再会の宴 5
Written by Shia Akino
 ナシアスが王妃と見えたのは、親しく付き合いのあった中ではほとんど最後と言って良かった。
 なにしろビルグナは遠い。
 ラモナ騎士団長は妻子をコーラルに残し、ビルグナと王宮とを行き来する生活を送っているのだが、間の悪いことにリィが“王妃”になったのはビルグナにいる時だったのだ。
 知らせを受けたナシアスはすぐさま王宮に向かったが、道中噂には事欠かなかった。
 だから取り乱さずに済んだのは事前情報のおかげだろうと、噂の主を前にして頭の片隅で考えている。
 単身西離宮を訪れたナシアスは、取次ぎを待たずして長椅子で伸びている王妃を発見していた。
 テラスの円卓を押しのけて室内の長椅子を引っ張り出し、肘掛に背を預けて背凭れに肘を乗せ、足は座面に投げ出して酒杯を手にしている。
 木漏れ日と風が心地よい季節だ。高貴な女性のサロンがテラスや庭で開かれる事もままあるが、いかんせんこの場合、屋敷の主の格好がいただけない。
 革の胴着に腕には裂いた麻布を巻き、下肢を包むのは膨らんだスカートではなく農夫が穿くようなズボンであり、実用一点張りの革の短靴だ。
 そういえばこの人はこんな人だった。
 まばゆいばかりの黄金の髪は皮紐を巻きつけてくしゃくしゃにまとめあげられ、飾りといえば額に置いた見事な銀冠ひとつきりである。
 顔立ちも、姿も、背景までも当時のまま――時が戻ったかのようだった。
 緑の濃い西離宮の庭は、王妃の意向をそのままに野趣あふれる趣に仕立てられている。とでもいえば聞こえは良いが、はっきり言って荒れ地とさして変わらない状態に置かれていて――荒れ地にするために手を入れるのもおかしなものだが――おかげで時を感じさせない。
 これは変わりようのない建物の白壁に木漏れ日が映え、風に乗って鳥の声が響いた。
「妃殿下……」
 呼びかけてから、言うべきことが何一つ出てこない事に気付いて押し黙る。
 時が戻ったかのようだった。
 この光景が当たり前だったあの頃に。
「やあ、ナシアス。久しぶり」
 王妃が翠緑の瞳を細めて片手をあげた。ほんの数日会っていなかっただけのような軽い挨拶が、なおさら時を惑わせる。
 なんと応えるべきか決めかねて数瞬、沈黙を挟んでからナシアスは微笑んだ。
「お久しぶりです、妃殿下。お変わりないようでなによりです」
「ナシアスもな。みんなあんまり変わってないんで吃驚した。小さいのがころころ増えてたけど」
 長椅子に身を預けたまま、どこかぐったりと疲れた様子の王妃に苦笑する。
「お疲れのようですね」
「そりゃもう……ここ何日か休まる暇がなかったんだ。ポーラは大泣きするし、シャーミアンもラティーナも女官長も涙目で順番におれを責めるし、ロザモンドには怒られるし……」
 身振りで座れと促がしながら、リィは深々と溜息を吐いた。
「開口一番言う事がバルロと同じなんだから、似た者夫婦だよな」
 前から似てたけど磨きがかかったんじゃないか? と肩をすくめ、酒杯を大きく傾けつつ眉を寄せる。
「タウのやつらも近衛隊の連中も人の顔見て泣きやがるし……」
 感極まって男泣きに泣く兵士達の気持ちなど、リィにはさっぱり分からない。なにより男が泣いたって可愛くない。全然まったく可愛くない。
「今日は今日で、朝から採寸にかこつけて散々こねくりまわされたんだぞ? なんなんだ、あれ。どうしてドレスを作るのに指の長さが必要なんだ」
「ドレスに合わせて手袋でも作るのでは?」
「知るか!」
 吐き捨てたリィは鼻の頭に皺を寄せ、乱暴に酒杯を円卓に置くと、腰をずらして長椅子にひっくり返った。とことん王族女性にはあり得ない態度である。
 政府中枢の有能さを物語る脅威的な早業での計画立案により、式典は三ヶ月余り後に予定されていた。
 王宮をあげての宴となると、一年がかりという事も珍しくない。三ヶ月とは短いくらいのもので、特に王妃の衣装となると刺繍ひとつ取っても相当な手間がかかる。
 嫌な事はさっさと終わらせてしまいたいリィの主張――三ヶ月もあれば噂の種としては充分だ――が押し通されたわけだが、逆に忙しい事になってしまったといえなくもなかった。
 各国の重鎮を招く宴である。何にせよ疎かには出来ない。
 あれやこれやでふてくされた戦女神を前にして、狐とも称されるラモナ騎士団長は、楽しみです、とにっこり笑って言ってのけた。



