それからウォルは精力的に働いた。
自ら女性を客間へと案内してその場に残し、まずは取り急ぎ飲み物でも持って行くよう女官に指示を出して、それとは別に歓待の支度をするよう女官長に頼み、急ぎケリーを連れて来いとイヴンの元へ命を伝えると、執務室に取って返して急ぎの書類を決済し、宰相に事情を告げて平謝りに謝りつつ残りの仕事を押しつける。
災難だったのはイヴンだろう。
仮にケリーが学校にいなかった場合、見つけ出すにはイヴンが一番適している。それは確かなのだが、息せききって駆けてきた伝令が告げたのは“一大事だ”の一言だけで、“一刻も早くケリーを連れて来い”と言われても、何事が起きたのやらさっぱり訳が分からない。
とにもかくにも馬を引き出し、寄宿学校へ向けて駆けだしたイヴンが目的地に着こうかという頃――客間に戻ってきたウォルは、扉の前で警護兵よろしく仁王立つ従弟と顔を合わせた。
「あれに迎えが来たそうですな?」
「早耳だな、従弟どの」
難しい顔をしたバルロは背後のナシアスと視線を交わし、声を潜める。
「間違いはないのですな?」
「誰も出入りしていない部屋に突然現れたという時点で、間違えようはなかろうな」
ウォルは頷き、それに、と続けた。
「彼女はクーアと名乗っている。御身内なのだろう」
「妃殿下ではないのですね?」
茶器を捧げもってきた女官を呼び止め、私が、と言って一式受け取ってからナシアスが問う。
「リィでもラヴィーどのでもない。大層ご立派なご婦人だ」
婦人に対して使うにはいささか奇妙な形容が正しく相手を表していた事は、入室した三人を立ち上がって迎えた女性を目にした時点で明らかとなった。
ウォルだけでなく、バルロもまた滅多にないほどの偉丈夫である。真っ直ぐに前を見て女性と視線が合う事はほとんどないのだが、これは稀なる例外だ。
規格外の大きさながら女性らしい曲線を描く肉体は良く鍛えられていて、当たり前の女性のように針や鍋を扱うような生活をしていない事は容易に知れる。
コレがアレの身内だというなら、アレの年に似あわぬ強さも得心がいこうというものだ。
国王にも匹敵する長い名前を名乗った女は、あからさまに観察しているバルロの不躾な視線にも怯まなかった。
サヴォア公爵ノラ・バルロ、との紹介を受けてようやく、ここが身分制度のある国らしいとジャスミンは思った。
先に名乗り合った黒髪黒瞳の偉丈夫は公爵の従兄弟だというから、やはりそれなりに地位も身分もある男なのだろう。仕事中だということでろくに話も出来ず客間に置き去りにされたが、多忙な男を恨むつもりは毛頭ない。手の込んだ内装がなかなか目に楽しかった。
ラモナ騎士団長ナシアス・ジャンペール、との紹介は騎士団なるものの実在を示唆していて、やはり共和宇宙とはだいぶ違うとジャスミンは思う。
不躾な視線を送ってくる公爵殿に笑みを返して自ら名乗り、ジャスミンは目を細めて男達を見やった。
――いい男が三人。
紹介を受けて異世界である事を再確認したあげく、出て来た感想がこれである。
タイプは違うがそれぞれに魅力的な、いずれ劣らぬ“いい男”だ。
(――ふむ、これはいい。いい男が三人も揃うとはまた眼福な)
ジャスミンの気分はいきなり急上昇した。
生真面目な息子がこの場にいれば呆れた視線をくれるだろうが、そもそも男というものはいい女を見れば色めき立つ生き物である。いい男を前にした女が喜んで何が悪いのか。
さて問題は、このうち何人が夫に籠絡されているか、である。
これまた息子がこの場にいれば呻いて頭を抱えるだろうが、ケリーがとにかくモテる事はジャスミンにとっては自明の理だった。
女にもモテるが男にもモテる。
これがまた、腹立たしいほどいい男が多い。
男を口説く趣味はないと本人は主張しているが、次から次へと男前を籠絡していく手腕はいっそ見事な程なのだ。
ケリーに誑されているのは誰なのか、まさか全員か――などと思われているとは知る由もなく、バルロは目線を険しくして女を見やった。
「あのくそ生意気な小僧は貴女のご子息か。いったいどういう教育をなされた」
初対面の相手に言うような事ではないが、とりあえず怒らせるような事を言って相手の反応を見るのはバルロが良く使う手段だった。――が、当然ジャスミンには通用しない。そもそも“子息”というのが大間違いである。
「貴方が誰のことを言っているのか分かりかねるのだが、本来こちらの者ではないケリーという名の男の事なら、わたしは彼の妻だ」
これがどれほどの衝撃を聞いた者に与えたかは、突如凍り付いてしまった周囲を見れば自ずと知れよう。
なんといってもジャスミンは、三十絡みに見える立派な成人女性である。少年にしか見えないケリーの妻だなどと言われては、国中の崇敬を集める英雄達だとて思考停止に陥らざるを得ない。
母親でも姉でも従姉でも驚きはしなかっただろうが、妻。
妻とはどういう意味だったか――と思ったのかどうか、ナシアスが恐る恐る問いかけた。
「……妻、というと……その、奥方?」
「こちらでは妻という言葉に他の意味があるのか?」
衝撃の原因が分からないジャスミンは周囲の反応に首を捻っているが、男達に事情を説明するような余裕はなかった。言葉を呑んでまじまじと大迫力の女性を凝視する。
若いツバメを飼う有閑マダムには間違っても見えないし、少年趣味の色ボケにはもっと見えない。
だからまあつまり、薄々感づいていた事柄は恐らく事実なのだ。
心の片隅で納得しながら、バルロは悪足掻きだと自覚しつつ眉間に皺を寄せて言い放った。
「いったいアレのどこがいいのだ」
確かに見目は悪くないがガキではないか、という意味である。
ジャスミンは驚いたように目を瞠ってこう答えた。
「何を言う。私の夫はいい男だぞ。貴方達と張るくらいだ」
素晴らしく堂々とした惚気である。
男達は少年と同列に並べられた訳だが、誰一人文句など口にしなかった。
――当然だ。
これほどの女丈夫にこれほど堂々と惚気られては、もはや黙するより他にない。