ジェームス君の憂鬱 2
Written by Shia Akino

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レオナールおじさん(実は偽名)に聞いてみた

 “レオナールおじさん”の事を、ジェームスは大変好いている。
 “お祖父ちゃん”といえばアレクだが、世の少年少女は大抵祖父母を二人ずつ持っているので、本当にお祖父ちゃんだったら良かったのにと思うこともままあった。
 決して甘い人ではないが、甘い祖父なら一人いるからいいのだ。
 相対すると緊張を強いられる点は祖母と通じるものがあるが、あの人が祖父なら自慢できる。祖母とは違った感覚で誇らしい。
 そういうことだ。
 がっしりとした体つきは今もって頑健に見えるし、浅黒い肌には艶もある。八十かそこらにはなるはずだが、五十代と言っても充分通用するだろう。
 後ろに撫で付けた髪は見事な銀髪だったが、これは昔からだった。そのせいでもあるのだろうが、初めて会った時からまるで変わっていないように見える。
 もちろん、目尻だとか指先だとか、細かいところに着目すればそれなりに年を重ねているのだが、全体の印象となるとこれが見事に変わらないのだ。
 “映画界の奇跡”を祖母に持つジェームスとしては驚くような事でもないのだが、三十年からの付き合いになるダンが見ても変わったようには見えないとなると、この人も実は化け物の類なのかもしれない。
 紳士然とした容貌と落ち着いた物腰。活力に満ちた瞳には時折悪戯な光を覗かせ、豊かな低音で闊達に笑う。
 あんな風に年をとるのは悪くないと、ダンはそう思っていたりする。
 つまり、レオナール船長はダンにとってもジェームスにとっても憧れの人だったりするのだが――ケリーがそれを知れば、腹を抱えて笑ったかもしれない。
 貿易商人レオナール。
 またの名を、銀星ラナート。
 大海賊グランド・セブンの一角で、キングに惚れ込んだ女王の浮気相手である。
 もちろんダンもジェームスも、そんな事とは知る由もない。
 ダンにちょかっいかける時には、ラナートは《シルヴァー・スター》を使わなかったし、軍関係者でもなければその顔形を知る機会などはまずなかった。海賊は顔で飛ぶわけではないのだ。
 当然ラナートが気付かせるようなヘマをするわけがないし、そんなわけでマクスウェル親子は、彼が南部宙域を拠点とする堅気の貿易商だと信じて疑っていなかった。
 少年だったダンと彼との出会いは、実のところ偶然ではない。
 “宇宙船事故でクーア財閥後継者死亡”との報道を鼻で笑ったラナートが、わざわざ探して仕組んだのだ。が、当然ダンはまったく知らない。
 以来なにかと気にかけてもらった少年時代、主な理由が“惚れた男の息子だから”だったりする事だって、もちろん全然知りはしない。
 ――世の中には知らない方がいい事もあるのだ。
 レオナール船長がクーア総帥に、“ダン・マクスウェル”という青年の話題を素知らぬ顔で散々提供したなどと、知ってしまったら憤死確実であろう。
 大海賊と実業家の会話を仲介するダイアナの美しい顔を思い出しつつ、通信画面に映る“惚れた男の孫”を眺めて、レオナールことラナートは毎度思うことを律儀に思った。
 ――似ていない。
 惚れた男が選んだ女はこっちまでもが惚れ込むような女丈夫であったのに、その孫はというとごく普通の少年だった。
 血縁ではあっても別の人間に過ぎないし、あんなモノがそうそう居ないのは当然で、別段それで失望したりはしないのだが――似ていない、とはやはり思う。
 聞きたい事があるのだと連絡してきたジェームスは、いつものように少しばかり緊張した様子で背筋を伸ばしていた。
