大佐の受難 上
Written by Shia Akino
「な、な、何をしているのだ、あの女!!」
 ブラケリマ軍国境警備隊所属アダマス級駆逐艦《ブルーノ》の艦長、マルコ・サディーニ大佐は絶叫した。声を限りに叫んだ。眉間の皺と険しい表情が常態として定着している大佐としては、珍しいくらいの取り乱しっぷりである。
 陽気でおおらかな国民性を誇るブッカラ人の中にあって、彼は例外的に真面目で融通のきかない堅物であった。
 いかにもブッカラ人らしい大らかな両親と妹に挟まれ、僕はこの家の子じゃないんだと枕を濡らした少年時代。
 彼のこの気質が一体いつどこで形成されたのかは不明だが、様々な局面において、少数派の真面目なブッカラ人が割を食う破目になるのは確かな事といえる。
 幼少時、喧嘩になると煩いの細かいのと彼を罵倒した妹は、長じて後、飲み会だといっては彼に運転手を勤めさせ、恋人と喧嘩したといってはヤケ食いに付き合わせ、散々振り回してから嫁に行った。嫁に行くと――これを嫁にする物好きがいると――聞いたその時よりも、彼はいま、唖然としていた。
 震える指が仕官休憩室に設置された大型受信機の画面を指し、酸素不足の魚のごとく口を開閉させ、焦点の合わない視線がふらふらと宙を泳ぐ。
『もうこりごりです。二度とあれには乗りません』
 途端沸きおこった報道陣のざわめきと、遠く響く観客席のお祭り騒ぎ。
 険しい峡谷の風景を背景に、日誌に綴じて過去へ追いやったはずの赤毛の大女が、突き出されたマイクに向かって顔をしかめて首を振っていた。
 ――なんだこれは。
 峻厳な岩肌を遠景に大仰な垂れ幕が舞台を飾り、会場の巨大スクリーンは赤い小型機のゴールの瞬間とコースレコードとを交互に映し出している。
 小型機は女の言う“愛機”と似た姿だったが、怪物級《モンスタークラス》の飛翔機《フライヤー》だとはすぐに分かった。
 分かったが、だがしかし。
 画面に映っているのは明らかに峡谷競争《キャニオン・レース》の勝利者会見であり、衆目の面前でディアス社長を糾弾している大女は間違いなくジャスミン・クーアで、つまりあの不審船の船長夫人は、飛翔士としてブッカラの空を飛んでいるということだ。
 ということだが、だがしかし。
(いったい何がどうしてこんな事に――!?)
 そこがまったく分からない。
 大佐の任務はあの機を税関に引き渡した時点で終了していたし、あんな非常識な代物は綺麗さっぱり忘れ去ってしまうに限るので、相当な労力を傾けて記憶を消去した。少なくとも蓋をした。
 軍人たるもの賭博などにうつつを抜かして骨抜きになるなど言語道断! という信念の下、峡谷競争《キャニオン・レース》の報道合戦はあえてずっと無視してもいた。
 その結果がこの不意打ちの衝撃である。
 不意を打たれなくとも十分に衝撃的ではあるのだが、せめて『無傷の二十四連勝ーっ』というレポーターの絶叫は聞きたくなかった。
(ああ……そうだろうとも)
 くらくらする頭を押さえて大佐は呻く。
 ――そうだろうとも。
 わずか千トンの機体に永久内熱機関《クーア・システム》と重力波エンジンと二十センチ砲を搭載し、それでいて感応頭脳を持たないなどという非常識な小型戦闘機――アレこそがまさに《怪物》なのだ。
 あんなものを“愛機”と呼んで、あの女は実際に飛ばせて見せたのである。怪物級《モンスタークラス》がなんだというのか。

