再会の宴 13
Written by Shia Akino
前回のおまけを未読の方は、そちらを先にお読みください
 国王に伴われた新たな客人は、春の女神のようだった。
 リィのそれより色味の薄い金の髪は暖かな日差しを思わせ、神秘的な紫の瞳は霧に濡れた菫の花の色合いで辺りを見回す。
 そのまなざしは春風に似てやわらかく、微笑をたたえた口元はほころび始めた蕾のようで、その姿に気付いた者はみな一様に心ごと目を奪われた。
 ルウの変身の見事さに、ウォルは心底驚嘆している。
 男と女の違いはあるものの、基本的な顔立ちはまったく変わっていないのに、誰一人として似ている事にすら気付かないのだ。
 男のルウは昨日今日コーラルに着いたわけではなく、頻繁にあちこち出入りもしていたから顔見知りは多い。にもかかわらず、である。
 髪と目の色を変えただけでも随分印象は変わるものだが、なにより雰囲気が大違いなのだ。これがあの、ちょっとぼんやりした青年と同一人物だなんて、ウォルだって信じられないくらいである。
 あれはいったい誰だろうと囁く声は聞き流しにして、ウォルはまっすぐケリーの元へ向かった。歓談中だった若い臣下達――ケリーの元同級生らが慌てふためき、ギクシャクと姿勢を正して頬に血を昇らせる。
 もちろんケリーにはそれが誰だか分かった。楽しそうに目を瞠って笑いかけたが、その様子は見慣れない美人に好意を持ったようにも、親しい人物の意外な登場に驚いたようにも見える。
 ここでのルウは男のはずで、髪と瞳の色まで変える徹底的な“変装”をしている以上、正体について言及するべきではないとの判断だった。
 設定が不明なうちは不用意に声をかけない――これが誰であろうと不自然ではない態度を見せるケリーにウォルは密かに感心しながら、つつましく控えるルウをこう紹介した。
「ルウ・フランシェード嬢だ。ケリーどのを訪ねていらした。旅の途中で世話になったそうだが、覚えておられるだろうか」
「そりゃあもちろん。こんな美人を忘れる訳がない」
 端的に“この女性”の人物設定を説明したウォルに頷いてみせ、珍しい格好をしてるな、とケリーは笑った。ウォルにしてみれば女性姿を指すことは明らかだったが、これまた普段はあまり着飾らない女性だというようにも取れる。
「気に入ってもらえた?」
「おうよ。最高だ」
 言いながらケリーはルウを抱き寄せ、大きな手で滑らかな頬をそっと撫でた。
「いつもの格好もいいが、こういう格好はまた格別だな。よく似合うぜ」
 ふわりと頬を染めたルウもまた、ケリーのたくましい腕に愛しげに触れて目を細める。
「ありがとう。あなたもとても素敵だわ」
 透き通った声は甘やかな響きで、赤面していた若者たちは一人残らずうろたえた。中にはすでに妻のあるものもいるのだが、それにしたって若造である。寝室が似合いそうな妖しい空気に割り込めるほど図太くはない。互いに袖を引き、小突きあって距離をとった。
「あれ……が、奥さん?」
 引きつった一人が漏らすと、別の一人が首を振る。
「違うと思うよ。大体、奥さんがあんな人なら自分を物好きだなんて言わないって」
 見た目だけならそうだろう。今のルウは誰もが溜息を禁じえない、気品に満ちた美しい女性だ。あれが妻ならむしろ自慢だ。
 自慢の妻になり得る女性は実のところ、見目に似合わぬ怪力で城壁の補修工事やら調度品の移動やらに重宝されていた青年でもあるのだが。
「でもじゃあ、アレってちょっと問題じゃない? 既婚者としてはさ」
 別に愛の言葉を囁いているわけではないのだが、傍目には恋人か新婚かとでもいうような甘い雰囲気である。
 浮気を浮気とみなさない貴族階級の子弟としても、公衆の面前で、となると話は別だ。
 いたたまれない気分で見守る先で、踊りたいの、いいかしら――とルウがケリーの手を引き、二人は揃ってフロアへと遠ざかって行った。



