リィとケリーは互いに手を握り腰を抱いて、形ばかりはにこやかに軽やかなステップを踏んでいた。
堅苦しい常の夜会にはまず出て来ないタウの面々や、ケリーの元同級生達などは、動くのも忘れて二人の様子に目を奪われている。
無理もなかった。
それほどに美しい光景なのである。
たくましい胸元に華奢な身体を抱え込んだ男は精悍な顔立ちを優しくほころばせ、滑らかな足取りで年若い王妃をリードしている。
白皙の美貌を黄金の髪で縁取った王妃は艶やかな微笑を崩さず、重さを感じさせない軽やかなステップを踏んでいる。
衣擦れの音と共にドレスの裾がひるがえり、優美な弧を描いた。
傍目には完璧な美男美女カップルである。
……傍目には。
ごく一部の慣れた者には、リィの剣呑な様子と、それを面白がっているケリーの様子を読み取る事が可能だった。
微笑を崩さないリィの瞳は、実はまったく笑っていない。
優しく微笑むケリーの口元は、吹き出すのを堪えるように微妙な具合に歪んでいる。
ある意味恐ろしい光景でもあるのだが、盛装した二人の華やかな美貌は、そこにだけ光があたっているかのようであるのも確かだった。
実体を知っている者ですら溜息を禁じえない、美麗な一対である。
「しまった……ぼくも女の子の格好で来ればよかった」
別の意味で溜息をついて、ルウが唇を噛んだ。
「エディずるい……ぼくもキングと踊りたい……」
ぶつぶつとぼやく。
それを聞きつけた国王は、吹き出しそうになって口を押さえた。
その台詞を口にしたのが普通の男で、聞いていたのが常識的な人間であれば、恐ろしく奇妙な目で“男と踊りたい”などと言い出した男を見やったに違いない。
ウォルはこの人物が自在に姿を変えられる事を知っていたので、こっそりとこう囁いた。
「今からでも着替えてきてはどうだ? ドレスなら用意させよう」
ルウはちょっと目を瞠り、ありがとう、と微笑んでから首を振る。
「でも、そうもいかないよ。男がいきなり女になったらみんな驚く」
「それは驚くだろうが……構わんのではないか? 俺は構わんぞ」
さすがは王様である。普通こうは言えない。他の面々が聞けば、大いに構うと憤慨するに決まっている。
ルウは苦笑を浮かべてなおも首を振った。
「王様はそうだろうけど、奥さんは目を回しちゃうよ。たいていの人には性転換って受け入れがたいらしいから。経験済み」
そう言いながらも、ルウの目はリィとケリーを追い続けている。
「最初から女で来れば良かった……男のルウの妹とでも言えば良かったんだ……」
埒もない繰言である。もう今更どうしようもないのだが、ルウは本気で悔やんでいた。
なにしろ相手はあのケリーだ。好き好んでパーティに出席するような人ではない。総帥職を退いてしまった今では、正装する機会などほとんどないといっていい。
なおかつそこにルウがいて、踊る機会などもっとない。
もったいない。
大体が着飾らなくたって華やかな人だ。華やかに着飾ったケリーときたら、その辺の小娘なら腰砕け必至である。流し目のひとつでもくれてやれば確実に落ちる。軒並み陥落である。
それに、だ。
あちらでは男性の正装は案外地味なのだ。手の込んだ刺繍にしろ剣帯などの装飾品にしろ、こちらの方が格段に華やかなのである。下手をすれば仮装と言われかねないこんな格好、向こうでもしてくれるとは思えない。
もちろんキングはいつだっていい男だけど! とルウは内心で拳を握った。
「でもずるいよ、エディ……」
好きで踊っているわけではないリィが聞いたら、激怒しそうな呟きである。
「ふむ……では、こういうのはどうだ?」
声を落とした国王が、似合わない企み顔でにやりと笑った。
宴もたけなわの会場を、国王と間男は揃ってこっそり抜け出していた。
ルウはともかく、国王という目立つ大男が姿を消したのに誰も注意を払っていないあたり、さすがというかなんというか。
間諜の真似事が出来る国王というのもどうなのだろう――と、途中で拉致されてルウの準備を手伝ったシェラは、内心の溜息を押し隠しつつ会場に戻った。もちろんこっそり。
謀は密なるをもって善しとす。
それは分かるが、国王自ら衣裳部屋に乗り込むのはどうかと思う。
過去の王后や王女の衣装を保管してある部屋に二人を案内したのはシェラなのだが、立派な体躯の壮年の男が女物のドレスを引っ掻き回す姿は、とても見られたものではなかった。
――どうせなら似合うものを着せたいと、余計に引っ掻き回したのはシェラかもしれないが。
挙句、至高の地位にある国王その人が、女性に変化したルウの着替えを手伝うという。
「陛下!? 本気ですか!」
「手はあった方が良いだろう?」
あちらの衣服と違って、こちらのこういった衣装は着るのに手間がかかる。それは確かだ。
確かだが。
確かではあるのだが!
