客人の夫君 2
Written by Shia Akino
 タウでは遠すぎるため、この作戦の本拠地はシッサスという事になった。
 王宮を使うわけには、もちろんいかない。すぐにばれてしまう。
 嫌々ながらイヴンが話を付け、娼館の奥の一室を借り受けた。裏口から出入りできるようにも話を通してある。
 客人のご夫君の都合が付いたという理由を付けて、夜会を催す事はすでに通知済みだった。
 わずか十日後である。
 これは普通、有り得ない。国王主催の夜会は準備に時間を掛けるものだし、これでは招待客の方も慌しい。
 ご婦人方はドレス選びに奔走し、紳士諸君は気の利いた話題を仕入れようと奔走し、料理人はメニュー選びと食材の確保に奔走し、侍女や小者は銀器の手入れやら会場の装飾やらに奔走し、誰も彼もが走り回って、王宮は蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。
 ウォルもバルロもブルクスも当然準備に忙殺されており、ナシアスは加えて殺気立ったバルロを宥めるのにも忙しい。こちらの準備はイヴンとケリー、当事者であるジャスミンに任されていた。
「そうでしたか」
 密かに呼び出され、娼館の一室に連れ込まれたタウの領主は、話を聞いても泰然としたまま顔色も変えず、静かに一度だけ頷いた。
「驚かないとは……驚きました」
 助力を仰ぐ以上、事情は説明するべきだと主張したのはジャスミンだったが、あのケリーとこのジャスミンが夫婦だと聞かされて驚かない者がいるとは思わなかった。
「もちろん驚きましたとも」
 ちっとも驚いているようには聞こえない口調でジルは言い、心外だ、とばかりに眉を上げる。
「ただまあ、似合わない姿だとは常々思っておりましたのでね」
 それが本当だろうと嘘だろうと、現状に影響があるわけでもない。
 自分は男だと主張していた王妃の例もあるし、本来はもう少し大きいのだと聞かされたところで何ほどのものか。
「よう、ジル。久しぶりだな」
 鬘が数種に付け髭、それに体形を変える為の詰め物と衣装数点を抱え、ケリーが扉を蹴り開けた。ちなみにイヴンは花娘達に化粧道具を借りに行っている。
「面倒かけるが、よろしく頼むぜ。この女は少し――いや、かなり乱暴な部類に入るだろうが、理由もなく人を襲ったりはしないはずだ。安心していい」
「……わたしは猛獣か?」
「似たようなもんだろうが」
「確かに少々乱暴なのは認めるが、貴様にだけは言われたくないぞ」
「少々で済むと思ってるわけか? そりゃあ驚きだ」
「痴話喧嘩を続けるおつもりなら、私は席を外しましょうかね?」
 言い合いに挟み込まれた一言で、ケリーとジャスミンは一瞬止まった。
 ジルは形の良い口髭をひねりつつ、面白そうに二人を見ている。外見と会話の齟齬を楽しんでいるような表情だ。
「……失礼した。それで、お引き受け頂けますか」
「喜んでお引き受け致しましょう」
 頷いたジルは、しかし、と首を傾げる。
「貴女は私のようなおじさんでも構わないのですかな?」
「まったく構いません。夫の実年齢よりはだいぶお若いでしょう」
 きっぱりと言われてジルはちょっと目を見張り、それを言うなよ、とぼやいているケリーを見やった。そして次の台詞で完全に目を剥いた。
「貴方は私の息子と大して変わらないくらいには見えますよ」
 これはさすがに楽しむ余裕はなかったらしい。目を剥いた状態で凍り付いている。
 思わず吹き出したケリーがジャスミンを小突いた。
「女王。正直なのはあんたの良い所だが、それはさすがに無茶ってもんだぜ」
 なにしろジャスミンは三十歳前後。こちらに来るときに姿が変わったという事もない。冷凍睡眠技術のないこの世界では、ジルと同じくらいに見える息子がいるなど有り得ない事なのだ。
「そうか。すまないが今のは忘れてください」
 ジルはなんとも言えない顔でしばらく沈黙していたが、やがて承知したしるしに軽く頭を下げた。
 呻き声も上げなければ頭も抱えず、卒倒もしなかった。大した男だ。
