再会の宴 4
Written by Shia Akino
 悠揚たる偉容を誇るコーラル城は、外観も内装も贅を尽くした豪華なものではあるが、けっして華美ではない。
 それは国王の私室も同じで、落ち着いた色合いの敷物と同系色の布張りの長椅子は、手の込んだごく細かな織り模様と、完璧なまでに滑らかに仕上げた木枠の高価な材質に気付かなければ、田舎貴族の屋敷にあるものとさして変わらないと思えるだろう。
 小卓から飾り棚から酒杯のひとつにいたるまで、その価値を知悉しているバルロだが、当たり前のものとして享受してきただけに今更感慨のひとつも沸かない。芸術品のような長椅子に無造作に腰をおろした。
 ちなみにイヴンは王宮にあがるようになった当初、ついあれこれと値踏みしてしまい、うんざりして諦めたという過去がある。
 地方領主の息子であるナシアスは素直に感心しただけで、自分には関係ないものと一線を引いている。
 ウォルにいたっては興味がない。美しいとか座り心地ちが良いとかは思うものの、椅子は椅子なのだから座れればいいと思っている。職人達が知れば号泣ものだ。
 シェラが酒肴を整える間に、小卓を挟んだ向かいの長椅子に国王夫妻が並んで座り、脇の肘掛椅子にルウが納まった。
 扉脇にひっそりと控えたシェラをリィはちらと見やったが、結局何も言わずに正面に視線を戻す。
 これから王妃再訪の演出について話し合うのだ。いきなり誰かに入ってこられては具合が悪いのである。
「それで、だな」
 国王がまず口火を切った。
「王妃がこちらに滞在していることを、出来るだけ早く遠くまで伝えるにはどうしたらいいと思う」
「あれの耳に入るように、ですな?」
 王妃の再訪の目的を、バルロはすでに弁えている。
 ケリーの居所が知れない事も良く分かっていたので、バルロはすぐに頷くとひとつの案を披露した。
「王妃の帰還を記念して式典を開くのがいいでしょう」
「はぁあ!?」
 思い切り顔を顰めたリィをよそに、ふむ、と考える顔つきのウォル。
 きょとんと瞬いたルウには目もくれず、バルロはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「思い切り派手に、盛大な式典にいたしましょう」
「冗談じゃない! なんだよそれ!?」
 気の弱い者なら卒倒しそうな剣幕で王妃が噛み付く。
「あれが国内にいるとは限らんでしょう。他国までとなると、各国の重鎮を正式に招待するのが一番手っ取り早い」
「けど、準備に時間がかかるじゃないか」
「当然です。威信を賭けて盛大にやりますからな」
「じゃあ駄目だ。出来るだけ早くと言っただろう」
「準備の段階で噂は広まります。遠方まで噂を届けるとなると、むしろ準備期間は長いほうがいい」
 式典嫌いの王妃の異論を楽しげに叩きつぶし、いかがです? と国王を窺う。
「……いや、従弟どの。式典を開くというのは良い考えだが、名目は違うものの方が良い」
「何故です?」
「リィは未だに戦女神と呼ばれているのだ。ただ帰って来たとだけ噂にされては、また戦になるのではと勘ぐる者が出ないとも限らん」
 それにルウがうなずいた。
「ああ、それはそうだねぇ。……何がいいかな?」
「ルーファ!!」
 のんびりした相棒の言に、リィが非難の声をあげる。
 やっぱり気の弱い者なら卒倒しそうな剣幕にもかかわらず、だってねぇエディ、とルウはあくまでマイペースだ。
「式典っていうのはいい考えだと思うんだよ。王妃様が来たのは戦のためじゃない、ってちゃんと知らせておかないと。噂って結構変な風に伝わっちゃったりするものだし、王様が再び戦女神を得て他国に侵攻するんだーなんて話になっちゃったら大変じゃない」
 王様に迷惑かけちゃマズイでしょ? と念を押され、黙り込む。
 それはマズイ。確かにマズイ。最悪だ。――だがしかし。
 式典を開くと正式に報じてしまえば、ケリーが早くに見つかったとしても中止はまず有り得ない。
 王妃の存在を喧伝する為の案なので、リィが出席しないという事も有り得ない。
 つまりはドレスを着て、猫の十匹も被らないとならないわけだ。確実に。
 何とか逃れられないかと思案するリィだったが、思いつく前にまたしてもバルロが口を開く。
「従兄上、この際です。王太子宣下を行いましょう」
 今度はウォルがぎょっと目を見開いた。
「なにを……」
「生半な名目では、天に帰った王妃がわざわざやってくる理由にはならんでしょう。王太子宣下はうってつけです。戦女神の口から宣旨が下るとなれば、異を唱える者もおりますまい」
 満足気なバルロにウォルは引き攣った。
 確かに、今現在デルフィニアには太子がいない。
 第一王子ならば誕生した時点で太子であり、次代の国王となることはほぼ確定的だ。民にもお披露目をするし、各国から祝いも届く。
 だが、たとえ長男であっても庶子は庶子なのだ。王の子であることは間違いなくとも、庶子は決して殿下とは呼ばれない。
 重臣達の主だった者は、王の第一子を次代国王とすることで意見が一致していた。暗黙の了解のうちにそのための教育もなされている。
 当の本人は、教育の甲斐あってか次代国王となることに何の疑問も抱いていないし、利発で素直な性質はさすがこのお二人のお子だと評判の、愛らしい少年である。
 問題はないようにも思えるが、唯一の愛妾であり、実質的な王妃として奥向きを取りしきっているポーラが母であっても、その母が“妃殿下”ではなく“ポーラ様”である以上、子供達も特別に定めない限り“殿下”ではないのだ。
