再会の宴 11
Written by Shia Akino
 その日、コーラル城はこの時期には珍しいほどぽかぽかと暖かな陽気に包まれた。雲ひとつない青空が頭上を覆い、城を囲むパキラ山の暗い緑さえも、春先のように明るんでいる。
 そんな中、鬱々と暗い顔つきでいるのが、いまだ王妃の姿のままのリィだった。眩く光る黄金の髪は丁寧にくしけずられ、きめ細かな白い肌は丹念に磨き上げられて、輝くばかりの美貌を損なうものは何ひとつない。
「釈然としない……なんでおれが女装……」
 肌着姿のままのリィは、お預けをくらった狼のごとく恨めしげな目付きで、二度と着るはずのなかった式典用ドレスを睨め付けている。狼がお預けをくらうかどうかはともかく。
「ぼくも悪かったって思ってる。余計なこと言ったよね……」
 肌着姿の王妃の前に男がいても、非難の声が上がらないのはデルフィニアならではだ。神妙に頭を下げたルウが取って付けたように明るく笑った。
「でもさ、君はいま女の子なんだから、女装じゃないよ」
 なんの慰めにもなっていない。

「元の身体には戻してくれるんだろうな、天使」
 発端はケリーのそんな台詞だった。

「えー、やだよもったいない」
 ルウは不満そうに口を尖らせ、熱心に訴えた。
「それくらいの頃って、ジャスミンも知らないんでしょう? せっかくだから見せようよ」
「は! 冗談キツイぜ」
 鼻で笑ったケリーはいま、どうしたって若造に分類される外見である。せっかくだからといって見せたいものではまったくない。
「何言われるか分かったもんじゃねぇだろうが」
 まさか羨んだりはしないだろうが、本当に何を言われるか分かったものではない。
「あなたは前からいい男だったけど、今だってすっごくいい男だから大丈夫! 全然問題ない!」
 こぶしを握って力説するルウだったが、あいにくケリーは問題がないとはさっぱり思えなかった。
 この姿のまま帰ったとして、懐かしい姿を見たダイアナが昔の記録を引っ張り出して来たりしたら、一体どうしてくれるのだ。
 ケリーにだって、若気の至りな逸話くらい存在する。機械のくせに噂話の好きな彼女が、興に乗ってあれやこれや披露し始めたりしたら、本当にどうしてくれるのだ。
 ――と、いうか。
「おまえ、酔ってるな?」
「えー、そんなことないよぅ」
 そう言うヤツは大概酔っている。
 卓上の料理はあらかた片付いて、酒瓶もいくつか転がっていた。
 再会を祝う酒は極上の美酒となり、多少過ごしたとしても致し方ないのかもしれないが、それにしてもルウの思いつきはろくなものではなかった。
 酔っ払いの思いつきは大概ろくでもない。
「そうだ! ねえキング、どうせだからもう一度小さくなってみない?」
 急に眼を輝かせて手を叩いたルウは、そのまま胸の前で両手を組むと、ぐぐっと身を乗り出した。
「だってずるいよ、王様達ばっかり。ぼくだって小さいキングを見てみたい!」
「おれも見たいな」
 最後の肉に手を伸ばしながらすかさずリィが口を出し、わたしも見てみたいです、とシェラが控えめに(けれどしっかり)意見を述べる。
「ねー、見たいよねー」
「おまえら……」
 ケリーは深々と嘆息した。
「勘弁しろよ……あの格好のせいで俺がどんな目に遭ったと思ってるんだ」
「どんな目に遭ったの?」
「坊主だのガキだの坊ちゃんだの――あげく坊やだの呼ばれたんだぞ?」
「――っ!」
 反応は劇的だった。
 ルウは勢い良く机に突っ伏し――ゴン、となかなかいい音がした――リィは肉をのどに詰まらせて大きく咳き込む。
「キ、キ、キングがぼうや……っ!!」
 机に額をつけたままルウがうめき、ひくひくと痙攣した。それを気遣おうという努力もむなしく、シェラは溺れかけた者のように机の縁にしがみついている。
 あまりにも衝撃的な呼称だった。
 何をどうしようとも、まかり間違ってもトチ狂っても坊やにはなりえない男である。多少小さかろうと中身がこの魂なら、それはもう絶対に坊やではありえない。
 本来のケリーを知っている身では無理もないが、百万の軍勢を前にしてもびくともしないであろう天使たちが、一言で瀕死の態に陥っていた。三人にとっては坊やなケリーなど完全に想像の埒外である。ありえなさ過ぎてどうにもこうにも。見たいではないか。

 それが、再会を果たしたその夜の事だった。

 あの時ルーファが小さいキングを見たいなどと言い出さなければ――とは、リィは言わなかった。
 見たいと言ったのは自分も同じだし、散々苦労させられたんだから殴らせろ、という話が、殴る代わりに落ちてきた当時の小さい姿を見せろ、になって、見せてやるから代わりに女装しろ、という話になったのは間違いなく自分のせいだからだ。
 再会を果たしてから三日が経っている。
 とにかく早く帰ろうと主張するリィに、いまさら二、三日延びたところで大して変わらないと言ったのは、探されていた当の本人だった。
 こっちは散々待ったんだから向こうも少し待たせとけ、などと言われたリィが、どこでどう待ったんだ言ってみろ、と言い返し、殴らせろの冗談じゃないのと再度盛大にやりあった挙句のこのザマだ。
 ドレスを着て一曲踊れという。
 売り言葉に買い言葉の勢いで了承した記憶はあるものの、なぜあそこで頷いてしまったのか――いま思うと自分が不思議ではある。
「キングに口で勝つのは無理だよ、エディ」
 ルウが諦めたように首を振った。
 なにしろケリーは、共和宇宙経済の頂点とも言われるクーア財閥総帥を三十五年も務めた人なのだ。交渉の形に話を持っていかれた時点でリィの負けである。
「まだまだ勉強不足だな、おれも」
 諦めの溜息を吐いて、リィはドレスに袖を通した。