「信じてもらえないかもしれないけど……」
 そう前置きして語ったのは、先日体験したという航行についてだ。レオナール船長相手に遠まわしで中途半端な問いが通じるわけもないし、それはジェームスもよく知っている。
 最高速度での跳躍、足りない安定度数――連邦大学からブラウニーへが一日強とは、確かに信じ難い話ではあった。
「それで俺、その人はキングの子供か、もしかしたら孫かもしれないけど、血縁なんじゃないかって思ったんです」
 孫はおまえで子供はおまえの父親だ――とは、もちろんラナートは言わない。
「それでその、友達には“キングは犯罪者なんだからそんな事言いふらすな”っていわれたんですけど、普通なら絶対跳べないはずのゲートだし、やっぱりどうしても気になって、それで――」
 ラナートが何も反応を返さないので、ジェームスは焦ってきたようだった。だんだんと早口になり、のぼせたようにそこまでを言って、わずかに躊躇う。
「…………そのう、もしかしたら数値を読み間違えたのかもしれないんですけど」
 そうは言っても、納得していない事はラナートの目には明らかだった。ここで見間違いだろうと断言すれば反発するに違いない。
「間違えたと思っているなら構う事はない」
 試すつもりでそう言えば、ジェームスはパッと紅潮して姿勢を正した。
「間違ってません。最高速度のままだったし、安定度数は六十二でした」
 断言するには躊躇せざるをえない異常な状況である。にも関わらず、どこか怯えながらもキッパリ言い切ったジェームスに、ラナートはつい笑みを浮かべた。
 人であるからには間違うこともある。時には間違いを認める事も重要だが、宇宙とは人間の感覚では測れないほどに広大なのだ。信頼すべきは機械による計測と情報であり、それを読み取り活用する己の力だ。
 計器を疑ってしまっては船乗りとして立ち行かない。己を疑ってしまったら人として立ち行かない。見て見ぬふりを決め込んで誤魔化す事を覚えれば、それ以上の力は望めない。
 この子は大成するかもしれないな、とラナートは思った。
 見習いですらないうちから、船乗りとして大事なことを本能に近い部分で知っているのだ。
 頬を赤くしたジェームスの睨み据えるような視線は、不安や恐れや決意や気負いを含んで若く、真っ直ぐだった。
 この目は知っている、とラナートは思う。
 出会ったばかりのダンが、やはりこんな目をしていた。
 蛙の子は蛙だ。
「それで、聞きたい事とは?」
 少しばかりずれた話題を修正すると、ジェームスは幾度か瞬いてから慌てて言った。
「キングが活躍してた頃、おじさんはもう宇宙で仕事してましたよね? 結婚したとか、噂になった事ってありませんか?」
 ふむ、とラナートは腕を組む。
「少なくとも私は聞いた事はないが」
 クーア財閥副総帥が閉鎖中のゲートを跳んだ、という話が裏社会に流れた事ならある。
 ならばあれがキングだろうとは思ったが、結婚した、とは別に噂にならなかった。
 もちろんそんな事は言わない。
 最高速度で安定度数の足りないゲートを跳ぶような離れ業をやってのけるのは、ラナートの知る限りキング一人だけだが、それもわざわざ口には出さない。
「おじさんはキングに会った事ってありますか?」
 続けて問いかけるジェームスに気付かれないよう、ひっそりと形容し難い笑みを浮かべた。
 キングが戻って来るつもりでいた事は承知している。
 ジェームスのもたらしたこの話が何を示しているか、ラナートには明白に思われた。
 戻って来たというのに挨拶もなしかコノヤロウ――と思ったかどうかはともかく、もうあんまり期待もしていない調子のジェームスの問いかけに答えるべく、口を開いた。

