―― 告白の行方 下
Written by Shia Akino
 各々の領地やそれぞれの屋敷、ティレドン騎士団領やその宿舎と、普段離れて暮らしている家族はその夜、コーラル一の郭にあるサヴォア邸で久々の一家団欒を過ごした。
 ユーリーとセーラも交えた夕餉は和やかに済み、バルロとロザモンドとブライスは別室に移って酒盃を手にしている。
 幼い二人は先に休むため乳母が連れて下がったが、しばらくしてから小さなノックの音が響いた。細く開けた扉から顔を覗かせた娘を振り返り、ロザモンドは笑みを浮かべる。
「どうした、セーラ?」
 眠れないのか、との問いにセーラは小さく首を振った。
 おずおずと入ってきてロザモンドの前で足を止め、あのね、と言って首を傾げる。
「あのね、お母さま。セーラはいくつなったらオシカケニョウボウになれると思う?」
 途端、夫と義理の息子が盛大に飲み物を噴き出したので、ロザモンドはそちらを一睨みしてから身体ごと向き直り、幼い娘の肩に両手を乗せた。
「なんだ、セーラは押し掛け女房になりたいのか?」
 むせ返っている父と兄を見ようとする娘の視線を身体で遮ってそう問えば、娘は神妙に頷きを返す。
「あのね、でもね、大きくなったらって言ったら、ダメだって。ちゃんと大きくなってからお願いしないといけないんだって。ほんとう?」
「本当だとも」
 真面目な顔で大きく頷きつつ、お願いしてみたのか――と、ロザモンドは内心で笑いを噛み殺している。
「誰のところに押し掛けたいんだ?」
「ケリー」
 それを聞いたバルロが口にしたのは、下町で口にされる類の恐ろしく下品な悪態だった。
 幼い子供、ましてや娘には間違っても聞かせたくない言葉だ。
 そちらを思い切り睨みつけてから視線を戻し、ロザモンドは娘に笑いかける。
「大きくなってからじゃないとダメだって、ケリーが言ったのか?」
「うん。大きくなってからもう一回言って、って。いくつになったら言ってもいいと思う?」
「そうだなぁ、少なくてもあと十年くらいは経たないとな」
 そんなになの……と、憂いに満ちた溜息を落として悄然と娘が立ち去った途端、無言で顔を顰めていたバルロがどかんと卓を叩いた。
「あの小僧が! ひとの娘を誑かしおって!」
 激した調子のバルロに対して、ロザモンドは冷ややかである。
「別に誑かしてはいないと思うが? どう思う、ブライス」
「そのぅ……誠意のある対応ではないかと」
 剣呑な空気を発散している父親をちらちらと窺い見て、それでもブライスはそう答えた。
 十年後のセーラならばどんな返答も理性的に受け止められるだろうし、そんな申し出をしたこと自体覚えていない可能性のほうが高い。
 いたずらに傷つけることなく、軽々しい口約束もしないやり方は尊敬に値した。自分だったら適当に頷いていたかもしれない。
「……なんと言った、ブライス?」
 猛々しい目線で睨みつけられて首を縮めたブライスだったが、発言は撤回しなかった。
 私的な茶会で幾度か顔を合わせた彼の少年は、相対するとどうにも気後れを感じるのだが、実は密かに尊敬していたりする。
 年下である事は間違いないはずであるのに、時に恐ろしいこの父親のこんな視線ですら、飄々と受け流して見せるのだ。
 コーラルに来てから五年近くが経ち、すっかり慣れたと思っているブライスですらそんな事は出来ない。
 サヴォア家当主で、英雄ともいえる騎士で、国王の従弟である父親をからかっているとしか思えない場面を目撃した事さえあった。自身の目と耳と正気を疑ったものだ。
「ブライスに当たるな、馬鹿め」
 吐き捨ててロザモンドが立ち上がった。
「それよりも何だ、あの悪態は!? 娘の前で!」
 これにはバルロもいささか怯む。
「いやその、あれは……」
「いやそのではない! ――ブライス、下がっていいぞ」
 和やかだった一家団欒は、どうやら夫婦喧嘩で締めくくられそうだ。
 おやすみなさい、と頭を下げて、ブライスは自室に引き下がった。