 帰郷の延長を誰より喜んだのは国王である。
 もう会えないなどとは欠片も信じていない国王だったが、せめて近しい者達とは別れを惜しんで行って欲しいとも思う。
 次に会う機会が巡ってきた時、会えない者もいるかもしれない。それがたとえ十日後だって、何があるかは誰にも分からないのだ。
 別れはいつだって永久の別れを孕んでいる。
 そんな思いを知ってか知らずか、いまさら二、三日延びたところで大して変わらない、とケリーは言った。
 ドレスを着て一曲踊るとの約定をリィから取り付けるに至っては、もはや神業の域である。
 我に返って蒼褪めるリィは見物だった――と、ウォルは思い出し笑いを噛み殺した。
 口にしたことは必ず守る人だから、見苦しく騒ぎ立てはしなかったが、狼狽する王妃などそう滅多に見られるものではない。
 おかげで、ささやかながら送別会を開く事が出来た。
 いつもの茶会よりは大掛かりな、酒宴に比べれば格式ばった、夜会というには小規模な国王主催のその宴は、社交界デビュー前の子供たちも交え、本来裏方のカリンやシェラも参加している。
 幼い兄妹が見よう見真似でダンスを披露するなど、常の夜会では有り得ない微笑ましい雰囲気の宴である。
「……なあケリー。殴っていいか?」
 微笑ましい雰囲気をぶち壊す剣呑な空気をまとった王妃は、ケリーと顔を合わせるなり物騒にうなって拳を握った。豪奢な衣装が台無しになりそうな険しい顔つきだが、大半がポーズだ。もうだいたい諦めている。
 ケリーは大げさに目を見張り、おどけた仕草で肩をすくめて見せた。
「そりゃあ約束不履行ってもんだ。小さくなってやっただろうが」
「じゃあなんでおれはこんな格好してるんだ?」
「小さい俺を見たからじゃねぇか?」
 わざとらしくにっこり笑うケリーは、今は元々の姿に戻っている。
 二十代が三十代でも、それくらいになってしまえば実のところそんなに変わらないものだ。性別が同じという事もあり、長期間会っていなかった事も手伝って、周囲の混乱はほんのわずかで済んだ。
「約束通り一曲踊ってもらうからな」
 楽しげなケリーの機嫌は、この日の天気よりも上々。鼻歌でも歌いそうな様子である。
「ガラじゃないからイヤだとか言ってただろうがよ」
 呆れ気味のイヴンは黒尽くめの正装。ケリーもルウも他の面々もみなきちんと着飾っており、もちろん背景は王宮内の煌びやかな内装である。それだけ見れば上流階級の社交場そのものなのだが、交わされる会話に難がありすぎた。
「金色狼が女の格好してるところなんざ、滅多に拝めねぇだろう。踊るとなったらなおさらだ。こんな機会を逃せるか」
 鼻で笑って片頬を上げた男ときたら、上質な衣装と姿の良さに反するぞんざいな口調が、うるさ型の奥方などからすれば噴飯ものだろう。あまりにもあんまりだ。
 この場の誰一人として気にする者などいなかったが。
「ジャスミンに自慢する気だ絶対……」
 ルウが言って、リィは頭を抱える。
「仲良くていいよね」
「…………全然良くない」
 げっそりと肩を落とした王妃だった。



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―― ...2010.03.13
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
人生経験の分、リィよりもケリーの方が一枚上手だと信じてる。

  元拍手おまけSS↓

「ドレス姿のリィと踊っただと!?」
「いやもう、振るいつきたくなるような美女ぶりでな……」
「おまえばかりなんだ、抜け駆けじゃないか!」
 ジャスミンの言い分にケリーは思わず吹き出す。
「なにがだよ。大体あいつは女の姿だったんだぜ? あんただって女だろうが」
「関係あるか! 軍では男同士だって踊るんだ」
「……はあ?」
「宴会となるととことん騒いでとことん酔う。酔っ払えば男同士で手を取り合って踊るなど珍しくもない。そもそも女の絶対数が少ないからな」
「…………。あんまり見たくない光景だな……」
「そうとも。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。女同士がなんだ。ドレス姿のリィなら美しいに決まっている!」
「そりゃこの上なく綺麗だったがそういう問題じゃなくてだな――」
「気になるなら私が男装してやる。慣れたもんだ、任せろ」
 自信たっぷりに請け負ったジャスミンは、そのままの勢いで通信機に向かった。

 この後、勢いに押し切られたリィがまたしても女装する破目になったかどうかはご想像におまかせする。
 ただし、ジャスミンが女性でエディがいま男の子なんだからそのまま踊ればいいでしょうと、ルウが必死で主張した事だけは彼の名誉のために記しておく。
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