英雄の条件 4
Written by Shia Akino
めまぐるしく変わる表示の全てを瞬時に読み解く技術をしっかり持っていたマクスウェル船長は、ケリーが何をしようとしているかを正確に理解した上で蒼褪めていた。
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ケリーは減速に必要な作業をいっさいしていなかったし、する様子もない。今からでは、跳躍に安全な速度まで落とす事は事実上不可能だった。 それでいながら、ゲートキャッチャーは作動している。重力波エンジンもスタンバイ済み。逆進エンジンも舵も操縦者の任意になっていて、つまりは完全手動の状態だ。 ゲートは見つけ難く扱い難い代物で、普通の探知機には映らない。ゲートキャッチャーの有効範囲は狭く、連動して安定状況を示す検知機も通常使用では同程度――この速度では二十秒とかからずに有効範囲を通り過ぎてしまう。ゲート自体に至っては一瞬としかいいようがない。 駅《ステーション》完備の時代には駅の管制からゲートの状態がリアルタイムで発信されていたが、当然今はそれもないのだ。 ダンはゲート航法の最後の世代である。独立して持った自分の船は自由跳躍型だったが、見習い時代にはゲートの方を多く跳んだ。安定度数が九十以下でも、検知機の表示を丹念に解析して、跳躍可能域の波動を示した瞬間に上手く船体を乗せてやれば跳べない事もないと知っている。 それを、十数秒の間にやろうというのだ。 最高速度を保ったままで。 ――無茶苦茶だ。 仮に跳躍可能な波にうまく船体を合わせる事が出来たとしても、コンマ以下で通過する一点をいったいどうやって捕らえるというのか。通常推進機関から重力波エンジンへの切り替えは、そう短時間にできるものでも素早く行えるものでもない。 ダンは固く拳を握り、叫び出したい衝動に必死で耐えていた。ジェームスに黙るよう言い渡し、何一つ見逃すまいと尚も計器を凝視する。 ケリーの礼は聞こえていなかった。 宙図の記載と重なる地点に、ゲートキャッチャーが実際のゲートを捕らえる。 安定度数は六十二。 検知機が示す波動に、跳躍可能域を見つける方が難しい数値だ。 ――祈りの言葉すら、浮かばなかった。 一方ジェームスは、不機嫌な面持ちを隠さずにちょっと父親をねめつけて、ゆっくりと目線を計器に戻している。 間違った事は言っていないはずなのだ。どうして叱られなくてはならないのか――ゲートを使うと聞いたのに、そのつもりがないとしか思えなかった。 確かに間違ってはいないのだ――普通なら。 「――え?」 自分の見たものが信じられず、ジェームスは眉を寄せて瞬いた。 「え、あれ?」 ジェームスが視線を戻したとき、ゲートキャッチャーはすでにゲートを捕らえていた。 どうにか確認できた安定度数は、六十二。 それ以上を読み取る前に、進行方向にあったゲートは後方に遠ざかり――現在地を示す表示は、ブラウニーのある宙域のものになっている。 「そんな……」 一気に血の気が引いた。 有り得ない。 いくらなんでも、そんな馬鹿な事はあるはずがない。 安定度数六十二のゲートを、最高速度を保ったまま跳躍しただなんて。 「うそだ――」 唇を震わせてジェームスは呟いた。 きっと見間違いだ。数値を読み間違えたんだ。きっとそうだ――一生懸命自分に言い聞かせたが、そもそも減速していない。そこからして有り得ない。 だいたい、減速なしのゲート・インを普通の感応頭脳が承認するはずはないのだ。 だが、模擬操縦以外で重力波エンジンに触れたことがないジェームスは、そもそも船がおかしいというところまでは考えが至っていなかった。 殺人機械としても名高いクレイジー・ダイアンの中にいると気付かなかったのは、せめてもの幸運だったのかもしれない。 茫然自失のジェームスとは逆に、跳躍を無事終えた事でダンは一息ついている。 「大丈夫か、ジェームス」 あまり大丈夫には見えない息子に声をかけた。 