「感応頭脳がないなら、一体どうやって制御しているというのだ!?」
 飛ばせて見せるというので《カペラ》の格納庫を出た後に、大佐は夫の方に詰め寄っている。
 当然の疑問だ。
 “宇宙船”に“感応頭脳”がないなど有り得ない。そんなものは宇宙船とは呼ばない。浮かせることすらまず出来ない。ただのガラクタである。
 それが優雅な動きで浮き上がり、どこにもぶつからずに《カペラ》を出て、自動着陸装置にも係留索にも頼らずに税関の格納庫に収まった。
 感応頭脳がないというなら、これだけの動きをどうやって制御しているのか。
 あえて聞いたのは、答えを聞きたくなかったからかもしれない。
 他に考えられる選択肢は多くなく、というかほとんど一つで、常識的に考えて有り得ないその可能性を、大佐は否定して欲しかったのだ。
 だが夫は無情だった。
 そもそもが軍人嫌いのケリーとしては、温情をかける理由もない。情報局長官にも言ったが、「せいぜい驚け」といったところである。あっさりと答えた。
 電算機――と。

 電算機で宇宙を飛べるなら、管制頭脳非搭載といえど大気圏内限定機《エアブレイン》くらい何ほどのものか。無傷の二十四連勝とて驚くほどのことでもない。
 機体制御装置を密かに組み込んでの八百長だとでもいうのなら、大佐の職務に関わってくる話かもしれなかった。が、技量で勝利を掴むのなら、それがどれほど非常識な技量であろうと密売組織とは無関係である。
 非常識な戦闘機を操る非常識な操縦者が、なにやら非常識な事をやっているわけだが、一軍人に関わる事とも思えない。
 関係ないのだ――と、不意打ちの衝撃をやり過ごしたサディーニ大佐は、次に心から安堵した。
 化け物戦闘機とその操縦者に二度と会いたくなかった彼は、もう一人の非常識――安定度数85のゲートを跳ぶなど狂気の沙汰だ――の存在を、すっかり忘れ去っていたのだった。


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―― ...2010.06.17
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続く予定。……予定。


  元拍手おまけSS↓

 “感応頭脳を持たない宇宙船”と“そんな代物が実際に飛んでいる場面”と“飛ばせてしまう操縦者の姿”を全て知っているブッカラ人は二人しかいない。
 サディーニ大佐と、移送に派遣されたパイロットである。
 税関職員は“感応頭脳を持たない宇宙船”しか見ていないし、管制職員は“そんな代物が実際に飛んでいる場面”しか知らない。
 知らない方が幸せだとも言えるだろうが、知ってしまったパイロットがパピヨンルージュの姿を見たのは、サディーニ大佐よりずいぶん早かった。
 新人枠を二日で片付けた大型新人の特集を見てしまったパイロットは、脂汗を流しつつ震える指で投票券を買った。
 半信半疑で購入した投票券はごく少額だったが、あまりにも鮮やかな勝利に配当は四十六倍。
 回を重ねるごとに賭ける金は雪だるま式に増え――その分ものすごい勢いでレートが下がったので、儲けは大して変わらないが――怪物級での特別競争を終えた今では、ちょっとした小金持ちである。
「なあ、おい」
 特別競争が組まれたその日、たまたま非番で家にいた男は、受信機に映るパピヨンを見ながらキッチンに立つ妻に声をかけた。
「今度、休暇とって旅行でも行くか」
「なあに、ずいぶん儲けたの?」
 楽しげに答えた妻は、夫の賭け方を良く知っている。
 レースを楽しむために賭けるのであって、儲けようと思っている訳ではない男は、大金を賭けるということがまずない。
 それでも時々は小さく当てて、食事に連れ出したり贈り物を用意したりしているので、妻は突然の申し出にも驚いた風ではない。 
「まあな。――でももう終わりだ」
 苦笑を浮かべて男は受信機から目を離した。
 パピヨンが出走するレースには、もう手を出すまいと決意したのだ。
 “あの戦闘機”を知っている身としては、どうにも八百長に加担しているような気分で落ち着かない。
 なによりパピヨンに賭けるのは、はっきりいって楽しくなかった。
 いずれ皆気付くだろう。
 大多数のブッカラ人は娯楽としてのレース賭博を熱愛しているが、結果の分かっているレースなど娯楽にならない。つまらないのだ。
「せっかくだからパーッと楽しもう。どこに行きたい?」
 人生を楽しむ意欲に満ちたブッカラ人らしく、男は休暇に思いを馳せた。
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