 その“特別に定める”宣言をしろ、とバルロは言っているのである。
「いやその……しかし、だな」
 次に王位につくのはユーリーでも全然かまわないと思っている国王は、完全に逃げ腰で言葉を濁した。
 今更逃げ腰の国王に、バルロは呆れた視線を投げる。
 国王には庶子しかおらず、今後も王子は望めない。となれば、いつかは太子を定めなければならないのは分かりきっていた事なのだ。
「祝福を授けるために女神が下ったともなれば、各国はこぞって祝いに駆けつけようとするでしょうし、披露目をかねて宴を催せば噂も迅速に広まります。それとも――」
 今からでも王子を授けてくださいますか、と至極真面目な顔つきで言われ、国王夫妻は同時にギシリと固まった。
「王子殿下が誕生すれば、これも式典を催す充分な理由に――」
「仮に、仮にだ!」
 剥き出しの腕の鳥肌をさすりつつ、リィがバルロの台詞を遮る。
「万に一つもあり得ないけどそういう事になったとしてもだ! おれは子供なんか産めないからな!」
 産める訳がない。姿形は女でも、リィの身体は子供を産むようには出来ていないのだ。
「大体どうしてポーラがまだ愛妾なんだ? 始めに聞いた時、おれは耳を疑ったぞ。――いい機会だ、おまえ結婚しろ」
 離婚もしていない夫に妻が、他の女との結婚を迫るの図――それも国王の胸倉を掴み上げて恫喝しているのは王妃であり、見目麗しい女性である。微笑ましいというべきか、見るに耐えないというべきか。
「リィ。頼むから俺の妻の性格を理解してくれ。そんな事を言ったら、田舎に引っ込んで出てこなくなってしまうではないか」
 リィはちょっと考えて首をかしげた。
「前は尼寺だったな?」
「いまは子供達がいるからな」
 父親の顔でウォルが微笑み、リィも柔らかく目を細める。胸倉を掴んでいた手をほどいてウォルの頬に添えると、困ったように笑んだ。
「だから、その子供達をいつまで庶子にしておくつもりなんだ? 早くポーラと結婚しろよ」
「俺はおまえと結婚しているはずなんだが?」
 ウォルは苦笑しつつ手を伸ばし、リィのほつれた髪の一筋を後ろに払ってやる。
 くすぐったそうに首をすくめたリィが、今度はウォルの頭に手をやって子供にするようにくしゃくしゃと撫でた。
「問題ない。離婚にはいつでも応じてやるぞ。なんなら今からオーリゴ神殿に行ったっていい。今度こそあの紙切れを燃やしてやる」
「相変わらず無茶を言う……。おいこら、かきまわさんでくれ」
 小さな手が黒髪をかきまわすのを避けながらウォルは笑い、おまえには幸せになってもらいたいんだ、とリィが言うのに、充分幸せだとも、とうなずいた。
 なにやら二人の世界が出来あがっている。
 会話の内容にさえ目をつぶれば、微笑ましくも温かい光景である。
 事態はそれどころじゃないと言うか、話題がそんな場合じゃないというか――ある意味ふざけていると言えなくもない展開である。
 同席者は当然、時ならぬいちゃいちゃを微笑ましく見守ったりはしなかった。
「……それ以上続けるおつもりなら、寝室に行っておやんなさい」
 荒地に寒風の吹き荒ぶかのような声音に、国王夫妻はそろりとそちらを窺い見ると、首をすくめて小さくなった。
 大陸随一の大国を統べる国王夫妻も形無しである。
「妃殿下に王太子宣下を行っていただきます。併せて披露目の宴を催す。それでよろしいですね?」
 あんまりよろしくないのだが――とは、言える雰囲気ではまったくない。
 ところが、ひとりのほほんと推移を見守っていたルウが、バルロを見上げて首を傾げた。
「虎さんにも息子っていたよね?」
 場にそぐわない無邪気な口調がさすがである。
「いるとも。だからなんだ?」
「聞いてると、王様の息子を太子にって事みたいだけど、虎さんはそれでいいの?」
 血筋正しき公爵の嫡子と国王の庶子――どちらが太子であっても問題はない。それは確かだ。
 国内で絶大な人気を誇る戦女神の宣旨ならば、どちらであっても異論は封じ込められるだろう。
「侮辱と取るぞ、間男殿。決闘を申し込まれたいか」
「ううん、ごめん。言ってみただけ」
 あっさりと引き下がったルウを責めるのは筋違いだろうが、ウォルは密かに肩を落とした。
 愛する息子に次期国王などという重荷を背負わせたくはないが、かといってユーリーに押し付けるのも気が引ける。
 バルロは何も言わないが、ユーリーの周りにたかる者共がどんな甘言を弄しているかは想像がついた。
 そもそも、ケリーがデルフィニアを出奔して行方知れずとなったのも、太子が未定だということに原因の一端がある。大部分はケリー自身の性向ではあろうが。
「その、だな」
 それでも足掻きたくなるのが、子を愛する父の性というものだ。
「やはりその……」
 しかし最後まで言わせるバルロではない。
「――従兄上?」
 視線ひとつで主君を黙らせると、有無を言わせぬ笑みで応えた。
「王妃が来ている事をケリーに知らせられる、我が国の王太子を披露できる、ごちゃごちゃとうるさい蝿共も王妃の宣旨なら黙らざるを得ない、一石三鳥の願ってもない案でしょうが。いったいなにがご不満です?」
 もはやぐうの音も出ない。
「くっそぅ……あの野郎、絶対に殴ってやる」
 物騒に目を光らせたリィが低く唸ると、ウォルは真顔で大きく頷いた。
「存分にやってくれ」
 
