大佐の受難 下
Written by Shia Akino
 真面目で融通の利かない堅物であるマルコ・サディーニが、職業軍人を志したのは必然であったかもしれない。
 厳格な規律を要する軍人としての生活は、彼の四角四面な性格を更に強固にし、磨き上げる結果となったが、軍人であればこそ周囲との軋轢も少なく、同期の誰よりも出世は早かった。
 それに倍する勢いで気苦労が増えたので、さほど喜ばしい話でもないのだが。
 現在の彼の主な悩みは、お世辞にも真面目とは言い難い同胞の勤務態度なのだ。
 大多数のブッカラ人はとことん陽気で快活で、勤勉という美徳が少々欠けているのは有名な話である。哨戒中にも関わらず、飛び交う私語は酒と女と博打の話――正面のメインスクリーンを睨みつけつつ、大佐は忍耐力の限界を試す破目に陥っていた。いつものことだが。
 壁一面を占める巨大なスクリーンは九つに分割され、中央に前方カメラの映像、左右四つずつには各種データが映し出されている。
 各オペレーターが操作するサブディスプレイと同期したそれらのデータは、艦の運行に合わせてゆっくりとした変化をみせていて、つまり特別警戒すべき事態には陥っていない。大佐にとっては残念なことに。
 まったくもって耐え難い。任務をなんだと思っているのか。
 二等機関士が下品な笑い声を上げたところで、サディーニ大佐は忍耐力の限界を突破した。部下を怒鳴りつけるべく口を開き息を吸い――飲み込む。
「後方にドライヴ反応! 距離二千!」
 航宙士の緊迫した声が私語を圧して響き、艦橋にさっと緊張が走った。
 こうなればさすがのブッカラ人も安穏とはしていられない。密輸船の横行するゲート付近、航路から外れたこんなところに一般船舶が現れるとは考え難い。
「ドライヴ・アウト確認、五万トン級!」
 航宙士の報告の直後には、砲撃手が不審船に照準を合わせてスタンバイ。ミサイル迎撃システムの起動、対エネルギー防御幕の展開準備、船籍コードの解析と犯罪歴との照合――スクリーンの表示は忙しなく変化し、急ピッチで迎撃の態勢が整えられる。
 同時に、合図を受けた通信士が回路を繋ぎ、サディーニ大佐がマイクに向かった。
「こちらはブラケリマ軍国境警備隊所属アダマス級駆逐艦《ブルーノ》。わたしは艦長のマルコ・サディーニ大佐だ。減速を要求する。船籍・船名および目的地を明らかにされたし」
「アウリガ船籍《スタールビー》、船長のケリー・クーアだ。またあんたか」
 間を置かず応えがあったのは良いとして。
 ――何故。
(何だっていちいち航路以外を飛ぶのだ、この男は!)
 大佐は心中で思い切り喚き、実際にはもともと険しい表情をさらに険しくして画面に映る精悍な美貌を睨みすえた。
 《エルナトCNZ》も、ここ《セロイムKKB》も、ゲートがあるという以外は見るべきものもない宙域である。そんなところで二度も遭遇するとは。
「貴様、やはり密輸に関わっているのではあるまいな」
「それに関しちゃ誤解は解けたと思ってたんだが?」
「疑われたくなければ航路を飛べばよかろう」
 民間船なら民間船らしく航路を飛べと、トレジャーハンターだとでもいうなら未開の地でも飛んでいてくれと、大佐は心からそう思う。
「航路以外を飛んじゃいけないって法はなかったはずだが?」
 ないな、と女の声が割って入った。
「私の知る限りそんな法律はない。未発見の有資源惑星は航路の外にあるものだからな」
 画面の男は横を向いて――たぶんそちらに副操縦席があるのだ――だよなぁ、などと頷いている。
 だからそれなら未開の地でも飛んでいてくれ。ブラケリマは辺境だが、断じて未開の地ではない。未発見の有資源惑星などあるものか。私の目の前から消えてくれ!