 国王の執務室にサヴォア公爵が顔を出すことは珍しくない。用件は多岐にわたるが、その日バルロが持ってきた話はウォルの度肝を抜いた。
 ぽかんと口を開けてまじまじと従弟の顔を眺める様は、昼日中から幽霊でも見たかのようである。なかなかに間抜けでもあったが、無理もないといえよう。
 サヴォア家当主は大真面目に、ケリーの縁談を進めたい、と言ったのである。
「こう言ってはなんだが……正気か、従弟どの?」
「このうえなく」
 バルロは深く頷いた。
 たしかに、ケリーが貴族の子弟であれば、婚約者の一人や二人――二人もいては問題だが――いてもおかしくない年頃ではある。
 しかしケリーは貴族の子弟ではないし、デルフィニア国民ですらない。いずれ必ずいなくなる――それが帰るからにせよ、出ていくからにせよ――そう決まっている相手でもある。
「うちの娘に余計な手を出す前に、始末をつけてやりましょう」
 獰猛な笑みを浮かべたバルロが、これが候補者の一覧です、と紙の束を差し出した。どういう事かと問えば、憤然とセーラの言を披露してみせる。
「あの小僧がシッサスの花娘を口説いて遊ばれようと、町屋の女房に言い寄って亭主に刺されようと知った事ではないが、ウチの娘に手を出す事だけは絶対に許さん!」
 雑事に働く小者が首を竦めるのを尻目に、バルロは次々と悪口雑言を並べ立てた。毒舌はこの男の得意とするところだが、芸術的ともいえる悪口の数々である。
 ――楽しそうだ、とウォルは思った。
 この男がこれだけ喋るとなると本気かどうかは疑わしいのだが、それにしてもよくまあ口が回るものだと、半ば関心しながら一覧に目を落とす。
 名前と年齢、親もしくは本人の職業身分だけが記された簡単な一覧だ。城内では女官ともいえないような下働きの娘、城下では商人や職人の――みな、平民の娘である。
 苦笑を消して眉を寄せ、再度一通り目を通してウォルは息をついた。
 バルロの思惑は分かるつもりだ。私怨を装ってはいるが――それも確かにあるのだろうが――狙いは恐らく別にある。
 ケリーが平民の娘を娶ったとなれば、例の噂の強力な否定となり得るだろう。
 たとえ本当に王位継承権を持っていたとしても、平民の娘と共に誓約の祭壇の前に立った時点で、事実上放棄したものとみなされる。側室ならばともかく王妃が平民の娘では、他国に対しても自国民に対しても示しがつかないからだ。
 筆頭公爵が音頭を取っての縁談となると継承権争いを邪推する者も現れようが、それならそれで利用も出来る。しかし――。
「ケリーどのは何と言っている?」
「まだ知らせておりませんのでな」
 ウォルは深く息をついて首を振った。
「それでは駄目だ、従弟どの。俺からは進めろとも止めろとも言えん。ケリーどのの意向を確かめるのが先だろう」
 バルロは無言で眉を上げた。それに肩を竦めて見せて、ウォルは続ける。
「恐らく無駄だろうがな。今までも遠まわしな打診をいくつも握り潰してきたのだぞ。噂に踊らされた縁談なぞ通す気もないが、どんな話だろうとケリーどのが受けるとは思えんからな。――しかしまあ、一応聞いてみるといい」
 バルロはなおも無言だ。聞いてみたところで無駄だろうというのは、よく分かっている。
「――従弟どの。俺から何か言ってくれという事であれば、それはお断りする。後見人の立場を振りかざすつもりはない」
 出て行かれては寂しいではないか、と続けたウォルに不満そうな視線を当てて、バルロはむっつりとこう言った。
「娘の安全はどうなります?」
 傍から見れば完璧に、心配性が過ぎてトチ狂った親父である。
 だが、バルロの懸念はこの国と王家の事だった。独騎長の言葉を借りれば、あちこちで誑しまくっているらしいあの少年は、いずれ見過ごせない脅威となるかもしれない――そう思う。
 分かっていながら、ウォルは微笑んだ。
「そう心配せずとも、時が解決してくれよう」
「解決しなかったら?」
「その時はその時だ」
 あっけらかんと言ってから、ふと真顔になる。
「娘御もそうだが、人の心を我々の都合のいいように変えることなど、誰にも出来んぞ。時を待つしかなかろうし、待つまでもないと俺は思うがな」
「どういうことです?」
「娘御がどれほどの想いをかけようと、惑わされるような御仁ではあるまいよ。結局は好きにするだろうさ」
 ケリーが地位にも権力にも興味がない事は歴然としている。周囲がどれほど熱狂しようと歯牙にもかけまいと暗示して、ウォルはにこりと屈託なく笑った。
 バルロは嫌そうに目を細めて邪気のない笑みを眺めていたが、やがて呆れとも諦めともつかない溜息を吐いて、渡した一覧を取り返した。
「娘に何かあったら責任を取ってもらいますからな」
 憮然と無意味な脅しをかけつつ、それを暖炉に放り込む。
 こうして、ケリーの縁談は本人の耳に入る前に立ち消えになったのだった。



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―― ...2008.05.20
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 時々かわいそうなバルロさんを、たまにはサヴォア家当主らしく。
 危険視していることを周囲に知られると面倒なことにもなり得るから、馬鹿親風味で(笑)
 ……あれ? ケリーが出て来ない。

  元拍手おまけSS↓

 周囲がどれほど熱狂しようと歯牙にもかけまい――ウォルが暗示した言葉の裏をバルロは正確に読んでいたが、そこまでケリーを信用することは出来そうになかった。
 人とは変わるものだ。そして、それが好ましい方向への変化ばかりとは限らない。
 筆頭公爵という地位と、騎士団団長としての立場と、王家に連なる血筋とでバルロはそれを知っていたが、この従兄の事ならば絶対的に信じられた。
 魅力的に過ぎる少年が権力に興味を示すことは、今後も決してないのだろう。
 ――惜しい、と。
 そう思ってしまった己の心に、バルロはきっちりと蓋をした。
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