 得難い踊り手を得た楽団が、張り切って華やかな曲を演奏している。
 ルウの淡い金髪がきらめき、うっとりと見守る観客たちに光を投げた。
 薔薇色の頬と透き通った肌の美しい女性は、ケリーの腕の中で菫色の瞳を細め、蕩けそうな笑みを見せている。
 心底幸せそうなルウの様子に、ウォルの口元は自然と弛んだ。
 傍から見ればこれまた完璧な美男美女カップルだが、リィ相手とは違った意味で色めいた雰囲気がまったくない。まるで親子か兄妹のような、ほんわかした空気だ。実に微笑ましい。
 ほんわかした気分はしかし、サヴォア家当主の聞き慣れた声に遮られた。
「従兄上、あの女性はどなたです?」
 いかにも興味津々、といった口調である。
 ウォルは内心大いに慌てた。長年の王様業で培った表情筋を駆使し、顔だけはかろうじて平静を保ったものの、引きつらないのが精一杯だ。バルロに興味を持たれるのはまずいのである。
「従弟どの。奥方はどうされた?」
「あちらで子供達を見ていますよ。それより従兄上、小僧と踊っているあの女性はどこのどなたです?」
「今のケリーどのを小僧と呼ぶのはさすがに無理があると思うが」
 どうにか話を逸らしつつ、この窮地をどうやって切り抜けようかと必死になって考える。
 ウォルの愛すべき従弟どのは、華やかな女性遍歴を誇る男なのだ。好みとあれば口説くのに躊躇はなかろうが、あれを口説かれるのは少しどころではなく困る。たいそう困る。主にバルロのために、非常によろしくない。
「あんなものは小僧で十分です」
 小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、バルロは腕を組んだ。
「それで、従兄上?」
 もはや溜息しか出て来ない。
「……ルウ・フランシェード嬢とおっしゃる。旅の途中で知り合ったそうで、ケリーどのを訪ねていらしたのだ」
「どういった知り合いです?」
「…………恋人だ、と言ったらどうする?」
 バルロは面白くなさそうに目を細め、二人を眺めやって息を吐いた。
「別にどうもしませんが、あの小僧にはもったいない美人ですな」
 正体を知っていれば決して出てこないであろう単語に、ウォルは思わずちょっと止まった。
「……美人?」
「美人でしょう。無垢な気品とでもいいましょうか、あの雰囲気はなかなか得難い。顔立ちの良さはもちろんですがね」
 あれほどの女はペンタスにだってそうはおりますまい、とバルロが頷く。
 ペンタスの女になぞらえるのはどうかと思うが、確かに今のルウは滅多にないほど美しい女性だ。
 ほんのついさっきまで“王妃の間男”だったりしたのだが、そんな事バルロは知る由もない。
「フランシェードというと、どちらの出身になりますかね?」
 なおも強く興味を示され、ウォルの冷や汗は乾く間もなかった。
 知らず口説いて、挙句バレたりしようものなら――。
(……屈辱のあまり憤死しかねん)
 色恋に奥手なウォルとしては、こんな時なんと言って牽制すればよいのやら、さっぱり分からなくてたいそう困る。
 ここはやはりケリーの恋人として押し通すべきかとも思うが、倫理観が一般的ではない大公爵家当主のことで、効果のほどはいささか疑問だ。
 いっそ正体を明かすか、いやしかしそれはそれで衝撃の事実であるわけで、そもそも内密にという話でもあるし――と、結論は容易に出るものではない。国政より難しい問題かもしれない。
 悩めるウォルは忘れていた。
 百戦錬磨の女誑しがその昔、男のルウを口説き済みだという事を。
 “女だったら愛人にするのに”と公言していたバルロである。正体を知ったら知ったで、本腰入れて口説きにかかるかもしれなかった。



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―― ...2010.04.26
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おーわーらーなーいー(泣)

  元拍手おまけSS↓

 グレッグ・パドレス・レーゼンバウム校長は、そもそも王宮の宴に招待されるような身分ではない。
 国内随一の寄宿学校校長とはいえ、下級貴族というにもおこがましい家の出、しかも三男である。一の郭に足を踏み入れたことなど数えるほどしかなかった。
 王宮のあまりにも煌びやかな空気に気圧されつつも年の功で表には出さず、彼は会場の片隅で主賓の一人と雑談している。
 生徒とも思えない生徒だった生徒はすっかり立派な青年になって、見上げる首の角度に驚嘆したのは内緒だ。私も年をとるわけだ、とお決まりの感慨を抱いたのも内緒にしておく。見抜かれている気はしたが構わずに隣に立つ青年を見上げた。
「天の国はどういうところだい? 平和で美しいところなんだろうか」
 青年は少し考えてから、そう平和って訳でもねぇな、と薄く笑う。
「人がいれば難しい、そういうもんさ。どこも同じだ」
 それはたかだか二十数年生きただけの若造には似つかわしくない台詞だったが、反駁を許さない重みがあった。背丈はずいぶん変わったが、そういうところは変わらない。
「そういや校長になったんだってな。おめでとう……でいいのか?」
 言葉の途中で眉を寄せたケリーにグレッグは呆れる。
「なぜそこで悩むんだい?」
「いや、あんたは別に校長になりたかったわけじゃないだろう? 残念だったなと言うべきなのかと思ったんだが」
 大真面目にそんな事を言われ、思わず吹き出した。
 普通、下級貴族の三男が校長職に就いたのを残念だとは言わない。
 生徒達と関わる時間が減る事を残念だと思ったのは確かだが、こうもあっさり見抜かれてはもはや笑うしかないだろう。
「まったく君は……相変わらず困った生徒だ」
 教師と生徒の関係性を保つのが、これほど難しい相手をグレッグは他に知らなかった。
 頻繁に姿をくらます問題児も他にはいない。
 校長を務める際の、それがせめてもの救いである。
「俺は今だに生徒なわけか?」
 さすがに学生には見えないだろう、と思いつつケリーは苦笑し、続く言葉に虚を突かれて瞬いた。
「君には卒業した覚えがあるのかね?」
「……ねえな、そういえば」
 卒業する気もなかったので忘れていたが、卒業する前に出奔したのだ。今でも学校に籍があるとしたら、それはもう恐ろしい留年年数である。
「……まさか課題なんか用意してねぇよな?」
 あったら怖い。なんだか凄いことになっていそうで。
「用意しようか?」
 楽しげな老教師に慌てて首を振る。
「いや! 遠慮する」
 反射の速度の返答に、頑固な元主任教師は面白そうに含み笑った。
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