災厄の日 
Written by Shia Akino
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 シッサス裏通りの脇道の路地の奥――赤ら顔の店主が営む串焼きの露店に、焼きあがる端から奪うようにして食い散らかす客の姿があった。
   丸く太った身体に、子供じみて丸い顔が茹で卵のようにつるりと白い。年齢不詳の禿頭の小男である。
「ん。おう、ケリー。待ってたぜ」
 路地を曲がってきた少年に目をとめて、男は空いている方の手を挙げた。もう片手はしっかりと串を握り、香ばしい鶏肉を口元へ運んでいる。
「今日はラッシュんとこの納品役っつったけどよ、ちょいと変更だ。ラランのデュオんとこで荷運びやってくれねぇか?」
 仕事の仲介斡旋を生業とする口入れ屋である小男は、ごくさりげない口調で予定の変更を申し出た。
 素直に頷くかと思いきや、少年は眉根を寄せて溜息をつく。
「……あんたの言ってるのがラス・ランサスのデュオなら、あれは故買屋だろう。盗品売買はやらねぇって、何度言ったら分かるんだ?」
 うんざりしたように言い放たれて、男は禿頭をぴしゃりと叩いて天を仰いだ。
「はっはあ、やっぱり駄目か! 急な話なら騙せるかと思ったんだがな。何で知ってるんだか」
 可愛くねぇ小僧だぜ、とからりと笑う。
「あんたにゃ可愛がってもらいたかねぇな」
 ケリーもちらりと笑って、で? と首を傾げた。
「ん?」
「今のは冗談か? それとも本気で騙す気だったのか?」
 にっこり笑って見せると、男は大慌てで首と両手をいっぺんに振る。
「いやいやいやもちろん冗談だとも! おめぇに伝言だ。レヒネル貿易の社長が会いてぇとよ」
 レヒネル貿易、とケリーは首を傾げた。知らないと見て取った小男は、妙に嬉しそうに破顔する。
「仕方ねぇなぁ、教えてやるよ」
 嬉々とした口調の男によると、レヒネル貿易は少し前まで堅気の貿易商だったらしい。元々裏の事情にも通じてはいたが、代替わりしてから裏家業に手を染め始めたのだという。
「まあ、こっちからすりゃあ新興組織だな。あんまり大きな仕事はやってねぇはずだぜ」
「なんの用なんだ?」
 下働きの小僧を名指しで呼びつけるなど、面倒事になりそうな予感がひしひしとする。
「さてな。仕事でも頼みてぇんじゃねぇか? 急ぎらしいから、ラッシュの方は他に振ったぜ」
 それを聞いて、ケリーは思いきり顔をしかめた。
 口入れ屋を通さない仕事はトラブルになる確率が高い。そうでなくてもこのところ、仕事を選り好むなぞ生意気だとか、よくも取引ぶち壊したなだとか、そういう理由でケリーに目をつけている組織は多い。
「んな顔すんなって。受けるか断るかは勝手にすりゃいいが、とにかく行くだけは行ってくれ。な?」
 これやるから、と新たに焼きあがった鶏の串焼きを押し付けられ、ケリーは深々と溜息をついた。



「ああ、良く来てくれた!」
 両手を広げて歓迎の意を示して見せたのは、装飾過剰な衣装に身を包んだ三十代半ばの男だった。大仰な身振り付きで自己紹介を終え、しげしげとケリーを眺めて満足そうに頷く。
「素晴らしいよ。噂通りだ」
 ――なにがだ。
 表面上はほぼ無表情を保ったケリーだが、内心では痛烈な舌打ちを漏らしていた。
 この男、顔立ちも口調も似ているという程は似ていないのだが、芝居がかった言動やら自己陶酔的な雰囲気やらが、どこかしら昔の知人を思い起こさせる。
 ――あまり思い出したくもない相手だ。
 男が手を伸ばしてきたので、ケリーはわずかに眉を顰めて一歩下がった。握手ではなく、顎を捕らえるつもりのように見えたのは気のせいだと思いたい。
 行き場を失った手には頓着せず、男は上機嫌でこう言った。
「私は美しいものを求めていたのだよ。……君は美しい」
 立て続けに並べられる美辞麗句に、ケリーの眉間の皺はだんだん深くなっていく。
 ――この腐った頭を撃ち抜いてやりたいと思ったところで、誰が責められようか。
 こちらに来てから、これほど切実に銃が欲しいと思ったのは始めてだった。銃さえあれば、鳥肌モノの台詞をぺらぺらと垂れ流す口を今すぐ吹き飛ばしてやるのだが。
 銃がないのは男にとって幸いだった。腕の一部のように馴染んでいる銃とは違い、隠し持ったナイフでは反射で斬りつけるとまではいかない。
 双方共に五体満足のまま客間に通され、向かい合ってソファに落ち着いた。
 主人と同様、この部屋も装飾過剰だった。
 統一性のない絵画が壁を埋め尽くし、豪奢に見える家具が必要数以上に置かれている。一言で言えば品がない。
 庶民の目には充分きらきらしく映るのだろうが、高級品を見慣れているケリーにしてみればろくなものではなかった。