頭痛を覚えたシェラが額に手をやって呻くのをよそに、ルウはくすりと笑いを漏らした。
「そうね、手伝ってくれると嬉しい」
そう言って、さっさと着ていた服を脱ぎにかかる。
「ルウ!」
慌てたシェラはその姿態を男の目から隠そうとした。自分も一応は男だということを、すっかり忘れ去った行動である。
「いいのよ、シェラ。王様はあたしを襲ったりしないわ」
「もちろんだとも」
ウォルは即座に頷いた。
「リィと同じだ。女には見えん」
普通の女性相手には間違っても言ってはならない台詞である。
匂やかな首筋、膨らんだ胸元、滑らかな曲線を描く腰と太もも――誰が見ても魅力的だというに違いない女性の裸体を一瞥して、ウォルは首を傾げた。
「――というか、人にも見えんな」
正しいわ、と笑ったルウはもちろん傍目には完璧な女性なわけである。それも極上の美女なのだ。
あんなものを目の前に置いて顔色一つ変えないだなんて、さすがは化け物屋敷の親玉というべきか。
出会った頃の諦観の念が思い出されて、シェラは苦笑を浮かべつつ溜息をついた。
国王が新たな客人を伴って会場に戻ったのは、その直後の事である。
「ケリー。きみ、なんか……老けてない?」
ケリーの元同級生達が、互いに顔を見合わせてから眉を寄せて一言。そんな一幕があった。
宴は盛況。
そして無礼講。
ケリー爆笑。
「いやだって、とても同年代には見えないよ。落ち着いちゃってさ」
「……おなか抱えて笑ってるけど……あれ、落ち着いてるって言うの?」
「同年代とは思えないのなんか昔からだよ。落ち着いてるかどうかはともかく」
「旅先で苦労したんじゃないの? 老けちゃうような、さ」
「ケリーが? ないない!」
好き勝手に喋る元ひよこ集団をよそに、なおも笑うケリー。
放し飼いのひよこは野生化して、きちんと成鳥になったらしい。変わり者の国王にはちょうど良さそうな遠慮のなさだ。
元に戻したケリーの肉体年齢からすると、彼らと同年代とはちょっと言えない。老けて見えるのも致し方ないのだが、年頃でもある青年達は違う解釈をしたらしい。
男が落ち着いて、一気に大人びたりする理由のひとつ――。
「まさかとは思うけど……結婚した?」
「まさかってなんだ。俺が結婚してちゃおかしいか?」
真顔で答えられて、青年たちは驚愕した。
「――してるの!?」
「まさか!」
「嘘だろう!?」
両手に余る数の恋人がいたって驚かないが、一人の女と結婚。
誰よりも自由で、なにものにも縛られない人だったケリーが結婚。
なにやら深く衝撃を受けているらしい元ひよこ達だったが、毛色の変わった一羽が叫んだ。
「ケリーみたいな神経の配線おかしい人と結婚するだなんて、どれだけ物好き!?」
「……たいそうな言われようだなオイ」
なんだか懐かしいフレーズが含まれていた気がするが、神経の配線がおかしいのはむしろ女王の方だろう、とケリーは思っている。配線云々以前に神経がおかしい。ワイヤロープ製の神経なんぞ、そんじょそこらに転がっているものではない。
「どっちかってぇと、あの女の亭主やってる俺の方が物好きなんじゃないのかね?」
首をひねると、変わった毛色の元ひよこは大きく目を見開いた。
「え、奥さんも変態なんだ!?」
これはもう、爆笑するより他にない。
これを笑わずにいられるか。
かつてケリーを指して“変態”などと褒めた妻は、己をそう評されても褒め言葉と受け取るだろうか。
もしもまたこちらに来る機会に恵まれたなら、必ず彼女を連れてこようとケリーは心に決めたのだった。