英雄の条件 2
Written by Shia Akino
 金銀天使と別れ、宙港へと向かう車の中で、ジェームスは父親がひどく緊張している事に気付いて困惑していた。
 そもそも、この父が他人に手助けを求める事が信じ難い。
 ジェームスは少年らしく、父親が間に合わないと言うなら他の誰でも間に合わないと信じていたので、友人といえどもケリーの手腕には懐疑的だった。
「父さん……ケリーならほんとに間に合うの?」
 後部座席で俯いたままのリジーを気にしながら、ジェームスが問う。
「分からんが、あの船にはショウドライヴと重力波エンジンが積んである。あるいは――」
 言葉尻を濁してダンはハンドルを切った。
 ――不安定なゲートを跳べるかどうかが鍵だ。
 件のゲートは跳躍可能な数値まで安定する事が滅多になく、使い物にならないということで駅も設置されなかった。宙図には載っているが知る者は少ない。
 何故ダンが知っているかというと、出奔後しばらく見習いとして乗り込んでいた船が発見したゲートだからだ。申請作業はダンが行った。安定性が悪いという調査結果が出たのはその船を降りた後だったが、なんとはなしにがっかりしたものだった。
 調査期間中の平均安定度数は七十一。
 そんなものは普通跳べるものではないが、義父の話によればあの人は、百二十万トンの船を完全手動で操作して安定度数五十以下のゲートを跳んだ事さえあるという。
 一歩間違えれば木っ端微塵だが、もとよりダンは同行するつもりでいた。
 母親を失う事に怯えている少女を、一人きりで――ジェームスも行くと言っているが――人外魔境に放り込むわけにもいかないではないか。
 遠く見えてきた宙港に向かって、ダンはアクセルを踏み込んだ。



 事情を説明したり外泊手続きを取ったりしていたせいか、宙港に着いたのはジェームス達の方が遅かった。
 ケリーの船はすでに搭乗口と到着口を連結して乗客を待っており、ジャスミンによる強引な着陸許可要請の結果、一行は宙港職員に睨まれながら五万トン級の中型船に乗り込んだ。
「ようこそ、《パラス・アテナ》へ」
「……パラス・アテナ?」
 船の名を聞いたジェームスは、つい吹き出しそうになって慌てて顔を引き締めた。いまにも倒れそうな女の子が横に居るのに、いくらなんでも不謹慎だ。
 《パラス・アテナ》――クーア財閥総帥の護衛船と同じ名である。
 しかも持ち主がケリー・クーアで、その妻がジャスミン・クーアとくれば、冗談以外のなにものでもない。
 ――冗談でもなんでもないのだが。
 出迎えたジャスミンは少女の肩を抱き、マクスウェル親子を促して船室へと案内した。
 その間、今度はケリーによる強引な発進許可要請がなされている。
「客が着いたらすぐに飛ぶと言ったはずだ。事情は説明しただろうが。今更なにをしてやがる」
「だから! 着陸体勢に入っている艦が一隻あるからちょっと待てと言っているんだ!!」
 怒髪天を衝く勢いで管制官は怒鳴った。
 普通なら簡単に待機を指示して、それで済む。それが何故この男は、鼻歌でも歌いそうな気楽な様子で発進準備を続けているのか。
 タラップが収納され、船の向きが変わる。男は尚も気楽な様子で、避けてやるから安心しろって、とのたまった。
「あんまりうるせぇと勝手に飛ぶぞ」
「――っ! 馬鹿か、貴様!」
 怒りのあまり真っ青になった管制官に哀れみの視線を投げて――それがまた神経を逆撫でしたようだったが――ケリーはようやく手を止めた。
 ケリーだけならいざしらず、ジェームスや少女を乗せて無許可発進は出来ない。そんな事をすればみんなまとめて犯罪者である。
「――よし、艦は一時的に着陸を中断した。発進を許可する」
 憎々しげな管制官の声を背に、《パラス・アテナ》は宇宙へと飛び出した。



