訳の分からない会話を繰り広げていた天使たち三人は、結局結論を本人に丸投げし、その本人は肩をすくめて「ご想像にお任せするよ」と答えを投げた。
恐ろしすぎて想像する気にもなれないイヴンだったが、ウォルは別の意味で想像をたくましくしたらしい。じっくりと青年の姿を眺め、頷いた。
「いくつであろうといい男なのだろうな、ケリーどのは」
途端ケリーが吹き出して、さすが王様、と忍び笑う。
「変わってなくて嬉しいぜ」
そもそも、己の妻が男だろうと子供だろうと狼だろうと気にしない男だ。客人の年齢が十代だろうと八十代だろうと気にならないのも道理で、ならば聞くなとイヴンは言いたい。
聞かないでくれ、頼むから。
なんだか前に耳にしたことがあるような気のする“女房”の話とか、聞いたら後悔しそうな事がいくつもあるのだそういえば。くそ生意気なガキだったこの色男には。
別段イヴンの祈りが通じたわけでもなかろうが、心臓に悪い話題がそれ以上出ることはなかった。
代わりに、もっと心臓に悪い場面を目にする破目になったイヴンは、この場に居合わせた不運を盛大に呪う事となる。
「俺の顔に何かついてるか?」
首を傾げたケリーに、ゆるりと否定の仕草を見せたのは黒い天使。
「ううん。抱きついてもいい、キング?」
たとえ夫婦であっても人前で言うことではない。もちろん共和宇宙であっても衆目の面前で熱烈な抱擁だの口付けだのは非常識だが、こちらではそれ以上に論外である。女性は極力肌を見せないような世界でもって、いったい何をしようというのか。
――男同士だが。
白くたおやかな腕が丸椅子に腰掛けた男の首に回され、肩口に顔を伏せたルウがため息のような声で囁く。
「会いたかった……貴方が怪我して消えたって聞いた時、心臓止まるかと思ったんだ」
「止まってもすぐ動くけどな?」
「そういうこと言わないでよ!」
憤然と言い返したルウはちょっと涙声になっている。悪い悪い、と笑って、ケリーはルウを抱き返してやった。膝の上に座らせて背をなでてやるなど、相手がただの男なら死んだってごめんだが。
「俺も会いたかったぜ、天使。おまえ達の事を考えない日は一日だってなかった」
「ああキング、待たせてごめんね――」
ますますしっかりと抱きつくルウは、少なくとも今は男のはずなのだが、そもそもの中性的な容貌に相手の平均以上の体格があいまって、恐ろしい事に女にも見える。
つまり、非常に親密な男女の熱烈抱擁シーン(にしか見えない場面)が出来上がってしまったわけだ。
更に言うなら、抱きつかれている男というのが、女好きのしそうな精悍な容貌に野性味を帯びた色気をまとう、見目麗しい青年である。
対して抱きついている方はといえば、きめ細かな白い肌に練り絹のごとき黒髪、神秘的な雰囲気の美人である。
男だろうと美人は美人だ。
ジャスミンがこの場にいれば目の保養だとでも言ったかもしれないが、あいにくイヴンはこんな場面を喜んで鑑賞するほど酔狂な趣味は持ち合わせていなかった。大きく顔を引きつらせ、じりじりとリィににじり寄って声を落とす。
「なあおい、リィ。ありゃあ一体――なんだ?」
「なんだってなにが」
「あいつら、そういう関係だったのか?」
「そういうってどういう?」
「だから、そういうだよ」
卓上のご馳走を片付けにかかっていた王妃様は、傍目には恋人同士な友人と相棒をちらと見やって肩をすくめた。
「知らない」
「知らないじゃねぇだろう、おまえの間男が浮気してるんだぞ!?」
間男が浮気――なにやらおかしな響きである。
「間男って、浮気相手って意味じゃなかったか?」
「そういうことを言ってるんじゃなくてだな!」
わめくイヴンが何を言っているかくらいリィにも分かるのだが、いかんせんリィの目に映る二人の様子は、ぐずる幼子とあやす父親なのである。騒ぐ気にもなれない。
なにより、どういう関係かなどと改めて問い質した事は一度もないから、なんとも答えようがなかった。
「別にどういう関係だっていいじゃないか。気にするな」
仮に恋仲だったとしても、咎め立てるようなことではないとリィは思っている。ケリーの妻であるジャスミンは、そんな事で傷ついたり泣いたりするような人ではないのだ。
「気にするなって、あれをか? おまえ一体どういう神経してやがるんだ」
「どうもこうも、ルーファのケリー好きは今に始まったことじゃないからな」
妖しげな雰囲気を醸し出す二人にはもはや一瞥もくれず、手羽元の香草焼きに手を伸ばしながら真面目に忠告してやる。
「いちいち気にしてたら身が持たないぞ」
手羽元が手羽元になる前の鶏の羽根よりも軽く言って、香ばしい肉にかぶりつく。
本当にまるで気にしていないというのがありありと分かるリィの態度に、イヴンはがくりと肩を落とした。いや少しは気にしてくれ、と言いかけて言葉を飲み込む。
曲がりなりにもリィは国王の妻である。実態がどうであろうと、名目上は王妃なのだ。その王妃が親しくしている男性が、他の男性と恋仲だったとしてそれがなんなのか。
王妃が浮気していないという事であるならば、国民としては喜ぶべきなのか。
「……なのか?」
呻いたイヴンはまたしても頭を抱える破目になり、この場に居合わせた不運を盛大に呪った。
ウォルは困っていた。
何にって、目のやり場にだ。
ケリーを探すのに熱心だったのはリィの方なのだが、どちらかというと淡白だったルウの“ケリー熱烈大好き”っぷりは、もはやこちらが赤面するほどである。
「…………いつもこうなのか?」
一通り給仕を終えてようやく腰を下ろしたシェラにそっと聞いてみる。
「いつも、というわけではありませんが……」
苦笑したシェラはちらと二人に目をやり、礼儀正しく視線をはずして青菜のキッシュを取り分けた。
「お二人はリィが生まれる前からのお付き合いですから」
「そうは言うがな……」
「親しくお付き合いを始めたのは、ルウが八つの頃からだそうですよ」
そう言ったシェラに他意はなかった。
誓って言うが、他意はなかったのだ。
しかしウォルは人間だった。王妃になんと言われようと一応生粋の人間で、人間の形をしているモノは人間を基準として考える習性はウォルにもあった。
いくらケリーが見た目と違う年齢であり、ルウが人間とは大きくかけ離れた存在であると分かっていても、反射的な思考ばかりはどうしようもない。
そして、目の前にいるのは二十代に見える男女(らしきもの)である。
片方が八つならもう片方はそれより少し大きいくらいで、八つといえばまだまだ子供で、普通は小さいものなのだ。
幼い少年と幼い少女の淡い恋、などという代物が頭をかすめて、ウォルは小さく首を振った。
いや有り得ない。絶対に有り得ないが――微笑ましいではないか。
ここで微笑ましいとか思ってしまえるあたりが、リィの夫たる所以である。
この二人の幼い姿ならざぞかし可愛かろうと、そんな事を考えているとイヴンが知ったら、今度こそ愛想を尽かされるかもしれなかった。
狼と結婚した国王は、酔狂な趣味の持ち合わせで言えば、ジャスミンにも負けていないのだ。