   >>> 「ああ、あるとも」 > 84%
   >>> 「いや、ないな」 > 16%

「ああ、あるとも」言われたよ!?

「ああ、あるとも」
 銀髪の老紳士が通信画面の向こうで頷いたとき、ジェームスはその意味を捉え損ねて一瞬ぽかんとした。
 キングは英雄で伝説で、ジェームスにとっては小説の登場人物と変わりないのだ。さすがに実在を疑ったことはないが、生きて動いて喋るキングは想像した事さえなかった。
 ――生身の彼を知る人がこんなに身近にいたなんて!
 なんだかいろいろ取っ散らかってうろたえたジェームスは、熱に浮かされたように一息にまくしたてた。
「ど、どうして? どこで会ったの? いつ? なにか話した? どんな人だった? わあどうしよう。俺どうしたらいい?」
 もはや何を口走っているのか自分でも分からない。
「落ち着け、ジェームス」
 苦笑と共に窘められたが、それは無理な相談だ。だってキングだ。
 それでもどうにか呼吸を整え、震える手は固く握って身を乗り出した。
「キングって――どんな人だった?」
 さっきとは打って変わって押し殺したような声になる。
 年をとってなお堂々たる風采の老紳士は、にやりと不敵な笑みをうかべて即答した。
「いい男だった。――とても、な」
 同性を評するのに衒いもなくそんな事を言ってしまえる辺りがラナートのラナートたるゆえんかもしれないが、ジェームスは少し驚いてしまう。
 “レオナールおじさん”が格好良い人である事は知っていたけれど、こういう表情が似合う人だとは初めて知った。
「ええと、どこらへんが?」
「そうだな……まずはやはり操船技術だろうな」
 キングといえばやはりそれだ。操縦過程で語り継がれる数々の伝説を思い起こし――あ、とジェームスは声を上げる。
「そうだ。おじさんなら分かるかな? 操縦過程で語り継がれてるキングの伝説ってのがあるんだけど、とても本当とは思えないのも結構あって――」
 確実なのは“軍から逃げきった”という一点だけかもしれない。
 華々しい噂の数々に、尾鰭どころか胸鰭背鰭まで付いていたって驚かないが、おじさんは話を聞くなり頷いた。
「ほとんど事実、だろうな」
「え、え、現場にいたとか!?」
 ジェームスはますます身を乗りだし、通信画面にくっつかんばかりになっている。
「……宇宙は広いぞ、ジェームス」
 ラナートは苦笑して窘めた。
「いちいち居合わせるわけがないだろう」
 いちいちじゃなければ居合わせたこともあるのだが。
 当時から半ば伝説化していたそれらの噂の幾つかは、《シルヴァー・スター》乗組員が流したものに違いなかった。幾度か共闘した事も、敵対した事もあるのだ。
「キングの噂には特徴があってな。もっともらしく聞こえる話の方が、むしろ事実から遠いらしい。聞いた話だが」
 ――本人に。
 キングは自分の噂に無頓着だったので、どんな話が出回っているかを耳に入れるのは、親交のある海賊達が主だった。
 真偽を問われ、あるいはからかわれて――なんだそりゃ、と首を傾げる話の方が、苦りきって黙り込むような話より本当らしく聞こえたものだ。
「その手の話は当時からけっこうあったな。たとえば――」
 虚実織り交ざりまくった噂話には事欠かない。
 どの辺りまでが“実”なのかラナートは大体知っていたが、あえて引っくるめて存分に語った。初めて聞く話もあったようで、ジェームスはもう大興奮である。
 それは聞いた事がない、みんなに教えてやらなくちゃ――弾んだ声にラナートはひっそりとほくそ笑む。
 キングの性格からいって、お子さま達が――特に自分の孫が――目をキラキラさせて己の偉業を語るのは相当イヤに違いない。ささやかな意趣返しだ。
「あれはもう、服を着て歩く非常識だな。私の知っている限りでも五回は死んでいないとおかしいんだが」
 親しげな口調で――その実、居合わせた事があるとか直接話したとかは一言も言っていないのだが――懐かしそうに語る“レオナールおじさん”に、ジェームスは興奮したまま勢い込んで訊ねた。
「おじさん、キングと親しかったの?」
 溢れんばかりの期待を込めた一言だったが、相手はふと口を閉ざした。興に乗って話していた様子だっただけに、ふいに訪れた沈黙は浮かれていたジェームスをおののかせた。
「……いいや」
 打ち沈んだ様子で首を振る仕草は、威厳さえ感じさせる立派な風采の男だけに殊更哀れだ。
「歯牙にもかけてもらえなかったよ」
 そうして浮かべた自嘲の笑みが、更なる問いを躊躇わせる。
 憧れの人に相手にされないのは辛い――当たり前の少年に過ぎないジェームスは自らを鑑みて短絡的にそう考えたが、事はもっと複雑だ。
 同時代を生きた船乗りにとって、あまりに異色な彼の王は、今時の少年達のような真っ直ぐな憧れの対象にはならないのだ。
 “王”の称号に皮肉が含まれていたなどと、ジェームスには思いもよらないのだろう。
 親しかったと言っても嘘にはならない程度の親交はあったラナートだが、相手にされなかったのもまた事実である。知り合いの多くが船を降り、あるいは世を去って、子供は親になり、その子供がこうして目の前で狼狽えている――ここに至ってもやはり相手にされていない。
 少々意地悪に皮肉な事を考えつつ、ラナートは好奇心で突っ走るジェームスをあっさり情で絡め取った。
 あまり突っ込んで聞いてくれるな、という気配を見事なまでに演出したのだ。
 愚鈍でも厚顔無恥でもないジェームスはもう黙るしかなくなって、なんとも複雑な表情で口を噤んでいる。
 操縦過程で語り継がれる伝説は幾つか増やしてやった訳だが、さして溜飲は下がらなかった。さて――こんなルートで帰還を知らされた落とし前は、一体どうつけてくれようか。

* 新刊で判明。
キングの伝説(噂)はさほど広い年代に詳細に知れ渡っているわけではないらしい。
考えてみれば当たり前なんだが。
もう今更どうにも出来ないのでこのまま行きます。


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   >>> すぐに連絡取って延々と嫌味攻撃 > 33%


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