 しばし後、ダンとジェームスは二人だけで操縦室へと向かっていた。
 女は女同士だ、任せてくれ――とジャスミンが言うので、任せてきたのだ。
 女同士といえる程ジャスミンが女らしいかというと答えは否なのだが、体格的にも精神的にも安定感のあるジャスミンは、追い詰められて怯えきった女の子には揺るぎない大樹のごとく思えたらしい。船室に着いてからも傍から離そうとせず、現在二人は客室の一つに篭っている。
 ジェームスはといえば、何のために付いて来たのか分からなくなったにも関わらず、まったく意に介していない。
 リジーとリジーの母親が心配だったのは本当だ。
 本当なのだが、ピグマリオン以外の個人船を見られるいい機会だと捕らえたのも本当だった。
 ジェームス自身は己の心境をそこまで明確に認識しているわけではないのだが、興味深げに周囲を見回す目の輝きや、そわそわと落ち着きのない足取りを見れば一目瞭然。一生懸命神妙な顔をしていたが、わくわくしているのが丸分かりだった。
 不謹慎だと言う事も出来るが、致し方ないともいえる。
 ジェームスはまだ十三歳で、記憶にない母親以外に身近な人を亡くした経験がない。
 ダンはちらとジェームスを見下ろし、小さく溜息を吐いた。
 今更ながらに連れてきた事を後悔していた。
「よう、船長」
 操縦室のケリーはのんびりと寛いだ風で、特に操船作業は行っていない。ショウドライヴを使った跳躍は惑星から充分に離れてからでなければならず、まっすぐ進むだけなら感応頭脳に任せられるのだ。
 スクリーンにその感応頭脳の金髪美女姿が映っていない事を確かめて、ダンはケリーに頭を下げた。
「この船の船長はあなたです。――お世話をおかけします」
「なぁに、他ならぬおまえの頼みだ」
 複雑な表情の父親を尻目に、速度表示に目を止めたジェームスは歓声を上げている。
「すごい、早い! 戦闘機くらい出てるよ、父さん」
 小走りで操作卓に駆け寄ると、忙しなくあちこちに目をやった。
「ケリー、これは何?」
「重力波エンジンの稼動状況の表示だ。学校で習わなかったか?」
「実習船と形状が違うんだ。――これは?」
「ショウドライヴの設定パネルだな」
 ジェームスの顔が輝いた。
「この船、本当に重力波エンジンとショウドライヴ、両方積んでるんだ――!」
 感嘆の響きも顕わにそう口にしてケリーの顔を振り仰ぐと、跳躍する時ここで見ててもいい? と勢い込んでねだる。
「ああ、いいぜ」
 ケリーが頷いたのと、ジェームス、とダンが咎めたのとがほぼ同時。父親の声にはっとしたジェームスは恐る恐る振り向き、険しい表情を目にして首をすくめた。
 はしゃいでいる場合ではなかった。それは本当にそうだ。何故今ここに居るのかを忘れていた。
「船室に戻っていなさい」
「はい。……ごめんなさい」
 小さく答えて悄然と操縦室を後にする。
 ジェームスが出て行ったとたん、スクリーンにダイアナが姿を見せた。
「いいの?」
「なにがだ?」
「断ってくださって良かったのに……」
 ダンは険しい表情を崩さずに溜息を吐く。
 ――むしろ断って欲しかった。
 想定通りなら、無茶な跳躍をする事になるはずなのだ。
 この人ならやり遂げるかもしれないが、非常識なそんな場面を見せたくはないし、見られたら困るのではあるまいか。
 ――何者だ、とか問われても答えられない気がすごくする。
「可愛い孫の頼みですものね……」
 ちょっと呆れたような、揶揄うような調子でダイアナがケリーに笑いかけた。
 普通の感応頭脳には決して出来ない複雑な感情を乗せた声音を耳にして、せめてダイアナがジェームスの前に現れずにいてくれた事に感謝しようと、ダンは思った。



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―― ...2009.01.09
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
 ジェームスがケリーに気安いのは、『家族の休日』で打ち解けてからだからってことでひとつ。

  元拍手おまけSS↓

「ケリー・クーアとはね! ふざけた名前だ」
 発信許可を出して通信を終えた管制官は、聞こえないのを承知で憎らしげに吐き出した。
「名付けの是非は親に問うべきだろうが……まあ、ご苦労さん」
 管制室全体を監督する主任管制官は苦笑しつつそれに答え、管制画面に目をやって大気圏離脱の最短航路を綺麗に辿っていく光点を眺める。
(ケリー・クーア、か……)
 名前のせいではあるのだろうが、それにしてもあの声、あの口調――似ているような気がする。
 四十五年前、まだ学生だった時分に一時期、彼は青色星雲駅《ブルー・ネビュラ・ステーション》で研修授業を受けていたのだ。
 期間中にケリー・クーアとクーア・キングダムが引き起こした驚天動地の大騒動は、管制官を目指す一学生には雲の上の出来事だった。悲鳴やら怒号やらが頭上を飛び交う中、ただひたすらおろおろしていたものだ。
「あれの女房、ジャスミン・クーアって言うんだぜ」
 数十分前の強引な着陸許可要請にすったもんだを繰り広げ、散々な目に遭った担当管制官が口を出した。
「マジかよ!?」
「うっわー……なに考えてんだ?」
「俺が“ケリー・クーア”って名前だったら、“ジャスミン”って女とは絶対結婚しねぇな」
 口々に勝手な事を言う。
「ほらおまえら、仕事に集中しろ」
 言い聞かせつつ、主任はもう一度管制画面に目をやった。件の船はすでに管制宙域を抜け出して加速を始めている。
 ――早い。
 非常識とまではいえない速度だったので感心するくらいで済んだが、主任はやっぱりあの時のクーア・キングダムを思い出した。
 巡航速度に加速した百二十万トンの船を手動で操作して、クーア財閥副総帥だったケリー・クーアは安定度数四十七のゲートをあっさり跳んで見せたのだ。
 “あの操縦者、化け物だ!” そう叫んだ教育係の悲鳴はしっかり耳に焼き付いているが――今も昔も、やっぱり夢だとしか思えないのだった。
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