恐怖に引き攣ったジェームスの反応は、船乗りの卵としては至極まっとうなものである。ある程度予測していたダンでさえ、未だに無事である事を信じ難いと思う。 安定度数六十二――これは普通、通航止めだ。普通もなにも、常識的に考えれば完全閉鎖と変わりない。技量で何とかなるレベルを超えている。 それをこの人は、最高速度を保ったままあっさり跳んで見せたのだ。この分では、伝説と化している海賊王の噂話の大半が事実でもおかしくない。少なくとも義父の話は掛け値なしの事実だろう。さすがだというよりは、むしろ恐ろしい話である。 「ジェームス、部屋で少し休みなさい」 声も出ない様子のジェームスは、どうやら何も聞こえていない。操縦席から振り向いたケリーと目が合った途端、びくりと身を震わせた。 「ジェームス」 少し強めに名を呼んで、ダンは副操縦席から立ち上がった。震えている息子の肩に手を置けば、怯えきった瞳が弾かれたようにダンを振り仰ぐ。 やはり、同席させるべきではなかった。 汗ばんだ額を拭ってやり、部屋で少し休みなさい、と繰り返す。 この人達のとんでもなさを、ダンはそれでも少しは知っていたが、ジェームスが目の当たりにしたのはこれが初めてだったのだ。 ようやくふふらふらと立ち上がったジェームスは、最後にちらとケリーを見やって逃げるように出て行った。 その視線の、化け物を見るような目つきが気になって、ダンは僅かに眉を寄せる。 ――気持ちは、分かるけれども。 分かるけれども、この人は、幼い頃に思い描いた宇宙(そら)の英雄そのままだった。 ジェームスの態度に苦笑を浮かべ、困ったようにこめかみを掻いているその人は、憧れ続けた海賊王で――そして自分の、父だった。 誇らしい気持ちがないと言えば嘘になる。 わだかまりはきっと、解けないけれど。 「ありがとう、ございました。…………お父さん」 ケリーは少し目を見開いてから、口の端で笑った。 「礼は間に合ってから言ってくれ」 おまえも休め、と言うのに無言で頭を下げて、ダンは千々に乱れる想いを抱えたまま操縦室を後にした。 ブラウニーに到着したのは、大学での通話を終えてから丸一日と少し後――有り得ない速さにリジーの父親は愕然とした風だったが、しっかりと娘の肩を抱いて深くダンに頭を下げた。 これが最後と思い定めて会うことが、僅かなりとも救いになる事は確かにある。 いなくなってからではもう遅い。 肉親の最期を看取る事が必ずしも良い事だとはいえないが、それでも――。 なんとか間に合った事を良かったと、ダンはそう思ったのだった。
本文はシリアスですが叫ばせてください……。
よっしゃあ、“お父さん”と呼ばせたぜ! 今回のダンは不憫じゃないぞ!(笑) あれとかこれとかは捏造です。ご了承ください。 しっかし……ケリー目立たないなぁ。何故だ? 元拍手おまけSS↓ 宙港に降り立ったリジーは、ずっと傍に居てくれた赤い髪の大きな人をきつく抱きしめて、別れの言葉に代えた。 口を開くと泣き出してしまいそうだったのだ。 ホットチョコレートを入れてくれただけで、無理に食べろとも寝ろとも言わず、彼女は長い時間沈黙に付き合ってくれた。目が合えば笑ってくれて、泣きそうな時には背を撫でてくれて、まどろんだのはその広い胸の中だった。 おかげでずいぶん落ち着いた。 ブラウニーに帰ってきたのは母親の最期を看取るためだと、今のリジーは理解している。 最期に一目でも会うために、帰って来たのだ。 後に何度思い返しても、あの人と過ごした静かな時間がどれくらいあったのか、リジーにはどうしても分からない。 寡夫となった父親によれば、到着までは一日と少し――だが、もっと長かったような気も、短かったような気もした。 実のところ、顔も名前もうろ覚えだけれど。 小さな船室に二人きりで過ごした静かな時間と、優しい青灰色の瞳を、リジーはずっと忘れなかった。 文章、画像の無断転載、転用、複写禁止
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