客人の夫君 1
Written by Shia Akino
「妃殿下の姉君ならば否やもない」
 それを耳にしたとき、ブルクスは長年の経験も宰相としての矜持も意味を成さず、ただひたすら呆然とした。
 いまこの目の前の男は何を言った?
「御子を残せなかった事を悔いて、あの方が姉君を寄越してくださったのでしょう? 先頃寡婦になられたと耳にしましたが」
 国王と客人が再婚するという噂があることは、先日の茶会の出席者から伝え聞いた。
 しかし、国王と王妃は死に別れた訳ではなく、リィがこの場にいない以上離婚手続きを取るのは難しい。
 また、それがケリーだと明らかにする訳にはいかないが、ジャスミンには夫がいるし、夫がいるということ自体は彼女も特に隠していない。
 その時点では放っておいても問題はないとブルクスも思ったのだが――どこで付いたのか、その尾ひれは。
 貴族階級の結婚は、家と家の結びつきだ。姉を亡くして妹を娶るなど珍しくはないし、子が出来なければ離縁して、親族から別の娘を迎える事もある。
「あの方ならば、すでに御子様もおありです。きっと我らに王子殿下を授けてくださいましょう」
 王妃は子を産める腹ではなかった。あえて口に出す者は少なかったが、ほとんど誰もが知っている。代わりに寡婦となった姉を差し出したと、そう言うのだ。
 民衆はどうやら、王家と戦女神の血筋とが結びつく事を熱望している。
 確たる理由も示さずにこのまま放置していては、いずれ国王とその愛妾が――特にポーラが――悪者になるだろう。
 蒼褪めたブルクスを置き去りに爆弾発言をかました男は退出し、次いで入室したバルロも話を聞いて蒼褪めた。
 ――リィに殺される。
 それはもう確実に。息子説よりなお悪い。
 余計な嘘を悔やんだところで後の祭り――可及的速やかになんとかする必要があった。
 リィとルウがいつこちらに来るかは、誰にも分からないのだ。
 再婚に反対するなど分を弁えない嫉妬深い愛妾だ、などとポーラが言われ始める前になんとかしなければ、冗談抜きで命に関わる。
 急遽、主だった顔ぶれが呼び集められた。
「リィと私が……? 姉妹だと!?」
 ジャスミンが目を剥けばその夫は頭を抱え、ひでぇ冗談だ、と呻く。
「否定したところで……聞かんだろうな」
 虚ろな目つきで国王が笑い、サヴォア公爵は苦虫を噛み潰して唸った。
「実際、似ている」
 容姿だけなら似ているとは言えないのだが、言動には共通点が多い。
 イヴンとナシアスはもう声もなく、リィの怒りを思って蒼褪めていた。
 ブルクスが気付けの酒を配ると、期せずして皆が一息にあおる。喉を焼く強い酒を飲み下し、しばし黙した。
 宰相の執務室は重苦しい沈黙に包まれ、戦時以降初めてかもしれないほどの緊迫感が漂っている。
「……否定だけでは弱いでしょう」
 意を決したように顔を上げ、ブルクスが口を開いた。
 姉妹ではない、夫がいる――言い募ったところで、言葉だけでは聞きたくない者は聞かない。
 見せつける必要があった。どうしてもだ。
「けど、今の俺じゃあ名乗り出たところで信憑性は薄いだろう」
 当然である。息子だという事になっているし、なにより十代の少年姿だ。
「だが、これの夫役なぞ誰に務まる?」
 常にない乱暴な仕草でジャスミンを指し示し、バルロが言う。
 そこいらの男では役者不足もいいところだ。誰も信じない。
 噂の当事者だからウォルは論外としても、バルロならば務まるかもしれなかった。だが、顔が売れていては意味がない。こちらにはコンタクトレンズも変声器もないのだ。変装するにしても、鬘と詰め物程度でごまかせる人物でなければならなかった。
「そんなの……いますかね?」
 演技力と胆力も要求される。なにしろ、この女王様と衆目の面前でいちゃいちゃしなければならないのだ。並の男に務まるはずもない。
 イヴンは恐る恐るバルロ言うところの“これ”を見やった。
 彼女は腕と足を組み、唸り声を上げて眉を寄せいている。女性らしいとはお世辞にもいえないし、むしろ男より男らしい。
 ――務まる務まらない以前に、引き受ける者がいるだろうか。
 これもまた懸念事項だ。自分には無理だ。というか嫌だ。
 イヴンの脳裏に下町の強面共の姿が浮かんだが、それは即座に却下した。
 報酬しだいでは引き受ける者もあるだろうが、粗野な男ではとても受け入れられまい。信じてもらえても別れさせろくらいは言われるだろうし、なにより信用の置けない者にこんな話を持ちかけるわけにはいかなかった。偽者だとバレては水の泡だ。
「ジルどのは……どうだろうか?」
 恐る恐る提示したのは国王で、イヴンはその途端、うげ、と漏らして頭を抱えた。
「勘弁してくれ……」
 小さく呻く。
 こんな話を聞かせたら面白がってしまう。絶対に引き受ける。間違いない。でも見たくない。
「そう……ですね。ジルさまならば、あまりタウからお出にならない。夜会にもほとんど出席されておりませんし、特に親しい方にだけ言い含めておけば――適役かもしれません」
 ジャスミンとはだいぶ年が離れているが、年の割には若々しい男だ。あれぐらいでなければ務まらないのも確かである。
 ブルクスが頷き、事は決まった。



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―― ...2008.10.03
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 妙な噂が更に発展(笑)
  元拍手おまけSS↓

 深刻な一同の様子などどこ吹く風で、ケリーは一人、のんびりと紅茶を啜っていた。
 ――出て行ってしまえばいいのだ、と思う。
 迎えが来る事は分かっているので連絡手段は確保しておいた方がいいだろうが、別にコーラルに居続ける必要はないだろう。帰ったでも逃げたでも、なんとでも言ってしまえばいい。
 だが、それを口に出す前に話が面白い方へ転がったので、ケリーは結局口を噤んだままだった。
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