、とは思う。
 恩義に対する返礼としても充分だ。充分なのだが。
「あんのクソガキ!!」
 とにかく腹が立つ。ムチャクチャ腹が立つ。掌で踊らされている自分が、それを当然のように感じているのがなにより一番腹立たしい。
「なにがなんでも間に合わせてやろうじゃねぇか!」
 月明かりの下を全速力で馬を走らせ、ろくな説明もせずいい加減な場所だけ指示して軍艦を出航させ、タウの駐留部隊やら当直の警備隊やら近衛兵やら、とにかく今すぐ動ける兵を掻き集めて取って返した。
 駆けながら隊を整え、指揮系統を定める。混乱気味の警備隊と近衛兵をタウの部隊が巧くまとめて、徐々に明るくなってくる空と、目指す先とを交互に睨みながらとにかく駆けた。
 風向きによっては軍艦の方が遅い。
 そうなったら、港から出してしまった時点でイヴン達の負けだ。
 曙光が空を染める。
 腕の一振りで散開して、港を見下ろす丘に到った。
 小型船の姿はすでにない。商船を装った三隻の中型船、内一隻が湾の出口へ差し掛かっている。続く一隻は回頭中、もう一隻はまだ係留されていた。
「我々はデルフィニア軍だ! 大人しく降伏しろ! 抵抗すれば容赦はしない!!」
 警備隊の隊長が大音声に叫ぶ。
 もとより降伏するとは思っていない。
 駆けて来た勢いのまま、三手に別れて突っ込んだ。
 湾を抱く陸地の切れ目――その突端に達した兵が眼下へと矢を射る。
「操舵手を狙え!」
 中型船の一隻はすでに湾を離れつつある。艦隊の姿も近付いていて、そちらはもう任せるしかない。
 湾内にはあと二隻。続く一隻に矢の雨を降らせ、係留中の船の出航を阻止する。
「索を切らせるな!」
 係留索の両端に人員を配し、後は泥沼の白兵戦――湾内の僅かな陸地と甲板とに、剣戟と怒号が響き渡る。
 ケリーのことは考えなかった。
 どうせ殺したって死なない。
 勝敗はそもそも逃げ延びるか捕まえるかであったので、軍に乗り込まれた一隻の乗員はすぐに抵抗を諦めた。
 もう一隻は甲板上を針鼠のようにしながらなんとか湾を出たものの、到着した軍艦に拿捕される。
 先に出ていた中型船は軍艦の追撃にかなりの損害を受けているが、どうやら逃げ延びてしまいそうだった。
 海を臨む崖の際に居場所を移し、それらの事を見て取ったイヴンは鋭い舌打ちを漏らす。
 とっとと逃げた小型船と合わせると、四割ほどを取り逃がしてしまった。
 歯噛みするイヴンの背後から、戦闘の名残りで荒んだ空気にまるでそぐわない、どこかのんびりとした声がかけられる。
「間に合ったじゃねぇか。まずまずの成果だな」
 横目で睨め付けると、少年は器用に片眉を上げてみせた。
「まずまず、だろう?」
 イヴンは深い深い、深ぁい溜息を一つついて、まあな、と答える。
 弱った組織は他の組織の格好の標的だ。しばらくは身内で揉めるだろうし、シッサスの顔役達もそれに巻き込まれたくはあるまい。
「――で? 恩はうまく売れたのか?」
「おうよ。これでしばらくは構われずにすむってもんだ」
 捕縛した海賊の中に、シッサス裏組織の幹部級はいないだろう。自分で陥れて自分で逃がす――まったく喰えないガキである。
 売った恩を“構うな”という形で取り立てようとするケリーに、イヴンは思わず苦笑した。
「さて、いつまで持つんだかな」
「それを言うなよ……」
 珍しく情けない顔をして肩を落とすケリーに、あながち冗談でもなく提案する。
「もういっそタウに来ちまえよ。独立騎兵隊は全然まったく堅苦しくないぜ?」
 実力に見合わぬ中途半端な立場が目を付けられる原因だろう。国王直属の騎兵隊に所属してしまえば、そうそうしつこく口説けもしまい。
「タウねぇ……」
 ケリーは小さく溜息をつく。
 近いうちに迎えが来るなら、それも悪くはないのかもしれない。学校も近頃はだいぶ煩いし、少なくとも王宮よりは過ごしやすいだろう。
 だが、そもそも迎えが来るという保証すらないのだ。ならばむしろこの地を離れ、気ままに流れる方が性に合っている。こんなところまで来て、集団の一部として生きる気にはなれなかった。
 ここもそろそろ潮時なのかもしれないと考えながら、朝の光に目を細めて空を仰ぐ。
 その様子をちらと見やって、イヴンは黙したまま踵を返した。
 ケリーの見ているものが、隔たってしまった故郷なのか別の何かなのか、それはもちろん分からない。ただ、僅かばかり覚えのある雰囲気ではあったのだ。
 スーシャを出てからタウに到るまで、イヴンは様々な土地を訪れている。長く滞在した土地も、数日で抜けてしまった土地もあるが、腰を落ち着けようと思った事も落ち着きたいと思った事もなかった。ギルツィの山の中で幼馴染に再会しなければ、もしかしたらタウも出て、未だに放浪中だったかもしれない。
 ――ケリーのそれは、おそらくずっと強くて重い。
 振り返ってみれば、朝日を浴びて一人佇む少年は、そのままふらりとどこかへ行ってしまいそうにも見えた。
 遠からず、ケリーはここを出て行くかもしれない――そう思いながら視線を戻し、海賊共の移送準備に勤しむ兵達を見やる。警備隊の隊長がイヴンに気付き、なにやら叫んで手招いた。
「いま行く!」
 返して、歩を進める。
 守るべき民と、仕えるべき国と――。
 今はもう、そこがイヴンの居場所だった。


