再会の宴 1
Written by Shia Akino
「埒が明かないっ!!」
 ドン、と重々しい音がして、分厚い木の机がギシリと悲鳴を上げた。
「あんの野郎……承知で逃げまわってるんじゃないだろうな!」
「いや、いくらなんでも……」
「それはないと思うけど……」
 怒れる金の獣に怯えつつ、ウォルとルウは一応ケリーを擁護してみた。
 一応。
 そんな訳はないと思うのだが、疑いたくなるリィの気持ちもよく分かる。
 ケリーらしき人物の噂は大陸のあちこちで囁かれているのだが、どこを辿ってもどうしても本人に行き着かないのだ。
 まあ、噂というものは本人のいないところで囁かれるものなのだが。
 どうにかこうにか本人を知っているという人物を探し出して訪ねて行けば、出て行ったと聞かされたり、嫣然と微笑みつつ首を振られたり、顔を顰めて知るもんかと吐き捨てられたり、恐ろしく奇妙な顔で目を逸らされたり、突然逆上して追い返されたり――とにかくもう姿はないし行き先も分からない。
 見つけたらただじゃおかない、とリィが物騒に唸っているが、それもまあ致し方あるまいと、残りの二人は冷や汗をかきつつリィからそっと目を逸らしてシェラが食卓を整えるのを待った。
 西離宮での、とある昼下がりの事である。
 ケリー探しをひとまず徒労のままに終え、天使達三人は峻厳なパキラの山道を走破して裏から西離宮に入っていた。
 少年姿のままこちらに来たリィとシェラは、ついでにルウもだが、変身に免疫のあるウォルとイヴン以外に姿を見せる事をよしとしなかったのだ。そもそも帰還を知らせていない。
 なにしろリィは、こちらでは“王妃さま”なのである。男の王妃などあっていいものではないだろう。
 だが、夫である国王は、妻であるはずの相手が男であってもまるで気にしていなかった。そのうえずいぶん縮んでいる。にもかかわらず口調も態度も当時のままで、イヴンに言わせればただの馬鹿だ。
 とはいえ、おまえどっかオカシイだろう!? と喚いたイヴンにしてからが、慣れてしまえば昔の通り。小突いたり悪態を吐いたりと遠慮もなにもないのだから、ウォルに言わせれば五十歩百歩だ。
 並べられた食事を片付けにかかった少年は、なにやら敵を殲滅するかのような勢いで忙しく手と口を動かしている。
 こちらに来てからほとんど怒りっぱなしのリィを刺激せぬよう、ウォルは小さく肩を縮めてその姿を窺った。
 細い手足。精妙に整った美しい顔立ち。弱さとは無縁の鮮やかな瞳。
 豊かな胸の膨らみも細い腰もなかったが、それは確かにリィだった。
 年端もいかぬ少年の姿をした妻がウォルの下を訪れたのは、月の綺麗な晩のこと。
 ウォルははじめ、その声を夢だと思った。