 その頃、遠い空の下で時ならぬ寒気に襲われたケリーは、風邪でもひいたか? と呟いてアスターに心配されていた。



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―― ...2009.10.29
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
ようやく終わったバルロ編。
シェラ好きの人には申し訳ない限り。せっかくいるのに存在感皆無……(笑)
それにしても、いつになったらケリーが出てくるんだろうかね。

  元拍手おまけSS↓

 ケリーを見つけたいというリィの意向に自国の利益を便乗させ、懸案事項だった王太子の件をすっかり片付けたサヴォア公爵は、一人すこぶる上機嫌であった。
「実はな、王妃」
 酒杯をあおってにやりと笑う。
「あなたが二度と戻らないと思われていたせいで、従兄上には後添えの話が山程きたのだ」
 不機嫌な王妃は面白くもなさそうに頬杖をつく。
「ウォルが結婚するならポーラだろう」
「そうかもしれないが、ポーラ殿の身分はたかだか下級貴族の娘だぞ。本人の意向はともかく、傍目にはそれが問題でな。国内の有力貴族の娘から他国の皇女まで、我こそはと名乗りをあげたわけだ」
「……ウォルが鼻の下を伸ばしてたって話か?」
「なんだかんだと理由を付けて端から断っておられたという話だ」
 二度と会えないはずの妻である。それは死別と変わりない。
 離婚は認められずとも死別となれば話は別で、後添えを貰うことも出来ただろうが、ウォルはそうはしなかった。
 そこまで想ってもらったと、普通なら喜ぶべき場面だろう。
 しかしリィは顔をしかめ、ウォルをぎろりと睨みつけた。
「おまえは馬鹿か? 断る理由なんか探す前にポーラと結婚すれば良かったんだ」
「だから、ポーラが頷く訳がなかろう。何度言わせる?」
「そりゃあポーラは意外と頑固だけどな。口説き落とせなかったのか?」
 いい男が情けない、と溜息をつく。
 負けじと深く息を吐き、ウォルは真顔で妻を見た。
「リィ。俺は寡夫になったつもりはないのだ」
 たとえ本当に二度と会えなかったのだとしても。
 死んだものとして扱うことなど出来るわけがなかった。
「それに、こうしてまた会えたのだからな。あながち間違いでもなかったろう?」
 屈託なく笑う。
 リィは怒るべきか呆れるべきか決めかねたように一瞬黙り、それから片手で顔を覆うと、馬鹿……と小さく呟いた。
 その声は少し笑っていた。
 
 俺は寡夫になったつもりはない――ウォルが言ったその時に、ルウはふと窓から外を見やっている。
 バルコニーの白大理石が夕闇に浮かび、庭木の梢は陰に沈んで、星のいくつかが散る空は探し人の髪を思わせる紫紺の色を見せていた。
(ねえ、キング。どこにいる?)
 むかし同じ事を言ったあの人は、今はどこにいるのだろう。
 会いたい、という衝動を誤魔化すようにひっそりと笑み、ルウは空から目を逸らした。
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