食料があらかたなくなったところで、ケリーがひとつ伸びをして座りなおした。
「さて、と――そろそろ頃合かな?」
「……ええ、恐らくは」
なんだかびくびくしている情報屋にちらりと目をやり、イヴンはケリーに視線を戻す。
「分かってると思うが、ここは海賊の拠点だ」
言わずもがなの台詞に頷きだけを返した。
「いまここには、幹部連中のほとんど全てが集まってるんだが――」
言葉の途中でイヴンはちょっと顔を顰める。一網打尽に絶好の機会だというのに、軍勢がない。
歯噛みするような思いは、続く言葉で驚きに変わった。
「奴ら、一仕事終えて一度本国へ帰るつもりらしい」
「本国だと? ……ただの海賊じゃないってのか」
それにケリーは首を振る。
「いんや、ただの海賊だぜ? ただ、北から来てる。お宝持って凱旋ってわけだ」
試すような視線を極力無視して、イヴンは考え込んだ。
裏社会は国情というものをよく映す。タンガは苛烈だしパラストは狡猾だ。
「――スケニアか」
さすが、というようにケリーはにやりと笑った。
いまだ混沌としたあの国は、裏社会も混沌として荒々しい。
タンガ以北の犯罪者がスケニアに逃れるというのは良く聞く話で、そういった輩が徒党を組んで裏社会の一端を成している。故国が違えば、それだけで対立の理由になった。
規律も何もあったものじゃないからこそ、まともな組織ならやらないような海賊稼業なのだろう。
「そう、スケニアだ。ごたごたしてるくせに意外と規模がでかくてな、全体把握するのに時間がかかったんだが――」
ここで、そっと扉が叩かれた。入ってきたのはがっしりした体つきの大男で、どこかの組織の構成員だと思われる。男はケリーになにやら耳打ちをして、二言三言返答を受けて幾度か頷いた。
会話は聞き取れなかったが、イヴンにはそれが報告と指示のように見えた。ケリーの方が立場が上だ。
眉を顰めるイヴンには終始目もくれず、男はケリーに向かって軽く頭を下げて部屋を出ていく。無頼漢には似つかわしくない丁寧な仕草に、紛れもない敬意が滲んでいた。
年上の男の敬意を慣れた様子で受け流し、少年が情報屋に目をやれば、済んでます、と即座に答えが返る。ケリーはそれにも慣れた様子で、泰然とひとつだけ頷いて見せた。
どこか国王を思わせるその態度に、イヴンはますます渋面になる。
ウォルとケリーには似たところがあるとイヴンは認めていたし、認めまいとするバルロを“石頭”とからかった事さえあるのだが、こんな時には認めてしまっては危険だとも思う。
なんといってもこの少年は、王家の血筋でもなんでもないのだ。民の崇敬を受け、国の行く末を定めて指示を出す資格など、持ち合わせてはいない。
渋面のイヴンを気にした風もなく、ケリーはにやりと笑ってみせた。
「顔役達は、このまま泳がせるつもりだぜ」
「――なに?」
「潜入中の構成員だが、幹部級も混じってるんだ」
それを聞いて、イヴンはちょっと考え込んだ。
――シッサスの様子がおかしかったのはこのためか。
あの奇妙な緊張感は、襲撃を事前に知っていた為なのだ。ろくな反撃がなされなかったせいで失念していたが、泳がせる気でいたのなら得心がいく。女子供が少なかったのも、あらかじめ避難させていたという事だろう。
そして――。
「乗っ取るつもりだな?」
幹部級が混じっているとなると、それしか考えられない。販路と勢力の拡大だ。
シッサス裏組織の幹部級であれば、大規模でありながらごたごたしている――大規模だからこそごたごたするのかもしれないが――組織を取り纏めて掌握するのもさして難しいことではあるまい。
そして、他国で海賊行為に及べる程の組織を足掛かりに使えるなら、スケニアの裏社会を牛耳る事も不可能ではないだろう。
「まあな。うまくいきゃ落ち着くんだろうが……あんたらはそういう訳にもいかないだろう?」
「――当然だ」
デルフィニアの裏組織がスケニアを抑えれば、規律が出来る。たしかに落ち着きはするだろうが、それでは裏の力が大きくなりすぎるではないか。
裏社会を完全になくすことは不可能だが、大きすぎては国を揺るがす。
イヴンは深く頷いて腰を浮かせた。邪魔をするなら叩きのめしてでも出て行くつもりだった。
「そこで、だ――」
ケリーも言いながら立ちあがる。
「馬を用意した。王宮のには劣るが、そこそこいい馬だ。現在地はコーラルの東、パキラの東端――というか名残だな。地形は複雑だが、険しいってほどじゃない。その辺りの海際だ。出航予定は今日、夜明けと同時。で、今は――」
現在時刻を聞いて、イヴンは激昂した。
「――ってめぇ!!」
少年の胸倉を掴みあげ、抑えた声で怒鳴る。
馬を飛ばして軍勢をまとめ、取って返してぎりぎり――夜明けに間に合うかどうか、微妙なところだ。そのために時間を計っていたのだ。
激したイヴンとは対称的に、ケリーの琥珀の瞳は揺るぎもせずに冷たい。
なんて眼をしてやがるんだと、思った。
見た目通りの年齢じゃないらしいと分かってはいたが、それにしたって深すぎるくらいの眼の色だ。まるで読めない。
凍りついたように動きを止めたイヴンを見上げて、少年は薄く笑ってさえみせた。
「悪いが、俺はあんたらに動かない狐を献上して尻尾を振るつもりはない」
欲しければ自分で狩れ――と、声にしなかった言葉がイヴンに突き刺さる。
ぎり、と奥歯をかみしめて数瞬――少年を乱暴に突き飛ばし、おろおろしている情報屋を振り返った。
「馬はどこだ」
「こ、こちらです」
ひらひらと手なぞ振っているケリーを目の端に捉え、イヴンは再度奥歯を噛む。
もう、無視することしか出来なかった。
男にとって、その少年は敬うべき存在だった。
デルフィニアの片田舎で生まれ育ち、幼いといってもいい頃に血気に逸ってコーラルへ出て来た男である。
身体ばかりは大きくなったが、いつまでもうだつは上がらない。
任された仕事を少年に潰されて、けれどそれは死地に繋がる仕事だった。命を繋いでから、男はそれを知った。
知らされずにいた己を、塵芥と同じだと男は思っている。使い回されて使い捨てられる、ただそれだけのモノだと。
少年は違った。
何ものにも囚われず、故に使われることもなく、ただ自らの意のままに在る。
囚われたのは男の方だ。
彼は、自由だった。自由なままに在れるだけの力があった。それが眩しい。
恩人だからといえば、少年は顔を顰めて気にするなと言う。
借りがあるといえば、少年は返したければ忘れてくれと言う。
だからただ、男は黙々と腕を磨いた。
いつか彼の役に立てるようにとの想いが報われることはなかったが、さほど遠くない未来に、男は腕を買われる立場となる。
自由に在れる力を得ても、男の望みは少年の下にあり続けた。