「ウォル……」
 夜闇に密やかな声が響く。
 ウォル――と、その名を呼ぶのはいまや幼馴染み一人だけで、それも二人きりの時に限られる。その声とは違った。
 ウォル――。
 聞いた覚えのない声が懐かしい響きで夢の中に滑りこんでくる。
 ――ウォル。
「いいかげん起きろ、この馬鹿」
 ぺしりと額を叩かれてウォルは飛び起きた。
 国王の私室である。王の寝所に無断で人が立ち入る事など、普通有り得ない。部屋の外には衛兵が立ち、緊急時には扉が叩かれる事もあるが、この日はそんな気配もなかった。
 満月の夜だ。
 カーテンの引かれた窓の辺りがそれでもほんのりと明るんで、室内もなんとか見て取れる。寝台の脇に人が立って、身構えた国王を見下ろしていた。
「おまえな、戦士のくせに鈍過ぎるぞ」
 呆れたように腕を組んで仁王立つ人影は、その細い輪郭を闇の中に浮かび上がらせている。
 夜目にも眩い黄金の髪。
 きらめく翠緑の瞳。
 少年か少女か判別しがたい年頃の、それは出会った頃そのままの戦女神の姿だった。
「リィ……」
 呆然と、呟く。
 手を伸ばす。
 指先が震えているのが自分で分かった。
「夢――ではないな?」
「夢じゃない」
 伸ばした手を取って、黄金の人は笑った。泣き出しそうな、込み上げてくるなにかを押さえ付けるような笑みだった。
 指を絡めて手を取りあったまま、ウォルも小さく笑みを浮かべる。
「またずいぶん小さくなったな」
「仕方ない。あっちではこれがおれなんだ」
 二人はそのまま、互いの姿を確かめるように見つめあって黙した。厚いカーテンの隙間から月光が注ぎ、夜半の透明な静寂に風の音が混じる。
「……また、会えたな」
 うん、とリィが小さく頷く。
「ずっと、待っていた」
 別れた時からずっと。ケリーが来てからはもっと。
「……会いたかったぞ」
 ぽつりと、わずかに震えたウォルの声。
「おれもだ」
 応えたリィは腕を伸ばし、寝台に座ったままのウォルの首筋に抱きついた。
「おれも、会いたかった」
 肩口に顔を埋めて囁くように繰り返す。
 その細く小さな背を、ウォルはそっと抱きしめた。前とは違って柔らかな丸みのない少年の身体だ。別れた時よりだいぶ小さい。
 それでも、それはリィだった。
 おかしなことに国王の妻で、この国の王妃だ。
 少しだけ身を引いて顔を上げたリィが、間近でウォルを見てちょっと笑う。
 あの頃と変わらない強い輝きを放つ瞳は、どこか張りつめた色を宿していた。
「そのぅ……」
 咳払いをしてからおずおずと言葉を紡いだのは、リィとは違う優しい声。
「ぼく達は失礼した方がいいのかな?」
 ウォルは目を丸くして部屋の片隅を見やった。
「ラヴィーどの!」
 その人の姿は暗がりに溶け込み、夜そのもののような佇まいで頬に微苦笑を浮かべている。滑らかな白い肌がほのかな明かりに滲んで、夜の海に似た瞳にはやはり張りつめた色が浮かんでいた。
「……卿はまるで変わっておらんな」
「そりゃあね」
 肩をすくめたルウがふわりと一歩前へ出る。
 その背後にもうひとつの人影があって、伏せていた目線を上げた。
「シェラ……か?」
「はい。お久しぶりでございます、陛下」
 優美な所作で頭を下げる少年の肩先で、見事な銀髪がさらりと揺れた。
「そなたは相変わらず美しい――と言いたいところだが、以前よりだいぶ可愛らしくなったな」
「恐れ入ります」
 笑みを浮かべた少年はまるきり少女のようだったが、やはり表情が少し固い。
 皆が皆どこか憔悴した風なのは、こちらに来る為に相当無理をしたせいだろうか。遠く世界を隔て、もう会えないと言われてしまうほどの彼方の地から、奇跡のような邂逅――。
 実際、百年後の未来である可能性もゼロではなかった。ケリーの落ちた先がデルフィニアであったことが、そもそも信じ難い幸運だ。
 王様が王様で良かった、とルウは安堵の吐息を漏らす。
 この王様が血まみれの人物を捨て置くことなど、絶対にするはずがなかった。
「ぼく達がどうして来たのか、分かる?」
「ケリーどのを迎えにいらしたのだろう?」
 さらりと告げられた台詞に、天使達は一様にどっと弛緩する。
「ああ良かった、無事なんだ――!」
 ぺたりとその場に座り込んでルウが声を震わせた。
 ケリーは名を名乗っている。ウォルも事情を理解している。ならばそれは、それだけの会話があったという事で、瀕死の重傷だった彼が無事でいるということだ。
 リィは目を閉じて震える息を大きく吐き出し、安堵と同時に湧きあがった怒りに拳を握った。
 自分をかばって死にかけるなど冗談じゃない。無事だと分かったからには、絶対に一発殴らせてもらう。絶対にだ。
「どこにいる?」
 剣呑な響きのリィの声に、ウォルがぎくりと肩を揺らした。
「タウかな?」
 重ねて問うたルウには、いやその、と言葉を濁す。
「……無事なのでしょう?」
「ぶ、無事は無事なのだがそれがその、」
 だらだらと冷や汗を流しつつ、ウォルは頬を引き攣らせた。
 ――行方知れずだなどと知れたら、いったいどんな目に遭わされるか。
 燦然と輝く緑の瞳から逃れるべく天井を見上げ、窓に目をやり、うろうろと視線を彷徨わせる。
「――ウォル?」
 不穏な声音で名を呼ばれ、ぎしりと思い切り固まった。歴戦の勇士も形無しだが、この状況で平然としていられる剛の者が存在するなら、是非とも一目お会いしたい。
「そ、そうだ、リィ。みなが会いたがっているぞ。すぐに呼んで――」
「おれのこのナリで? 誰も信じやしないよ」
 いやそんな事はないと思うが、とある意味必死の国王をよそに、ルウが不満そうに口を尖らせた。
「だから変えてあげるって言ってるのに。君だって会いたいでしょう」
「いいんだ、これがおれなんだから。――それよりウォル?」
 相棒の提案を一蹴したリィは、身体の向きを変えて寝台に乗り上がり、固まっている国王の上に馬乗りになると、両手でがしりと頭を掴んだ。
 ただの少年の腕ではない。もはや一ミリたりとも動けない。
 額を突き合せるような至近で国王の目を覗き込み、にっこりと美しく微笑んで、軍勢に下す命よりも強い口調でリィは言った。
「ケリーは、いったい、どこに、いるんだ?」
 もはやウォルに逃れる術などひとつもありはしなかった。



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―― ...2009.07.17
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
まずはウォルと再会。思いっきりパラレル。

  元拍手おまけSS↓

 陛下はまったくお変わりない――と、シェラは形の良い唇に笑みを刻んでその光景を眺めた。
 震えた声。
 抱擁。
 ルウが振り向いてシェラを見下ろし、困ったように笑って肩をすくめる。
 応えて小さく首を傾げ、シェラはゆっくりと目を伏せた。

 国王は、かけらも迷わず“リィ”と呼んだ。
 年若い女性であったはずの妻の名を、年端もいかぬ少年に向かって。
 疑問形ですらなく。

 街灯のない、月明かりだけの夜に風の音。
 手作りの家具や寝具はどこか有機的で優しく、懐かしい感覚が身内を占める。
 ここは変わらない。
 世界も、恐らく人も。
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