 女の声によって、怪物戦闘機を操る化け物操縦者の存在を思い出したサディーニ大佐は心底慄いた。
 一刻も早くここから逃げ出したい。常識の通じる世界に帰りたい。
 それは職務放棄も同然の考えであり、普段の大佐なら欠片たりとも思い浮かべないに違いない願いだった。
 赤い蝶が刻印された超合金特大ハンマーの一撃は、真面目で融通の利かない堅牢な四角四面に大きなヒビを入れていたのだ。
「と――とにかく、目的地を明らかにしたまえ」
 勢い込んで質したのは、とにかく早く終わらせたかったからだが。
 男は、さあ――と首をかしげた。
「ふざけるな!」
「ふざけてねぇよ。そこのゲートを跳んでみようと思うんだが、突出先は知らなくてね。どこに出るのか、あんた知らないか?」
 ――知るものか。
 近海を行く真っ当な船乗り達の間では、いつ見ても安定性の悪いゲート、と評されているゲートである。探査機すら跳ばせないのだ。密輸業者なら知っているのだろうが、公式には不明。
 だが問題はそこではなくて。
「いま、貴船は自由跳躍をしてこなかったか」
「してきたが?」
「自由跳躍型の船でゲートは跳べないはずだが」
 ああ、と言って男は笑う。
「持ち船の調整が終わったんで、レンタルはやめにしたんだ。この船は両方積んでる」
「……ショウドライヴと、重力波エンジンを? 両方積んでいるのかね?」
「そうだと言ってるだろうが」
 あっけらかんととんでもない事を言った男は、分かんねぇヤツだな、と肩を竦めた。
「両方積んだ民間船など聞いた事もないぞ」
「ないだろうな。俺もない」
 そもそもが五万トン級の中型船である。どちらか一方ならともかくも、両方積むには小さすぎる。居住スペースなり格納スペースなり、どこかしら犠牲にしているに違いない。
「なぜそんな馬鹿げた真似をする」
「前にも言ったが、俺の趣味だ」
 両方あれば便利だしな、との言に大佐は目眩をおぼえた。
 …………何が便利だ。
 長距離を結ぶという点では確かに便利だが、いつでも跳べるわけではない。駅完備だった時代には安定状況を遠方から調べる事も出来たが、今ではまず行ってみなくてはならず、結局ひどい遠回りになる事の方が多いに決まっているのだ。
 ああ――撃ち落したい。
 このふざけた色男を、あの大女もろとも撃ち落とせたらどれほど気持ちがいいだろう。
 出来るはずもないが。
「ゲート付近は治安が悪い。砲撃を受けたのだから知らんわけでもなかろう。引き返した方が身の為だ」
 せめて通信を切って“見なかったふり”をしたい大佐だったが、まがりなりにも職務である。ここで見逃して何かあっては、ブラケリマ軍の名に傷がつく。
 義務感で発せられた機械的な忠告は、しかし相手が悪かった。
「密輸船がゲートを使ってるんだろう? その密輸船に用があるんでね」
 男が浮かべたひっそりとした笑みに、大佐は思わず息を呑んだ。
 ――目がまるで笑っていない。
 酷薄な眼差しには苛烈な意志が宿り、ただ漫然と生きてきた者には持ち得ない力と自負とが彩りを添える。
 凄艶、とでも言えばいいのか。整った美貌が際立ち、琥珀の瞳が色味を増した。
「……報復、というわけか?」
 船乗りが船を撃たれたのだ。どんな意気地なしだって、報復の『ほ』の字くらいは考える。
 だがこれは、この男が発しているのは怒気ではなかった。怨みとも違う。もっと静かな、確固とした、意志だ。
 笑みの形に整った口元はまるで笑みには見えず、それでもどこか楽しげで、それゆえに不気味だった。やり取りを見守っていた部下達は一人残らず硬直しているが、責めるのは酷というものだろう。
 大佐ですら、態勢を立て直すのに一瞬とは言えない時を要した。呑まれそうになる己を叱咤し、無理やりに口を開く。
「奴らは武装を強化している。いつ現れるとも知れんのだ。命が大事なら大人しく引き返せ」
 男はそれを鼻で笑った。
「いいからあんたは黙って見てろ。頭痛の種を減らして来てやる」