 ジャスミンに比べるとジルはかなり小さい。細身でもあるから、体格だけならとても釣り合わないのだが、貫禄という点においては充分に張り合える。
 大いに安心して、ジャスミンは手を差しだした。
「よろしく、ですね。旦那さま」
「よろしく、奥さん」
 固い握手の後ジルは着せ替え人形と化し、化粧道具を抱えて戻ったイヴンも加えてのすったもんだの末に、頬から顎の先までのたっぷりとした付け髭を軽くしごいて、どうかな、と言った。
 胴回りに詰め物をしていくらかふくよかになっており、含み綿のせいか意識して変えているのか、声まで違って聞こえる。
 短く刈っていた髪は癖のある長髪となり、細縁の丸眼鏡を押し上げた指には、普段はしない太目の指輪が光っていた。
 夜会服は年を考えれば派手、全体の印象では粋という微妙なラインで、下手をすれば成金親父だが、元々の理知的な雰囲気が洒落っ気のある大学教授かなにかのように見せている。
「似合うじゃねぇか」
 満足そうにケリーが言えば、ジルはケリーの肩に手を置いて視線を合わせ、“にんまり”としか表現できないような笑みを浮かべた。
「君は私の息子という事になるわけだろう。父親に対してその口の利き方はどうだろうかね」
「――はい、父さん。ごめんなさい」
 ケリーは素直に頭を下げた。
 ジルはちょっと言葉に詰まった。
 はっきり言って気持ち悪い。
「……分かった。悪かった」
 そもそもジャスミンに対してもぞんざいなのだから、父親に対してだけ丁重というのもおかしなものだろう。
「しっかし……似てねぇな」
 三人を等分に見据えつつ、イヴンが唸った。
 当たり前だが、ケリーとジャスミンは似ていない。ジルの日焼けした肌には化粧を加え、ケリーの肌色に近付けてあったが、やはり父子というほど似せる事は出来なかった。
「無理に似せなくてもいいだろう。似てない親子なんざごまんといる」
 妙に実感のこもったケリーの台詞である。
「眼鏡と髭で誤魔化せるだろう。――それで、我が奥方様はこの亭主にご不満ではありませんかな?」
 ジャスミンは唇に指を当ててしげしげとジルを観察していたが、破顔して大きく頷いた。
「素晴らしくいい男だ。口説きたいくらいだ」
「それは光栄」
 ジルは身をかがめ、ジャスミンの手を取って甲に口付ける。気障ったらしい仕草が実にさまになっていた。
 血を分けた肉親の軽薄な態度にイヴンがぼやく。
「だから嫌だったんだ……」
 暗く沈んだ呟きは、誰にも一顧だにされなかった。



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―― ...2008.10.08
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 もはやジルが主役。
 ほんとはジル、たぶんもう50過ぎなんですけどね。本物の奥方も娘みたいな年回りだし♪

  元拍手おまけSS↓

 扮装を解きながら、偽名が必要だろう、とジルが口にした。
「そうだな……父の名前はどうだろうか」
 ジャスミンが提案する。
「いいんじゃねぇか。なんてんだ?」
 投げやりにイヴンが聞いて、その答えに引き攣った。
「マクスウェル・オーガスタス・ノーマン・ウィルバー・ジョセフ・ラッセル・クーア」
「…………はい?」
 何の呪文だとでも言いたげなイヴンに対して、ジャスミンはまったく同じ調子で同じ名前を繰り返す。
「マクスウェル・オーガスタス・ノーマン・ウィルバー・ジョセフ・ラッセル・クーア」
「なんだそりゃ……名前か?」
「失敬な、名前だとも」
「……長い、な」
 ジルは少しばかり苦笑している。
「ウォル・グリーク・ロウ・デルフィンだって長いじゃないか」
「ジャスミン・ミリディアナ・ジェム・クーアも充分長いって。もうマックスでいいじゃねぇか」
 ケリーが呆れて片手を振り、こうして偽名は確定した。
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