 ティーセットを乗せたワゴンを押してきた初老の男を、先代の秘書で相談役だと紹介して、男は手ずからカップにお茶を注いだ。
 特製のハーブティだ、と勧められたそれを一瞥しただけで、ケリーはさっさと用件を促す。
 どんな用であろうと即座に断ると決めていた。
「そう急かさないでくれたまえ」
 男は嘆かわしいとばかりに首を振り、人間余裕が大事だよと再度お茶を勧める。
 ケリーは反応しない。
 無言の圧力に負けたように、男はちょっと肩をすくめて身を乗りだした。
「――君が欲しい」
「断る」
 バッサリと一言の元に切り捨てる。
 ケリーは整った顔立ちをしているが、天使達のように女に見えるというわけではない。そのせいなのか迫力に圧されるのか、男から色めいた誘いを受けることはあまりなかった。
 だが、海賊時代にケリーを望んだ男は多いし、最近では専属雇用の誘いもある。
 今も昔も答えは同じだ。
 相手の反応を待たずに席を立ち、扉に手をかけたところで背後から声がかかった。
「待ちたまえ」
 怒るでも慌てるでもなく、なぜかうっすらと笑みを含んだ声音にケリーは振り向く。
 ワゴンの下段から、相談役が布に包まれた塊を持ち上げ、男に引き渡しているところだった。
「……ひでぇ冗談だ」
 塊は、少女だった。幼女といったほうが正しいかもしれない。四つか五つの、愛らしい子供である。
 意識のない幼子の首筋に鋭く光るナイフを突き付け、男は笑った。
「私が諦めると思うのかい? 君は絶対に高く売れる。この子の命が惜しければ、戻ってお茶を飲みたまえ」
 またしてもお茶を勧める。何か仕込んであるらしい。
「……誰の子だ?」
「さあ? 港で遊んでいた子だよ」
 男は完全に優位を信じ込んでいる。奇妙に歪んだ笑みを貼り付け、猫撫で声で続けた。
「マランタの富豪が君のような少年をご所望なんだ。好みの難しい方だが、君ならきっと気に入ってもらえる。贅沢な生活が出来るよ? 心配しなくとも毒など入っていない。眠っていて欲しいだけだ」
 扉の前に立ったまま一切の動きを止めたケリーを、逃げ出そうとしないという一事でもって迷っているとでも取ったらしい。男は見せつけるように幼女の髪を一房切り落とし、ひらひらとナイフを振って見せた。
「おとなしく眠ってくれれば、この子は家に帰してあげると約束しようじゃないか。――君は大切な商品だから、傷をつけるような真似もしない。安心したまえ」
 沈黙が落ちる。
 薬物で意識を奪われているらしい幼女の寝息だけが響き、しばらくしてようやくケリーが口を開いた。
「俺が、知らない子供のために言いなりになると思うのか」
 平坦な声音を脅威と取るか虚勢と取るか、それは受け取る相手による。
 相談役は目を逸らし、男は笑みを深くした。
「君は盗品売買はしないそうだね。人身売買にも麻薬取引にも手を出さないと聞いたよ。汚れるのを厭う人間には、こういう手段が案外効くものだ。違うかい?」
 ――誤解している。
 ケリーが裏の仕事に手を出さないのは、単に組織のしがらみが面倒だからであり、国王に世話になっているからなのである。自らを犠牲にしても見知らぬ子供を助けねばと思うほど、ケリーは優しくも甘くもない。
 だが、このやり口は少々腹に据えかねた。
 ちらりと相談役に目をやれば、眉間の辺りに嫌悪感がにじんでいる。少なくとも彼は、男のやり方に賛同している訳ではないらしい。
 まあいいだろう、とケリーは思った。
 こちらの薬品にはさほど詳しくないが、人の身体に作用するものである以上、含まれる成分はたいして違わないはずだ。それならば耐性もある。彼らが思うよりずっと短い時間で目覚めることになるはずだ。
 油断してくれればやりやすい。
 ケリーはちょっと肩を竦めて扉を離れ、悠然とした足取りでソファに向かった。ゆったりと腰を下ろしてカップを持ち上げると、清々しい香りが立ち上る。
 タウで痛み止めに使われていた薬の匂いに似ていた。南方の薬草だと聞いたが、おそらくベースはそれだろう。
 これならまず害はないと判断して一息に飲み干し、小さく笑って瞳を閉ざす。
 ――口元に刻まれた微笑の意味を、彼らは知らない。
 ケリーは、ちょっと怒っていたのだ。


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―― ...2008.01.08
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
こっちの世界にはケリーの逆鱗が存在しないから、怒らせるのは難しい。
珍しく続きます。
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