 言葉と同時に、船は唐突に加速した。ほとんど停止した状態から、いきなり最高速度近くにまでなったのだ。
「なにっ!?」
 常識外れの加速度に一瞬船影を見失う。消えたかのように見えた船はその間に《ブルーノ》のすぐ脇をすり抜けて――今度こそ忽然と、消えた。
「ば、馬鹿な……」
 大佐の喘ぎ声は、艦橋の全乗組員の心境を代弁していた。
 何をしたかは分かる。加速してゲートへ向かい、跳躍したのだ。
 だが、そんなことがあり得るだろうか。
 航宙士は反射的にディスプレイを確認したが、爆発も重力異常もなく、ついでに船影もない。まさしく忽然と船は姿を消していて、それはつまり無事に跳躍を完了したということだ。
 艦橋に奇妙な静寂が満ちた。
 この艦に重力波エンジンは積んでいない。跳ばれてしまえばもう追えない。しかしそういう問題ではない。
「航跡データは」
「……取れました」
 勘違いであることに一縷の望みをかけて再生させたデータは、はっきりと認めたくない現実を表していた。
 あの船は加速して、加速したまま跳躍している。
 ――そんな馬鹿な。
 跳躍は複雑で繊細な操作を必要とするものだ。重力波エンジンさえあれば跳べるというものではない。話のついでに――ましてや加速しながらの跳躍など。
 もはや声も出ず、サディーニ大佐は沈黙した。
 こんなことがあり得るはずはない。あっていいはずがない。こんな――非常識な。
 大佐の心中は煮えたぎった釜のごとく沸き立ち、その中で溺れているような按配であったが、傍目には元々険しい表情が更に険しくなっただけである。
 疎まれがちな生真面目一辺倒に人員を統括する駆逐艦艦長が務まるのは、このあたりに要因がある。陰口を叩かれつつも部下達の信頼を得ているサディーニ大佐は、落ち着いた声音で哨戒任務の続行を指示した。
 内心、落ち着きとは程遠くても。
 ひび割れていた四角四面はこの一件によって大きく欠け落ち、角が取れて最早四角とも四面ともいえなくなったあげくに心中の釜で茹で上げられた堅物は、この後少しばかり丸く柔らかくなった。寛大になったと評判である。
 あの非常識に比べれば、なんだってマシに思えてくるものなのだった。


前へ
―― ...2010.08.08
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
大佐の受難完結編。
生まれ変わった大佐はこの後、部下たちに慕われることでしょう(笑)

  元拍手おまけSS↓

 あれは堅気ではない。
 あんな跳躍をしてしまえる船、そして操縦者――絶対に堅気ではない。有り得ない。
 哨戒任務を終えて帰港したサディーニ大佐は男の指名手配を進言し、それを退けられて激昂した。
「しかし、提督!」
 机を叩いて声を荒げる。
 上官の命令には絶対服従――軍の規律が身に染み付いているサディーニ大佐としては異例の事態である。
「少し落ち着きたまえ、大佐」
 提督は疲れた顔で眉間を揉み、溜息を吐いた。
「これは連邦軍上層部からのお達しなのだ」
「なん――ですと!?」
「正確には、連邦政府最上部からの“忠告”だ」
 アレには関わるな――と。
 癒着を懸念して顔を歪めた大佐に、そうではない、と首を振って、提督はもう一度溜息を吐いた。
 納得したとは言い難いサディーニ大佐だったが、数日後――密輸業者壊滅の一報を受け、生き残りの逮捕者取り調べに同席するに到って、彼は達観した。
 ――世の中には追求しない方がいい事もある。
 後ろ暗い事情ならば斟酌すべきではないが、そういう理由でなければ追求しない方がいい事というのはあるのだ。
 少しばかり丸く柔らかくなった頭で、大佐はこの一件を“非常識”のカテゴリに叩き込んだ。
文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
Copyright©Shia Akino