再会の宴 8
Written by Shia Akino
 王太子宣下の式典当日も、三日三晩続いた披露目の祝宴の間も、リィは僅かな暇さえあれば正門を睨み続けた。
 招待客の大半は、鋭い視線を浴びせる山岳民か小者かといった格好の少年が王妃だとは気付がず、きらびやかなドレスを着て嫣然と微笑む王妃らしい王妃と、その少年が同一人物だとももちろん気付かず、国を挙げての盛大な宴はどうにか面目を保ったまま無事に終焉を迎えた。
 客達が一様に帰途につき、華やいだ空気も落ち着いた今では、正門を潜る者はさほど多くないもないのだが、リィの日課は相変わらずである。
 ふと気付くとそこにいて、まっすぐ門を睨んでいるのだ。門番は毎日生きた心地がしないが、別に噛み付くわけでもない。息をしているのかどうかすら危ぶまれる、静かな佇まいである。
 それは草むらに身を潜め、ただじっと獲物を待ち受ける獣を思わせる風情だった。ひと時顕著だった苛立ちはなりを潜めたが、見る者が見れば焦燥の色は濃い。
 待つ身というのは辛いものだ。待ち望んでいるならば言うに及ばず、叶う保証もないとなればなおさらである。
 睨む元気が持続しているだけでも大層な事かもしれなかった。
 動かないリィとは対照的に、ルウとシェラは何かしら仕事を見つけては忙しく立ち働いている。賓客扱いでただ待つのは手持ち無沙汰だという事もあるが、単にじっとしていられないというのが正しい。
 合間にルウは、飲み物を用意してリィの元に向かった。二人で――時にはシェラと三人で――軽くお茶にしてから、リィを残して本宮へ戻るのがこの頃の日課になっている。
 気持ちは分かるから、ここで待っていても仕方がないとは言わない。
 用意した杯を渡し、寄り添って正門を眺めながら、ルウは相棒の肩にもたれかかった。
「ごめんね、あんまり役に立たなくて」
 寄せられた頭に頬をつけて呟く。
 生きてはいる、それは分かっている。手札にもはっきりそう出ているのに、どこにいるのか、どこに行けば会えるかを占おうとすると途端にわけが分からなくなるのだ。
「謝るなよ。ルーファのせいじゃないんだから」
 リィが杯に口をつけて小さく笑った。今は女性のリィの声は、いつもよりわずかに澄んだ響きをしている。
「占いは一種の指針だって、ルーファが言ったんだぞ。生きてるって事が分かるだけで充分だ」
「でもさ……」
「ルーファのせいじゃない」
 誰のせいかといったらケリーのせいだ。さっさと戻ってこないのが悪いのだ。
 きっぱり言い切ったリィは、目を伏せた相棒の黒髪を優しく撫でてやった。
 もとより寄り添っている二人である。年頃も釣り合う男女である。傍目には正しくラブシーンである。
「旅先で何かあったとかじゃないといいんだけど」
「アレに? 何かあらせるのは至難の業だぞ?」
「だよねぇ」
 だったらなんで戻ってこないのかといったら純粋に遠くにいたからだし、どうせそんなところだろうと思ってもいるのだが、だからといって安心も出来ない。
 諸々の心情が、結果正門前の立ち番になっているリィは小さく息を吐いた。
「そういう意味ではあんまり心配してないんだ。ただ……」
 生きているから無事だとは言い切れない。それは重々承知しているが、滅多な事もないだろう。ただ――。
「あんまり待たせるとジャスミンに悪いよな」
 ダイアナはともかく。
 言いながら肩を落としたリィを、今度はルウが撫でてやる。
  「それこそエディのせいじゃない。全部キングが悪いんだ」
 みんなあの子が悪いんですーと先生に言いつける幼稚園児のような口調で言って、ルウはもう一度正門を見やった。