 巨大なバスケットを抱えた青年が、年若い娘を伴って山道を登ってきたのは、そろそろランプに火を入れようかという頃合だった。
「あれ、お花さんだ。久しぶりだねぇ、元気だった?」
 脱力するしかない挨拶である。
「ルーファの事は知ってるよな? こっちはおれの友達」
 酒杯を持った手をあげて、王妃が娘を指し示した。残る片手はハムを掴み、言い終わると同時に口に運んでいる。王妃自ら厨房を漁って持ち出してきた代物である。
「ちょっとリィ、それは――」
 言いかけてから、娘は慌ててナシアスに向き直ると頭を下げた。
「始めまして、セラと申します」
 二の郭あたりの貴族の娘が着ているようなドレスに、綺麗な黒髪を結いあげている。
 王宮には行儀見習いをかねた貴族の娘が侍女としてあがることも多いから、そういった者の一人なのかもしれないと思いつつ、ナシアスは眉を寄せた。機械的に名乗り返して首を傾げる。
 見覚えはない。王妃の友人で天の国の人ならば見覚えがないのも道理だが――見知っているような気がしないでもない。
 怪訝そうなナシアスには構わず、娘は紫水晶の瞳に険しい色を浮かべて円卓の上からハムの皿を引ったくった。
「これは明日の朝食に使うのよ!? 勝手に食べないでちょうだい!」
「固いこと言うなよ。腹減ってんだ」
「遅くなったのは悪かったけど、下でいろいろ詰めて貰ったからこっちにして欲しいわ」
 今度はルウの手からバスケットを引ったくり、ハムの皿を抱えたまま器用に中身を出していく。
 ルウが慌てて厨房へ走り、食器の類を運んできた。円卓の上はたちまち様々な料理でいっぱいになる。
 その間、ナシアスはずっと娘の顔を見つめていた。騎士たるものの態度ではないし、若い娘に対しては失礼極まりないと言えるだろうが、しかし。
「君はもしかして……」
 遠慮のない態度やはきはきとした物言い。表情や口調、ちょっとした仕草にいたるまで、ずいぶん違う印象ではあるが――もしかして。
「……シェラ?」
 忙しく立ち働いていた娘は、足を止めて肩を落とした。
「……はい。お久しぶりでございます、ナシアス様」
 改めて深く頭を下げる。
「そうか、“シェラ”は田舎に帰ったことになっていたね」
 “シェラ”をただの侍女だと思っている者に、王妃に付いて天へ行ったなどと言えるわけがない。母親が急な病で里に帰った事にしてあった。
「良く分かったな?」
 リィが面白そうに笑う。
「ルーファはもともと正体不明の不審人物だからいいんだけど、こっちの“シェラ”には友達もいるしな。いっそ別人って事にした方がいいって話になったんだ」
 確かにまったくの別人に見える。
 変えたのは髪の色だけで、顔立ちも瞳の色もそのままだが、“シェラ”の特殊性を知らなければまず分からないだろう。
 当時と同じ年頃のままである事を差し引いても、表情や口調のみならず、ちょっとした仕草や醸し出す雰囲気がまるで違う。ファロットの精鋭だったシェラにはわけもないことだ。
 が、そのファロットの精鋭はどろどろと落ち込んでしまっている。
「ラティーナさまにもシャーミアンさまにも見破られてしまいましたし……腕が落ちたんでしょうか」
「いや、そうではないよ。妃殿下のお傍にいるのならシェラだろうと思っただけだから」
 慌ててとりなしたナシアスだが、暗殺稼業で磨かれた技である。それもどうなのか。
 髪を染めたんだね、と笑うナシアスは気にした風でもないが、バルロあたりなら本来の少年姿になれとでも言ったかもしれない。王妃の世話係としては論外だが。
 艶やかな黒髪に手をやってはにかむシェラは、まるきり少女以外のなにものにも見えない。
「これはルウが……」
「はぁい、ぼくが染めましたー」
 手をあげたルウがその手を下ろした先はシェラの頭で、次の瞬間、黒髪は見事な銀色に変じている。
 髪色を変えるだけとはいえ、本来禁止事項である力の使用――リィに“筋の通ったいい加減"と言わしめる掟破りを行ったルウの言い分はこうだ。
『こっちにだって、髪を染める染料くらいあるでしょう? どうせ染めるならぼくがやるよ。せっかく綺麗な髪なのに痛むじゃない』
 髪にこだわるのはリィ相手だけではないらしい。
 少々馬鹿らしい使われ方をする超常の力を前にして、ナシアスは何と言ったものか悩む事になったのだった。



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―― ...2009.11.10
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
ナシアスと再会。時間差攻撃につき、目立った反応なし。
そしてシェラを(ちょっと)救済(笑)
ああ、ケリーのケの字も出てこない……。

  元拍手おまけSS↓

 もともとご機嫌麗しいとは言えなかった王妃様だが、この日の王妃は不機嫌に輪をかけて不穏な事になっていた。
 コルセットでぎゅうぎゅうに締め上げられ、よってたかって身体のあちこちを測られて、なおかつドレスのデザインがどうの、肌と髪の手入れがどうの、当日の髪型と装身具はどうのと、未だ何も決まっていないからこそ好き勝手に盛り上がる女官達に囲まれて、しばしの時を過ごしたのだから致し方ない。
 かろうじて女性を脅かすような真似はしなかったが、西離宮へ戻る王妃の背中は殺気が噴き上がらんばかりだった。
 ナシアスが到着し、西離宮へ赴くといったのはその直後である。
 行くなら気を付けろ、とバルロは真顔で忠告してやった。
 それほどリィの鬱屈はすごいことになっていたのだ。
 ところが、ルウとシェラは実のところ、この事態を楽しんでいる。
 リィには悪いが、女の姿で正装するリィなどそうそう見られるものではないのだ。目的を忘れたわけではないが、楽しみなのもまた事実である。
 当日のドレスと装飾品のデザインについて、役立たずの王妃の代わりに担当者と話し合うため、二人はリィを見送って本宮に残った。
 とりあえずこれ以上怒らせないよう、せめていくらかでも動きやすいデザインを起こすべきだった。
 ……ケリーの為にも。
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