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―― ...2008.05.09
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 これで『激動の一夜』は完結。
 なんだか手が滑ったデス。旅立ってしまいそうな終わり方に……。
 長々とお付き合いくださってありがとうございました。

  元拍手おまけSS↓(二つあります)

 どこか遠くを見ていた少年は、さほど間をおかずイヴンの後を追ってきた。
「イヴン」
 名を呼ばれ、なんだ、と振り返る。
「替え馬があったら借りたいんだが」
「――今すぐか? 後始末くらい手伝えよ」
 この騒動は、もとはといえばケリーが引き起こしたようなものである。
「今日は学校で試験があるんだ」
 人畜無害な学生のような台詞に、イヴンは思わずつんのめった。
「……試験?」
「試験。とりあえず善良な一学生だからな、やっぱ受けなきゃならんだろう」
 開いた口がふさがらない。
 どの口がそれをいうのか。
「……今日?」
「今日」
 ケリーは頷く。
 寝る暇はないだろうが、馬を飛ばせばなんとか始業には間に合う時刻だ。しかし――。
「おまえ、馬は苦手じゃなかったか?」
 全速力で飛ばすような芸当が出来るとは思えない。
「ロアに向かってグライアに乗り換える」
 遠回りにはなるが、確かにそのほうが早そうだ――が。
「…………やめてくれ」
 寝静まっている時間帯ならともかく、始業時刻あたりにグライアでコーラルに乗り入れなどしたら大騒ぎだ。
 もう本当に心の底からお願いした。やめてくれ。
「言うと思った」
 ケリーは軽く肩を竦め、あっさりと諦める。
 試験の結果如何によっては授業態度を不問にする教師も中にはいる。受けておけば面倒が減るのだが、面倒とはいっても別段たいした事ではない。
 どちらにせよ、頑固な主任教師が罰則と補講を科してくるだろうことは疑いなかった。
 大切な預かりものが姿を消して十数日――今回ばかりは学長に長期外泊の通達もなかったとのことで、憂慮やら焦燥やらもろもろの心労に苛まれていた主任教師は、平然と戻ってきた生徒に対して声を荒げることはしなかった。
「今度はどこに行っていたんだい?」
 冷静にそう問うたのは主に見栄だ。生徒とはいえ、この人物に醜態は晒したくなかった――が。
「海賊船に乗り込んでました」
 返答を聞いて、努力もむなしく絶句した。
 大掛かりな捕り物があった話は伝わっている。それに関わっていたという事だろうか。
 あり得なくもないと思えてしまう辺りが恐ろしいが、だってケリーだ。
 何をしていたのか、首尾はどうだったのか――問い詰めたい気持ちをどうにか抑えた。
 警備隊だけでなく、正規軍が動いたという話もある。国政に関わるかもしれない事を、一教師である自分が問うべきではない。
 代わりにひとつ溜息をつき、楽しかったかね、とだけ聞いた。せめて嫌味にでも聞こえればいいが、とちらと思う。
 にやりと笑んだ少年は、一抱えもある紙の束をどさりと目の前に積み上げられて、僅かに退いた。
「欠席分の補講と罰則を兼ねた宿題だ。三日後までに提出するように。再試験はその後に行うから、心しておきなさい」
 十数日分の心労が注ぎ込まれた大作を前にして、生徒は微妙に引き攣っている。
 主任教師はそれを見て、密かに溜飲を下げたのだった。
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