 風の冷たい季節になっている。
 日没を迎え、正門が閉ざされるのを確認したリィは黙したままきびすを返した。
 残照が空を染め、薄明かりの王宮の庭はひっそりと静まり返って、葉を落とした木々の影がいかにも寂しい。
 現在のリィの住居である西離宮は、王宮の裏――正門の反対側にあるから、リィは随所に明かりを灯した王宮の姿を横目に見ながら、整えられた庭園を抜ける。途中でルウが合流し、並んで山道へと足を向けた。
「それは?」
 ルウは両手に特大バスケットを抱えている。いい匂いがしてきて、リィは首を傾げた。
「これ? 夕ご飯」
「夕飯? シェラはどうしたんだ?」
「カリンが風邪をひいたんだって。王様に頼まれて看病に行ってる」
 式典だ祝宴だってずっとバタバタしてたから疲れが出たんだろうね、とルウ。
「大丈夫なのか?」
「大したことはないみたい。本人もわりと元気で、すぐ起き出そうとするんだって。シェラは監視役」
 腐っても鯛、現役を退いても女官長である。細々と動き回ろうとする王宮の母を寝かしつけておくのは、そのへんの侍女には荷が重い。正しい人選である。
「……明日あたりお見舞いに行こうかな?」
「エディは行かないほうがいいよ。頭に血が上るから」
 なんだよそれ、とちょっと笑って、リィはバスケットに手を突っ込んだ。まだ温かいパンを掴み出して歩きながら頬張る。
 パキラ山の中腹に位置する西離宮には、急峻な山道が唯一の通り道だ。あたりは急速に暗くなっていったが、慣れた道である。普通ならば明かりがなくては進めなくなりそうな暗がりを、二人は言葉さえ交わしながら危なげなく進み――テラスが目に入ったところで、同時に止まった。
 ――誰か居る。
 国王が来る事は珍しくないし、イヴンも同様だ。リィが王妃として公に顔を出してからは、他の誰が来ていてもおかしくはない。
 だがしかし、そこに居たのはおかしくはない誰かの誰とも違った。
 テラスは暗がりに沈んでいるが、ルウもリィも抜群に目がいい。丸椅子に腰掛けて暇そうに頬杖をついていた長身の影が、二人を認めて片手を挙げるのをはっきりと捕らえた。
「よう。遅かったな」
 快活な声にはイヤというほど覚えがある。
「………………ケリー?」
 滅多にない事だが、リィは目を疑った。
 ルウはぽかんと口を開けた。
 これがその人物だとしたら、リィに知られずにここに居る為には、パキラなり三枚の城壁なりを越えなければならないはずだ。あえてそうした理由はともかく、コレがソレなら別に不可能でもないだろう。が、しかし――。
「ほんとに……キング?」
 疑わしげな問いかけに不敵な笑みで答えた男の顔が、二人が見覚えているものとは変な方向にだいぶ違う。
 リィとルウは同時に叫んだ。
「何で若いんだ!?」
「何で若いの!?」
 どう多く見積もっても三十には届いていないだろう若さだ。こちらでかなりの年月を過ごしたはずなのに、別れた時より更に若い。
 唖然呆然、である。
 リィもルウも、もちろんシェラもだ。こちらに来てから一度だって、ケリーの年恰好を確認したりはしていなかった。ケリーと言えば通じたのだから当然で、そんな必要は感じなかったし、話題に上っても違和感はなかった。中身は同じなのだからこれも当然といえよう。
 事欠かなかった噂ではもっと年のいった人物のように語られていたし――噂らしく尾ひれがついたらしい――それ以前の王位継承者云々という噂はリィのお陰で立ち消えになり、結局耳に入っていない。
「何でって、それはこっちが聞きたいぜ」
 ケリーが肩をすくめて、落ちてきた当時の状況を語った。
 気が付いたら小さくなっていたと聞いて、ルウは深い溜息をつく。
「手札が巧く働かないわけだ……」
 占いにも様々な手法があるが、手札の場合、誕生日も血液型も関係ない。大切なのはイメージであり、ルウが思い浮かべたのは当然、ずっと大人の、もっと年のいった、こちらでまたずれたというから更に年を取ったケリーだったのだ。
 別段相手の容姿だけで占うわけではない。占えないという事はないものの、これでは正確な答えが出るはずもなかった。
「事情は分かった。とにかくそこに直れ、ケリー」
 衝撃から立ち直ったリィが低く言う。
「なんだ?」
「殴らせろ」
「はあ!? なんだって殴られなきゃならないんだ?」
「問答無用だ! いいから殴らせろ!」
「冗談!」
 ルウの周りで壮絶な追いかけっこが始まった。
「迷子の鉄則を教えてやる!」
「迷子ってなんだ、迷子って!? ――笑ってないで助けろ、天使!」
 テラスから庭へと飛び降りながら叫んだキングは、ルウが今まで目にした中で一番若い。
 相棒と友人の怒鳴り合いを聞き流しながら、若いキングもやっぱりいい男だなぁ、とルウはのんびり考えていた。



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―― ...2009.12.19
ありがとうございました。ブラウザを閉じてお戻りください。
ケリーと再会。ようやく。

  元拍手おまけSS↓

 全部キングが悪いんだ、とルウがぼやいていたその頃、ケリーはすでに大手門の内側にいて、三の郭と二の郭を隔てる廓門を遠目に眺め、眉を寄せていた。
 三の郭と市外を隔てる大手門の門番は、ケリーが来たら角笛を吹くよう、数ヶ月も前から指示されている。
 にもかかわらず、騒ぎも起こさず三の郭に入り込んでいるのは、少年が青年になるだけの時間の経過を侮ったウォルの失態であるかもしれないし、市民でも通れる大手門の賑わいに乗じて隙を突いたケリーの技量の賜物かもしれない。
 この日の二の郭の警備担当は、近衛兵団第二軍第一連隊所属第五大隊の兵士たちだった。
 それだけならば、ケリーはまっすぐ門へ向かい、角笛を吹かれて鳴り物入りでの帰還となったかもしれない。
 が、何の用だか知らないが門番と立ち話をしている男がいる。
 がっしりと大きな体格、癖のある黒髪、鋭い眼光と皮肉な笑み――サヴォア公爵、ノラ・バルロである。質素な身なりをしているところを見ると、お忍びにでも行くのかその帰りか。
「うるせえのがいるじゃねぇか」
 ケリーは唸って、こめかみを掻いた。
 国王に次ぐ大貴族が門番ごときと何の話かとは思うが、久々のデルフィニアで小舅殿の小言に出迎えられるのも面白くない。
「どうするかな……」
 呟いて視線をめぐらせ、ケリーは結局山登りを開始した。
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